遠出がしづらいご時世ですが、そんな時こそ密にならない近所の名所を巡りましょう。
ということで、日々Google mapと睨めっこを続けています。
今日ご紹介するのは牧之原台地にある中世山城、横地城。
国指定史跡にも指定されているので、きっと貴重な史跡なんだろうと思って行ったら正解。
戦国時代初期の古い山城ですが、遺構は実にたくさん残っていました。
過去の歴史にまつわる逸話も多く、見ていて、読んでいて面白い城跡でした。
お城:横地城 静岡県菊川市
HP:横地城跡/ハローナビしずおか 静岡県観光情報
訪問日:2021年1月
概要
室町時代の遠江の有力国人であった横地氏が築いた山城です。
横地氏は藤原氏の血を引く豪族で、鎌倉時代から室町時代にかけて約400年間、遠江の地に君臨しました。
当時の駿河守護の今川義忠と遠江守護の斯波義廉との争いにおいて、斯波氏方につきますが、敗北。
横地城も1476年に焼き討ちされ、落城しました。
なお、義忠もこの帰路に夜襲を受けて討ち死にしています。
落城の後は表舞台に登場しなくなった横地城ですが、現在も牧之原台地の尾根筋を利用した東の城、中の城、西の城の3つの曲輪、一騎駆けなどがきれいに残ります。
ちなみに、横地城のある旧横地村は横地氏の名字の由来となった土地であり、かつ全国の横地姓発祥の地とされます。
訪問記
横地城へのアクセス・駐車場位置など
冬の抜けるような快晴の下、サイクリングがてら訪問。
山城は駐車場への道が狭いことも多いので、いけるなら小回りの利く方法で行きたいもの。
かなり遠めですが、頑張って漕ぎます。
途中には牧之原大茶園。
茶畑越しの富士山
冬は晴れが多い静岡とはいえ、ここまで快晴の日は珍しく、素晴らしいサイクリング日和でした。ちょっと空っ風が強いけど。
景色もきれいでサイクリングだけで十分満足してしまいそう。
はい。話を戻します。
県道245号沿いに立派な看板が出ていました。
国指定史跡の文字が光っていますね。気のせい?
看板の先はこんな道路ですが、
右手が正解の道です。
やっぱり車一台分の細い道なので、車で訪問する方は要注意。自転車で来た甲斐あった。
散策中に3台ぐらい車が通ったので、入るならすれ違う覚悟が必要です。
この道を進んだ先に駐車場があります。看板左手の「現在地」のあたり。
運転に自信がない方は下の太めの灰色の道が本当に太めの道なので、下部中央の上池右手の駐車場が広くておススメ。トイレもあります。
横地城全体図
さて、横地城を訪問する前に全体像を確認。
ちなみに、この看板は上の図でいう広い道の駐車場にあったものです。
今回ご紹介するルートで行くと、ある程度進むまで案内図は出てこないので要注意。
大きな曲輪は西の城(二ノ丸)、中の城、東の城(本丸)の3つですが、その他にも見どころはたくさん。
中央には小学生が喜びそうな下ネタのような地名も書いてありますね。
今回は左下の「三光寺跡」から右斜め上に「東の城」まで真っすぐ向かいます。
実は山の絵もデフォルメされているようで結構忠実でした。アップダウンあります。
散策:三光寺跡~武衛原庭園跡
もう一度入り口に戻って散策開始です。
曲輪に着くまでの間も看板がたくさんあって見ていて飽きません。
まずは三光寺跡
横地氏の菩提寺だったそう。さすがに残ってはいませんね。
登るとすぐに横地氏一族の墓
その先にももう一ヶ所横地氏一族の墓がありました。どっちが正しいのでしょう?
このあたりで一気に高度を上げて尾根の上に到着。
藤丸館跡。
今は茶畑ですが、横地氏最後の若君、藤丸の屋敷があったとされます。写真が汚い。。。
隠し井戸という看板もありました。これは隠れ過ぎ。
武衛原庭園跡。斯波義廉や家臣団の住居があったと言われているそう。
近い関係性がよく分かる立地です。
ここまでは看板はあるものの実際は茶畑というところが多かったですが、この先で城跡感が増してきます。
散策:金玉落としの谷~西の城、中の城、東の城、一騎駆け
上池の駐車場からの道が合流して、すぐに金玉落としの谷と膝つき谷
実に小学生が喜びそうな名前ですが、れっきとした謂れのある地名です。
ここはかつて兵士の戦闘訓練の場でした。
兵が谷底に膝をついて待機し、山上より落とした金の玉(または木の玉)を一斉に探し、見つけたものは山上に駆け上がって賞を取ったとされます。
金の玉落としの谷だったんですね。
でも名前だけ聞いたら全然違うことを想像してしまいますねー(お前が喜んでいるって?
このあたりから、曲輪の間は一騎駆けという大群が通れない細い道でつながれています。
おかげで車も一騎掛けです。
千畳敷に到着
なんだか立派な石碑と
東屋、城址碑がお出迎え。
広い平場ですが、ここは説明なし。何があったんでしょうか。お屋敷かな。
このあたりに看板がたくさんあるので、時間がない方は先ほどの谷やこの千畳敷から見始めるのも良いかもしれません。
パンフレットがある!と思ったら、横地城ではなく地区の案内でした。。。
千畳敷の反対側には横地神社
この先が西の城(二ノ丸)です。奥に行くにつれて段を刻みながら標高を上げていきます。
また、重要な曲輪だったことがよく分かる土塁壕跡もたくさん。
もちろん最上段には今はお社が立てられています。
このお社の裏からの眺望はとても良好でした。
振り返って南方向。
短距離で標高を稼いでいて、ここからなら攻めやすそう。
戻って先へ。次は中の城
兵器庫や干飯庫が置かれた曲輪です。
何となく想像できる曲輪。隅の高まりは土塁跡でしょうか。
再度一騎駆け
アスファルト舗装、雰囲気的なご意見はあるでしょうが、とりあえず歩きやすい。
東の城(本丸)に到着。さらに小高い場所に築かれています。
左手、北面から上がります。
南面は断崖絶壁、北面は堀で斜面を切ってあります。
今まで自然の絶壁ばかりでしたが、ここにきて明らかな堀が登場。
しかもすごく立派で、この斜面から登る気は起きない。。
近くには井戸跡もありました。
東の城の曲輪
さすがに広くはありませんが、十分な曲輪。ここにも土塁跡らしき高まりがありました。
やや浮いている感もある石碑
眺望は非常に良好です。
当時もきっと今川軍の様子をこんな景色から眺めていたのでしょう。
最後に、東の城のもう少し奥の一騎駆けへ。
アスファルトがないので、こちらの方が当時の一騎駆け感を感じることができます。
ササのせいで足元も見えないのでこれは広がれない。。
感想
満足度 3.5/5
古い城跡ですが、曲輪と一騎駆け、堀がよく残っていました。さすがは国指定史跡。
非常に広い縄張りでしたが、随所に看板や謂れが書かれていて、なるほどーと思いながら回ると時間が過ぎるのはあっという間でした。
アスファルト舗装はどうかとは思いましたが、回りやすいのは回りやすい。