岡山遠征の記憶を振り返ります。まずは津山城。
初めての訪問でしたが、知名度に負けない石垣のオンパレードに炎天下の暑さにも負けずに最後まで回ることができました。
たしかに桜まつりが有名なのでしょうが、桜だけでなく石垣も楽しまないと。
お城:津山城(67)岡山県津山市
HP:津山城について | 津山市公式サイト
訪問日:2021年8月
概要
1441年に山名忠政が鶴山城を築きますが、応仁の乱のあと廃城となります。
次に、関ケ原の戦いの後、森忠政が1604年から13年かけて築城しました。
総石垣で五重の層塔型天守に数多の櫓と門を抱える平山城でした。
森氏のあとは松平氏が治め、明治維新を迎えると、建物は売却、取り壊されました。
跡地は鶴山公園として整備されます。
2004年には築城400年を記念して備中櫓の復元がなされました。
訪問記
岡山県北部の津山は初めての訪問。
静岡からだと着いただけでかなりの達成感でした笑
津山観光センター駐車場はまさかの満車。鶴山公園駐車場は入口が狭い。。。
中は普通ですが、入口のチェーンが無駄に内側にあり、右折して入れるのにとても気を使います。こちらも入れたあと達成感がありました笑
気になる方はストリートビューしてみてください。
そんな鶴山公園駐車場から津山城まではすぐ。
入口に向かうといきなり石垣がお目見えです。
暑い日でしたが、いやでも期待が高まり、元気が出ます。
入口手前に矢穴が残った石が置かれていました。
矢穴を開けて石切り場に置かれていたので忘れ去られた石と命名されていました。
隣には森忠政像
津山城築城の祖ですね。森蘭丸の弟で、美濃金山城の生まれです。
tmtmz.hatenablog.com美濃金山城も良いところでした。
この先、入城口からが有料区域。
という訳で全体像を地図で確認です。
水色のゆっくり散策コースを少し改変して、三の丸から二の丸東側、本丸備中櫓、天守、本丸を通って北側裏鉄門を通って西から二ノ丸へ帰ってくるルートを通ります。
入城門を越えると早速立派な枡形虎口。
美しさすら感じる尖りっぷりです。
上から全景を確認です。
いやはや大きい。最初からこれだけの大きさの虎口を作れるとは先が楽しみ。
虎口を抜けると三の丸。まずは東側へ
長屋門の奧に煙硝蔵などの土蔵がたくさんあった姿は跡形もありませんが、
今は鶴山館が建てられています。
明治初期に建てられた藩校で、しばらく校舎として使われたのち移築されました。
このあたりから備中櫓を眺めると、石垣の全体像がよく見えるような
気がしましたが、木であまり見えないかなぁ。。。
表中門~二ノ丸~本丸へ
二の丸方面へ進むと表中門
カメラで撮り切れない大きさは津山城内最大で、櫓部分の長さは32mもありました。
奧まで総石垣
まさに石に囲まれる感覚。圧巻です。
右手にも小さな曲輪がありました。
ただ、この日は暑かったのでパスして二ノ丸へ。
この先も枡形虎口になって180度曲がったところに四足門がありました。
今は近くの中山神社に移築されているそう。
四足門を越えた先は二の丸です。今は桜の広場。
桜まつりも行われますし、シーズンにはきれいな景色が広がるのでしょう。
二の丸南端には鉄砲櫓がありました。
その名の通り鉄砲や大筒などが納められていました。
1822年には雨漏りで大損したことも記録されているのだとか。
鉄砲櫓から振り返ると備中櫓がよく見えます。
この角度、当時ここに居たら大変なことになっていますね笑
先へ。本丸へはまだまだ門を通らなければなりません。
まずは切手門
植樹がにぎやかで見にくいですが、本丸への通路を仕切る大きな櫓門がありました。
両側を見るとこのあたりに櫓門があったのかなという様子が分かります。
礎石もあるのだとか。
切手門の二階から引き続いて弓櫓が設けてありました。
場所でいうと切手門の上がったところから脇の石垣にかけて、でしょうか。
こちらにも名前の通り弓や具足などの道具類が収められており、こちらも雨漏りで使えなくなっていたそう。
戦の無い期間が長く、平和ボケしていたところもあるのでしょうかね。
切手門をぬけてさらに進みます。
矢穴の残る石を見つつ
またもぐるっと180度折り返して向かうは
表鉄門
本丸の入り口にあった櫓門で、こちらもその名の通り門全体が鉄で覆われていました。
また、本丸御殿への正式な入り口としての役割も持っていたそう。
1809年の火災で本丸御殿のすべての建物とともに焼けてしまいました。
赤い石はその時の火災で変色したもの。歴史の生き証人、と言ったところですね。
振り返ってみた表鉄門の虎口
木がすごくて見づらいですが、しっかりと残されていることはよく分かります。
虎口の本丸側すぐには城内への表玄関も置かれていました。
こんなにすぐに表玄関があるのは、表鉄門も御殿の一部に取り込まれていたから。
本丸が狭く、御殿の一部に防御施設を取り込まざるを得なかったのだそうです。
苦労が偲ばれます。
改めてそんな本丸がこちら。
他の本丸より広いという感じではないものの十分に広く感じますが、部屋数67、1400畳もの御殿には確かに手狭かな。
備中櫓・百名城スタンプ
今藤棚になっているあたりにも、長局と到来櫓がありました。奥に見えるのは備中櫓
いずれも本丸からの防御用の建物ですが、本丸御殿と直結しており、内部は御殿としての仕上げとなっていました。
到来櫓の名の通り、これまで来た道のりを一望できる立地です。
やっぱり桜で見えませんが、現地ではもう少し見えた記憶が。
さて、ようやく備中櫓に到着です。
現在の津山城で唯一復元された櫓。
こちらも長局や到来櫓と同様に御殿の一部として描かれており、内部も御殿建築の様相だったとされます。
さらに、繊細で女性的な作りという特徴があったため復元整備の対象とされました。
可能な限り当時を忠実に再現したという櫓内部は、本当にさながら御殿です。
茶室や
御上段も備えてありました。
ただ、窓の外は石垣直上でここからの防御も計算されていたのでしょう。
ちょっとギャップに頭がついていけません笑
そんな備中櫓でスタンプもゲット。
スタンプのモデルも天守台と備中櫓ですね。
次回、その天守台を見て裏手へ。裏手の雰囲気もとても良かったです。
同じ中国地方だとこのあたりの百名城にも行っていました。
tmtmz.hatenablog.comhttps://tmtmz.hatenablog.com/entry/2020/03/10/190030
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