にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

守山城(静岡県伊豆の国市)-堀越御所の詰城、願成就院と合わせて回る

守山中世史跡群散策の後編は、守山城成就院守山八幡宮へ。
前編はこちら

tmtmz.hatenablog.com

守山城は案内がなく遺構を見つける目が必要な城跡でしたが、眺めは良かった。
遺構を探しすぎて、願成就院をちゃんと見る時間が無くなってしまいました。失敗。

お城:守山城 静岡県伊豆の国市
HP:公式のものは見つけられませんでした。
訪問日:2021年9月

f:id:tmtmz:20210925213746j:image

概要

1458年に鎌倉公方として派遣されながらも鎌倉入りできず、堀越御所に館を構えた足利政知が、詰めの城として築いたとされます。

堀越公方足利茶々丸の頃、伊勢宗瑞に攻められ滅亡します。

宗瑞は近くに韮山城訪問記)を築き、守山城は支城として改修されたと考えられます。

その後、秀吉の小田原攻めでの韮山城包囲でも陣城として利用したとされます。

訪問記

北条氏邸のそばにある登り口からスタート
f:id:tmtmz:20210925213647j:image
現在は守山自然公園となっていて、入口には城の案内はありません。

整備されたハイキングコースを進むと
f:id:tmtmz:20210925213539j:image

広い平場
f:id:tmtmz:20210925213546j:image
明らかに削平地ですが、いつの頃のものでしょうか。
誰かの屋敷でもあった曲輪なのか、最近削られたものか。

ここを過ぎると急な階段
f:id:tmtmz:20210925213658j:image

嫌になるくらいの階段が続きます。。。
f:id:tmtmz:20210925213751j:image
登ること5分弱。結構無理やりな登り道を乗り越えて、ようやく尾根筋に出ました。

尾根筋も整備は行き届いていますが、案内はなし。
f:id:tmtmz:20210925213548j:image
大河に合わせた旗は立っているんですけどね。義時でいいのかなここ。
写真の場所のように、少し広がる曲輪らしき場所はあるのですが、自信もてません。。

と思っている内に山頂の展望広場に到着。

ここも広がっているので曲輪だと思いますが、今は展望台が、どーん。
f:id:tmtmz:20210925213629j:image
城跡としては何も分かりませんが、ハイキングコースとしては良い。

この眺めがありますから。
f:id:tmtmz:20210925213746j:image
東側の眺め。正面の山並みに韮山城もあります。

北西側
f:id:tmtmz:20210925213655j:image
すぐそばを流れる狩野川との位置関係が分かりやすい。
富士山も見えそうな距離ですが、この雲では仕方ない。

さて、ここから東側へ降りていきます。

すぐに現れたのが堀切
f:id:tmtmz:20210925213614j:image
今は階段でアップダウンになっていますが、明確に尾根筋を切っています。
初めて自信の持てる遺構が見られました笑

堀切両端はそのまま竪堀にもなっていそうな様子
f:id:tmtmz:20210925213813j:image
階段の段数で高さのイメージがつかめるはず。きっと。

先にもう1本堀切
f:id:tmtmz:20210925213642j:image
木橋がかかっていますが、もちろんこれは後から作られたもの 言う必要ないか笑
階段ではなく橋が架かるくらいしっかりと鋭さが残った堀切でした。

同じ場所ですが、
f:id:tmtmz:20210925213616j:image

高さの分かるアングルを探して。
f:id:tmtmz:20210925213611j:image
しっかりと深いことが分かるような。

というようなところが守山城で素人目にも分かる遺構でした。

最後は東側へ
f:id:tmtmz:20210925213811j:image
看板は立ってますが開けた場所ではないので、こっちから登るのは見つけにくいかも

成就院

駐車場に戻る前にもう少し寄り道
北条時政が1189年、源頼朝の平泉攻め成功を祈願して作った北条氏の氏寺、成就院
f:id:tmtmz:20210925213707j:image
石碑から山門までの距離感に往時の境内の広さを感じる気がします。
時政の死後も義時、泰時によってさらに伽藍が整えられたことも分かっており、当時はあたり一帯に広がる大寺院でした。

しっかりと大河をアピール
f:id:tmtmz:20210925213705j:image
まさにゆかりの地ですし、今は賑わっていることでしょう。

現在の山門脇にひっそりと広がる広場に成就院の石碑
当時の願成就院は、現在住宅街となっている部分を含めてあたり一帯に広がり、大きな池の周囲にお堂や塔が立ち並ぶ、臨池伽藍という様式だったということが分かっています。
f:id:tmtmz:20210925213550j:image
ただ、現在の姿は守山地区の遺構の御多分に漏れず、ここもちょっとした公園の装い。
説明はありますが、ちょっと想像しづらい。。。

成就院は、足利茶々丸が伊勢宗瑞による攻撃を受けた際に戦火に遭い、豊臣秀吉の小田原攻めにおいても大きな被害を受けました。
今の姿は、江戸時代に北条氏の末裔、北条氏貞が再建したものです。

改めて今の願成就院へ。f:id:tmtmz:20210925213650j:image
16:00までの拝観時間ぎりぎり、最終受付は過ぎていたので、迷惑にならない範囲で駆け足で見ていきます。

もちろん最初に参拝。
f:id:tmtmz:20210925213755j:image
この大御堂には、運慶作の仏像5体を含む7体の仏像と仏像胎内造像銘札4枚が安置されています。もっと早い時間に行けばよかった。見たかった。。

茅葺屋根の建物は本堂

f:id:tmtmz:20210925213653j:image
1789年の建立です。

境内には北条時政墓所が置かれています。
f:id:tmtmz:20210925213808j:image

また、伊勢宗瑞による攻撃に際して逃げ込んで自刃したとも伝わる足利茶々丸墓所もありました。

今は小さな寺院ですが、戦火を乗り越えて伝わる運慶の仏像や当時の遺構から、北条氏との縁や当時の権力の香りが少し伝わる気がする場所でした。

守山八幡宮

最後は願成就院近く。守山の山腹に位置する守山八幡宮へ。
f:id:tmtmz:20210925213637j:image
かつて大きな権力を持った願成就院の近くにある社ですが、その歴史はさらに古いもの。

鳥居脇には、源頼朝挙兵の地の石板が置かれています。
f:id:tmtmz:20210925213730j:image
1180年、源頼朝は守山八幡宮に平家追討を祈願して、挙兵しました。

鳥居をくぐってすぐに舞殿が置かれ、
f:id:tmtmz:20210925213720j:image

その奥、長い階段の上に本殿が置かれています。
f:id:tmtmz:20210925213715j:image
ただ、暗くなり始めていたので階段はパスで。。。ごめんなさい。

最後尻切れになってしまいましたが、さまざまな時代の歴史を感じてお腹いっぱいの見学になりました。
ほぼ人がいなかったのは寂しくもありましたが、静かに歴史を感じられたのは良かった。

感想

満足度 2/5

様々な歴史が交錯する地で、周辺も合わせてめぐると見どころが多くてとても楽しめます。

が、城跡としては説明が全くないので上級者向けかも。
遺構は残っていますし、展望台からの眺めは素晴らしいので、もったいないような。

せっかく旗を立てるなら看板を置いていただけると。。。

アクセス

守山城
<