にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

大垣城周辺散策 -城下町に残る堀の痕跡をたどる

引き続き、大垣城の周辺を散策します。
ギリギリまで市街化してしまった大垣城ですが、探せば痕跡はあるものですね。
外堀と美濃路を巡り、かつてはこんなに広い城だったのか、と想像しながらの散策となりました。

その分、足は完全に棒になりましたが笑

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水門川

大垣城の本丸、天守を愛でたあとは、城下町大垣観光マップに従って周辺に残る名残を探しに向かいましょう。
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大垣城の記事でも触れた通り、今は本丸と二の丸付近だけが大垣公園として整備されていますが、かつての外堀が水門川として整備されています。

今回は、図中央の大垣城から北の水門川を経て、右上角の東総門から左下の西総門まで東・南半分を回ります。
東総門からは黒点線の美濃路めぐりコースをたどる形です。

まずは今の大垣城の正門、東門から少しだけ歩いて

すぐに駅正面のメインストリートへ。商店街が広がっています。
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アーケードのある立派な商店街ですが、休日昼間にもシャッターが下りたお店が多め。地方都市の現状って感じですかね。。
それでも当日はお祭りの出店が並んでいて、それなりに賑わいも感じられました。

大垣駅方面に少し歩くと、大通りは小さな川を渡ります。
これが水門川。かつての外堀です。
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写真は川沿いの歩道に降りたところ。
ミニ奥の細道と名付けられた散策路を反対に東に進んでいきます。
ちなみに、大垣は松尾芭蕉奥の細道の旅を終えた地でもあるそう。

東総門・大手門

水門川が北方向に折れていくところ、大垣城の正門から5分少々で東総門跡
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美濃路が外堀を越える所にあり、名古屋側のこちらは名古屋口門とも呼ばれました。
今はちょっとした広場になっていて、石碑があるくらいですが、本丸からこれだけ離れたところに総門があったという、かつての大垣城の規模感は感じやすいですね。

外堀のうち南方向に延びる牛屋川も細いながら残っていたりしますが、今日はそれより内側の美濃路を南下します。

マンション、ビル、戸建と完全に市街地の中を歩いて10分ほど。
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本町という由緒ありそうな地区に辿り着きました。

ここのビルに挟まれた窮屈な神社に寄り道です。
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廣嶺神社。

こちらに足を延ばしたのも、もちろん大垣城関連。ここに東口大手門がありました。
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美濃路の内側に走る堀を跨いで、本丸方向へと進む門でした。

大垣城の堀の内側、総郭には7つの門があり、そのうちこちらが東口の大手門。
東と南が大手で、まさに正門と呼べる立地、枡形を持つ厳重な門でした。

今は神社の境内となり、そもそも城に向かう道路すらなく、跡形もありませんが、周辺が大手とも呼ばれているところに名残が残ります。

2枚前の写真右手に写る細い水路は堀の跡だそうですが、わかりにくいかな。

大垣宿本陣・西総門

大手門からさらに南下。
まだまだビル街は続きますが、昭和レトロを感じられる建物が残っていました。
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このようなお店にお世話になったことはないのですが、それでも懐かしくなってしまうのはなんででしょう。
本当は脇本陣跡を探していたのに、見逃してしまったのは秘密。

美濃路の南東の角には、町道が残されていました。
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江戸と京とは、両端で分かりやすいような、遠すぎるような。
門が名古屋口門だったように名古屋でも良いような気がするのは現代人の感覚かな。

美濃路に沿ってさらに進みます。

東総門から20分ほど、周囲の建物が低くなってきたあたりに問屋場がありました。
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人馬の継立を行った問屋場があった場所です。

問屋場跡に立つ建物には大垣宿に関するたくさんの看板も掲げられていました。

その一つ「本陣のある町竹島町」の看板の通り、歩いて数分で大垣宿本陣跡に到着。
こちらは小綺麗に整備されていました。
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残っていないならこれくらいきれいにした方が観光地としては華がありますかね。

引き続き西へ。

当時のものかは分かりませんが、いかにも旧街道らしい微妙なクランクをこえると、明らかに歴史を感じる和菓子屋さんが残っていました。
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非常に年季の入った柿羊羹の看板を掲げたお店。

一見さんには扉を開ける勇気が出ませんでしたが、後で調べると1700年代創業の超老舗でした。
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現地で感じた気になる気持ちと、今感じている開ければよかったなぁ、、、という後ろ髪を惹かれる気持ちが表れた写真と共にどうぞ笑

こちらも問屋場跡の看板に書かれていた山車の倉庫を超えて
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東総門から30分、西総門 京口門跡に到着です。f:id:tmtmz:20220806212801j:image

ここで美濃路は外堀を超えて城外へ延びていました。
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こちらの写真は本丸方面を外から見たもの。今も橋が架かるところは変わりません。

入った先はあくまで町屋ではありますが、有事に備えて橋を架け二重の櫓に土塀も置かれた厳重な守りでした。
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チープに感じなくもない絵図にも二重の門が描かれています。

今もこのあたりで牛屋川と水門川が合流しています。
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狭くなってはいるんでしょうけど、かつてもこんな感じで堀に囲まれていたのかな。

水門川は舟下りもされていて、遠く舟が見えていました。
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今度はあれに乗って反対側を巡ろうかな。

近くには町道も残されています。
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こちらもやはり京みちと江戸道を知らせています。

最後は本丸方面へ少し進んで、柳口門跡を見学。
西総門を越えて、総郭につながる門でした。
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今の大垣城の正門として使われている、内柳門はここの内側にあったもの。

案内板の写真だけなのは、今は完全に大垣市役所だから。
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最後まで開発の波を感じる散策でした笑

このまま丸の内駐車場に戻って大垣城散策は終了。
大垣公園だけだと小ぢんまりした城に感じてしまう所、その大きさの一端を知られたのは良かったかな。

もう少しだけ西濃を巡ります。

こちらもどうぞ。

tmtmz.hatenablog.com

大垣城がモデルの天守が建つ墨俣一夜城は近くです。

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百名城つながりで。

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