にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

続百名城 大垣城 (144・岐阜県大垣市) -地域のシンボルとなった天守へ

墨俣城に続いては大垣城へ。

街中の平城ということで開発の波にのまれた所もありますが、その分のこった天守への思いも一入というところでしょうか。
いろいろなところにコピー模擬天守が建てられていますし。

ただ、やっぱり縄張りも追いたくなってしまいますが。

お城:大垣城 岐阜県大垣市
HP:大垣城 | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
訪問日:2022年8月

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概要

1535年に宮川安定、または1500年に竹腰尚綱が築いたと言われています。
この頃は牛屋城と呼ばれ、小さな城郭でした。

斎藤家、織田家による争奪戦が繰り広げられ、最終的に斎藤家が治めました。
1561年、氏家直元が全面的に改修。惣構を持つ大規模な城郭に生まれ変わります。

その後、豊臣家にも重要拠点とされ、配下の武将が入れ替わり入城します。
この間、天守が築かれるなど改修が続けられました。

関ケ原の戦いでは西軍の拠点となりますが、敗北後は包囲され、開城となります。

その後も整備は続き、1635年に入った戸田氏の居城として明治維新を迎えます。

破却を免れた天守等は旧国宝に指定されますが、空襲で焼失。
戦後、復興天守等が築かれました。

訪問記

最寄りの大垣市丸の内駐車場からスタート。
大垣城専用ではありませんが、かつての三の丸すぐ外に立地する便利な駐車場です。

目の前に広がるのは大垣城、のはずですが、どう見てもよくある都市公園
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大垣城の中心部は大垣公園として整備されていますが、本丸以外は開発が進んで堀すら少なく、かなり想像力を問われる状態です。

このまま進むには全く知識が足りませんので、まずは郷土館でお勉強から。
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大垣市全体に触れる郷土館ですが、大垣城もしっかりスペースを割かれていました。

かつて非常に立派な堀に囲まれていたことも、現代との対比もよく分かりました。
その分、どれだけ開発で失われてしまったかもよく分かりました。。。
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こちらは本丸の看板にあった縄張図をお借りしたもの

本丸と二之丸、周りを囲む堀、竹之丸あたりまでが大垣公園として整備されています。
何重もの堀に囲まれていましたが、ほとんど埋め立てられ、堀の痕跡はわずかです。

何回見ても現状とのギャップは埋めきれませんが、とりあえず、想像するだけの知識は得られたかな。

郷土館を出て、この辺が堀跡かなと考えながら本丸へ。
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都市公園の佇まいの城西広場の向こうに唐突に整備された櫓と天守が現れます。
このあたりは堀の名残すらないので、本当に唐突。

手前は戸田氏鉄公の像
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天守と合わせて、絵になります。

こちらも天守と合わせて絵になる櫓門がありますが、当時はなかったもの。
このあたりは堀があり、橋はなく、多門櫓が建っていたはずです。
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ただ、足元を除けば奥の戌亥櫓と天守の景色はこんな感じだったのかもしれませんね。

大垣城の本丸の図はこちら。
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堀も廊下橋もありませんが、一応当時に則って南の鉄門から入っていきましょう。

と言いたいところですが、鉄門は移築されており、今はありません。。。
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右の石垣は歴史を感じますが、通路といい通路沿いのグチャグチャ石垣といいなんともこれじゃない感。

人工の滝と
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金森吉次郎の像も整備されていました。
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金森さんは治水に関する地元の名士だそう。
水の都とも称される大垣ですが、水害の苦い歴史もあるようで、継承は大切ですよね。

本丸内も改変が著しく当時を想像するのは困難ですので、いまある見どころを見ていきましょう。

こちらはおあむの松
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関ヶ原の戦いの際、籠城し鉄砲玉の鋳造などに携わっていた山田去暦の娘おあむ。
彼女は落城直前に松の木に縄をかけて内堀に出て、たらい舟で脱出しました。
その時の強烈なストーリーがまとめられたおあむ物語は貴重な史料として残されており、その松とされる古木がこちらです。

なお、明らかに古木ではないこちらは3代目おあむの松。

初代は樹齢300年とも言われる古木で、それを植え継いだ2代目がいたそうですが、そちらも最近枯れてしまいました。残念。

近くには戌亥櫓が復元されています。
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天守とともに外観を戦災前のものに近づける改修がなされていて、良い雰囲気です。

となりに水の手門があって表裏をすぐ見られるのも良い笑
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こちらは当時からあった内堀につながる門です。
当時からあった門ほどひっそりとしているのはなんでなんでしょう。

出ると内堀、はなくなって普通の道路。
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本当にギリギリまで開発されています。

本丸に戻ります。戌亥櫓のすぐ裏に天守
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ただここで見たいのは足元。
見づらいですが3段目の石垣に線が刻んであります。

こちらは明治29年の大洪水でここまで水が来たことを知らせるもの。
金森さんの像とともに、水害の苦い記憶を忘れさせないものです。
にしても周囲より高い天守足元にまでくる水害とは。。。恐ろしい。

一気に本丸東側へ。

こちらは本丸北東の艮櫓
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戌亥櫓と違って、こちらは復興建築。言われてみると鉄砲狭間がチープなような

となりに見えるのは東門。いまの大垣城の正門です。
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やはり当時この場所に門はなく、あとから作られたものにはなりますが、建物自体は当時の内柳門として使われていたもの。大垣城内唯一の現存建築です。

もう一度中へ。

入ると真正面に天守
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全体像を撮りたくてうろうろしますが、夏場は木が生い茂っていて撮りづらい
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見づらいですが、これで勘弁を笑

大垣城天守は1,2層目が同じ床面積を持つ層塔型天守です。
4層の天守は珍しいものだったはずですが、このあたりでは墨俣城訪問記)や郡上八幡城の復興天守に採用されてポピュラーなものになっています。
それはそれでどうなんだろうとは思いますが。。。

中へ入りましょう。

入口でまずスタンプをゲット
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モデルは同じ構図の天守ですね。

中はもちろん大垣城の歴史に関する展示

気になったのは、関ケ原の戦いの前後で起こった杭瀬川の戦い大垣城の戦いが詳細に紹介されていたところ。
大垣城の歴史上重要なので当然かもしれませんが、ご当地の歴史を詳しく知ることができるのはありがたい。

最後は最上階からの展望
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ギリギリまで都市化していて開けた感はありませんが、

とおく関ケ原や杭瀬川に思いを馳せることができます。
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もう少しだけ、大垣城周辺を回ります。

感想

満足度 2.5/5

かなり都市化が進んでいて、本丸内も改変が著しく難しいところがありました。
当時は多くの堀に囲まれた城だったはずが今はギリギリまで街ですし、正門は全く違うところにありますし。。

天守が当時に近く改修された点は嬉しいですが、それ以外は残念な所も多くあります。
まあ、周辺の復興天守に採用されるくらいの素晴らしい天守ということで。

アクセス

大垣城