静岡県中部、お茶畑で有名な牧之原台地にある勝間田城の訪問記です。
続百名城でもないですが、続百名城公式ガイドブックに土居の例として載っています。
それくらい遺構、見どころ多めの城跡でした。
でも土居より五重堀切の方が印象的だったけど、そっちでは載ってなかったなぁ。
お城:勝間田城 静岡県牧之原市
HP: 勝間田城跡 - 牧之原市ホームページ
訪問日:2021年5月
概要
平安時代末期から鎌倉時代にかけて牧之原市勝間田川流域を治めた勝間田氏が、15世紀半ばに勝間田川最上流部、牧之原台地の尾根上に築城したと考えられています。
勝間田氏は応仁の乱以降、今川氏と対立し、1476年、今川義忠に攻められ、勝間田城も落城しました。
その後、城が使われたという記録はありませんが、改修の形跡が認められています。
城跡からは数度にわたる発掘調査で遺構、遺物が多数検出されています。
東方を向いて堀、土塁、曲輪が配置されており、今川氏を意識した縄張りとなっています。
訪問記
牧之原市のアクセス道路となる県道233号からスタート。
入り口となる曲がり角には看板が出ていて迷わず訪問できます。
写真ではちょいと見にくいですが。
曲がってしばらく進むと到着です。駐車場完備
駐車場の周りにはトイレとパンフレット、看板も完備
縄張りが書かれた図もたくさんあって至れり尽くせり。
一番わかりやすかったパンフレットのルート通り北東(右上)から南(下)に進みます。
ちなみに、駐車場の先にも道路が続いていて車で進みたくなりますが、これは農道です。
最後まで細いうえにすぐに通行止めになりますので、潔く駐車場に停めましょう。
三の曲輪・二の曲輪
最初の看板は出曲輪
今はお茶畑でしかありませんが、先へ進むと
木が伐採されて見やすくなった三の曲輪が見えます。
周囲は土塁に囲まれ、今いる場所との間は自然の谷になっています。
三の曲輪の入り口に立派な城趾碑
三の曲輪は土塁に囲まれた、勝間田城では一番広い曲輪です。
この先の本曲輪近辺とは違った様相で、後世の改修の可能性を考えられています。
左手には馬洗い場という水場があります。
今も水が溜まっていますね。たまたまでしょうが、水が溜まりやすいのは当時からかな。
曲輪内部はウッドチップのおかげで草も少なめで歩きやすいです。
たまにウッドチップの下が沼化していて靴はドロドロになりましたが。
三の曲輪から東側へ続く尾根には二重の堀切が設けてあります。
パンフレットの記載通り、東側への守りの意識が感じられますね。
ルートに戻って反対側の西三の曲輪は草ボーボー
さすがに入れませんが、ここに掘立柱建物跡があるようです。
ニの曲輪への虎口
この虎口も高い土塁に挟まれています。
ニの曲輪内部
二の曲輪は北と西を土塁に囲まれていて、やはり後世の改修を考えられています。
また、ここには平面復元が多数作られています。
ニの曲輪には11棟の掘立柱建物と1棟の礎石建物がありました。
特に礎石建物は珍しく、貯蔵庫や兵糧庫として使われていたと考えられています。
それにしてもこんなに平面復元があるとは。
全く知らなかったので良い驚きでした。
と言いつつ全部掘立柱で礎石建物の平面復元の写真を撮り忘れていました。。
二の曲輪から本曲輪への間には大きな堀切が設けてあります。
本曲輪、五重の堀切
さらに先へ進むと本曲輪近辺の小さな曲輪が集まるゾーンへ。
このあたりの曲輪は土塁もなく、面積も小さく、これまでの曲輪とは違った様相です。
まずは東尾根曲輪へ
尾根を登って、
東尾根曲輪
この曲輪では物見台の跡が発見されています。
東側に位置するので、やはり今川氏への備えでしょうか。
今も良い眺めです。
手前には先ほどまでいた二の曲輪、三の曲輪、遠く右奥には富士山静岡空港が見えます。
空気が澄んでいれば、富士山も見えるそう。
ここに物見台まであったら、と思うと、曲輪自体に物見の目的があったんでしょうかね。
そしてこの尾根の東側には有名な五重の堀切
が、心の綺麗な人には見えるはず。私には見えませんが。。。
寒い季節に来ないと見えませんね。一応肉眼では四本くらいは見えたような。
東尾根曲輪から東は長く尾根が続く地形で本曲輪にも近いからか、守りが特に厳重です。
本曲輪方面へ。
一番本曲輪に近い曲輪が北尾根曲輪
本曲輪周辺では一番はっきりした曲輪でした。
ここからも建物跡が検出されています。
ちなみに本曲輪近辺の曲輪の東とか西とかは、本曲輪に対する位置でつけられています。
本曲輪は四方を曲輪に囲まれた構造で、守りの意識を感じます。
そしてもう少し登ると本曲輪
先ほどの東尾根曲輪でも高さが分かるかと思いますが、そこからさらに階段を使う高さ。
三の曲輪からでもかなりの高さに来ています。
本曲輪には南西と北西の角に今も高く残る土塁が残されています。
そして年季の入った城址碑と祠。
勝間田氏の御子息も集まる城址祭が開かれているそうです。
と、本曲輪を見終えたところですが、四方を曲輪に囲まれているということは、もちろん本曲輪の脇を通って南側にも少しだけ続きます。
大きな堀切
右が本曲輪、左が隣の南尾根曲輪です。
南尾根曲輪への登り口はなかなかリスキー
左側に小さく通路が見えますかね。
登ると、南側に土塁が残る曲輪
小さな曲輪ですが大部分をこの土塁が占めています。
さらに土塁の南側は堀切。本曲輪から南側への守りも万全です。
この先はさすがに細い尾根だけ。
残る西側の腰曲輪もよく分からなかったので、ここで勝間田城の散策終了です。
感想
満足度 4/5
堀切くらいしか事前知識を入れずに向かったので、良い驚きがたくさんでした。
丁寧な説明のパンフレットと現地遺構を見ると、中世の築城思想がよく分かりました。
当然散策中は人に会うことはなかったんですが、もっと知られてほしいところです。
また五重堀切を見られる時期に再訪しないと。