天浜線の途中下車の旅、第4回は気賀駅を巡ります。
気賀といえば井伊直虎や気賀関所。
ただ、到着前にGoogleマップを見ていたら駅近くに気になる城跡も発見。
いろいろ回ったら内容多めになってしまいました。
まずは気賀駅と気賀関所から。
気賀駅
気賀駅での途中下車から旅を再開。
相変わらず木造のプラットホームと一両の気動車の雰囲気が良いです。
ただ、ここまでの駅とは違い、気賀駅は井伊直虎でデコレーションされています。
直虎ゆかりの龍潭寺の最寄り駅でもあるからか、観光に力を入れている印象。
龍潭寺まではタクシーで5分かかるそうですが、気賀駅にはレンタサイクルもあるので行けなくはないのかな。
レンタサイクルはアピールされているので見落とすことはないはず。
関係ないけど、ホームから駅舎までの微妙な距離感、昔はこちら側にも線路があったんだろうなぁ。
気賀駅も駅舎とプラットホームなどが登録有形文化財に指定されています。
もはや天浜線では珍しいことではありませんが。
駅舎正面から一枚。
こちらは井伊家のお屋敷かのような飾りっぷり(笑)
大河からは結構時間が経っているはずですが、まだまだ推し続けています。
ちなみに浜松市役所は2023年のどうする家康に乗り換えていました。
駅ナカには観光客向けの詳細な散策マップがありました。
気賀関所以外にも姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館や堀川城、獄門畷、刑部城、長楽寺のお庭など気になるフレーズが目白押しです。
実はこれ、散策後に撮った写真。散策前は人が途切れなくて、見ずにスタートしちゃったんですよね。
見ておけば自転車借りてもうちょっと詰め込んだなぁ。
さて、気賀関所のある南側から散策を開始です。
振り返りがてら一枚。
いろんな駅でこのアングルの写真を見ていますが、この雰囲気はやっぱり良い。
気賀関所
気賀関所は、気賀の地を通っていた姫街道に1601年に設けられたとされる関所です。
箱根、新居と並んで東海道三大関所と呼ばれます。
この姫街道は、東海道から見付(磐田)で分かれ、浜名湖の北岸を通り、三河の御油で東海道に戻る脇街道で、当時危険を伴った浜名湖の渡し船を避けられるとして一定の交通量があったために関所が設けられました。
関所としては明治に廃止された後も本番所の建物は長らく残りましたが、1960年に一部を残して解体されています。
現在は、一部が残る「気賀関所跡」と、別の場所に建物を再現した「気賀関所」があります。
Googleマップで検索すると二か所出てきてややこしいのはこのため。両方気賀関所なんです。
まずは再現の方の「気賀関所」から。徒歩5分くらいの駅近物件です。
早速大きな看板で迷いようもないです。駐車場も近くにありました。
入場券は通行手形と呼ばれています。
お金を払えば誰でも発行してもらえるので、現代は良い時代です。
通行手形はさすがに紙。天浜線の切符は絵馬だったのに
ちなみに、コロナでなければ着付け体験もできます。
中へ。まずは冠木門
関所の出入り口に設けられた門で、6時に開門して18時に閉門していたそう。
夜間の通行は基本的には禁止でしたが、近隣住民のためにくぐり戸が設けられていて気賀の犬くぐりと呼ばれていたようです。
こちらは今の気賀関所には無く、細江神社の近くに再現されています。
写真では冠木門から向こうの門、町木戸門が見えてますね。
当時は町木戸門の向こう側に気賀宿の町家が広がっていました。
敷地全景
中に入ると敷地外の現代の建物が見えず、当時の雰囲気。顔はめパネルは目立ってますが。
お客さんが途切れたタイミングだったからか、たまたまか、入るとともに解説の音声が流れ始めました。しばし拝聴してから見学開始。
最初に1番大きな建物 本番所
通行人や荷物の取り調べを行う場所でした。
入り鉄砲に出女の監視が当時の一番の目的で、気賀関所は特に厳しかったとされます。
本番所の向かいには向番所
こちらでは足軽や中間、門番が張り番をしながら休憩していました。
建物脇から中に入ることもできました。
向番所の裏には二階建ての遠見番所 こちらも中に入って登ることができます。
二階で遠見できるのかと思っていましたが、周りの建物が低いので遠くまで見渡せます。
当時もこんな感じだったんでしょう。
こちらは札場
文面はおふざけなしで、まじめに当時のお触れが書かれていました。
その後、要害堀や資料展示も含めて30分くらいで見学終了。
こじんまりした観光施設なので長居するものではないですが、勉強になりました。
ここまで来たらもう一歩足を伸ばします。
気賀関所本番所跡
気賀関所からは駅の反対側へ歩いて10分程度。
かなりわかりにくいところですが、Googleマップの場所は正確でした。
「ききょうや」さんと「ノズエ時計店」さんの間に看板が出ています。
そして看板脇の路地を進むと気賀関所跡の建物を見られるスポットがあります。
人の家入り口に入っている感じで、それはまぁ入りにくいですが、勇気を持って進みましょう。改めて看板があります。
この看板がなかったら諦めて帰るところでした。
「細江町」は2005年に浜松市に合併されたはずですが、手入れはされていないんですね。。
そしてこちらがその現存部分。
看板によると残っているのは屋根の切妻破風と狐格子、下の間・勝手の間の部分だそう。
外からわかるのは切妻破風と狐格子。
建物の一部が残っているというのは想像しづらいですが、確かにこの部分は特に古いような印象。
見られるのはこれだけですが、きっとたまたま残ったであろう建物跡、長く残ってほしいものです。
気賀駅散策はもう少し続きます。
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