にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

馬籠宿・馬籠城- 木曽路と諏訪の旅 2021春 ①

2021年春先に長野県は木曽路中山道の宿場町巡りからの諏訪湖観光に行ってきました。

まずは木曽路から振り返ります。

木曽谷沿いには木曽11宿と呼ばれる中山道の宿場町が残っていますが、その中でも馬籠、妻籠、奈良井などはかつての街並みを残すことで有名です。

第1回は馬籠宿
木曽11宿で最南端の馬籠宿。坂道の宿場町は古くとも新しい雰囲気を残していました。

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馬籠宿

木曽谷最南端の馬籠宿。現在の住所では岐阜県中津川市になります。

木曽谷の宿場町というと山深そうに聞こえますが、中央道中津川ICから20分ほど。
案外アクセスの良い宿場町です。

そのぶん観光地化されていて人も多め。

10時ちょうどに着いたのに、無料駐車場は満車でした。。。
有料の駐車場もたくさんあるので、ケチらずにさっさと停めればば良いんですけど、金に目が眩んでしまうのは人間のさがですね。

車道脇にはいきなり立派な石碑。
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江戸と京までの距離が書かれているのが雰囲気あります。

ちなみに写真奥のお店は大きなお土産屋さん。
宿場町に行くと本当に地元の方用のお店しかなかったりしますが、ここでは観光地的なお土産も問題なく入手できます。

そんなアクセス道路と直交する石畳の街並みへ。
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この石畳は宿場町の頃から続くものだそう。

古い街並みはこの石畳に沿って一本道で続きます。
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地図の赤ラインが古い街並み。

駐車場がほぼ端にあるので、散策ルートも迷いませんが、1枚前の写真で見て頂いた通り馬籠宿は坂の町。
ひたすら登りの街歩きになるのはちょっと辛め。

先へ進むと早速枡形
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左手は明治に開かれた新道。本来は右側の階段道でした。
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城郭の枡形と同じく、軍事的な意味合いがありました。

坂の宿場町なので水車もいくつかありました。
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その先も坂と石畳、古い町並みが広がります。
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明治と大正に二度大火があったため、当時から残る建物はありませんが、統一された雰囲気は素晴らしいものがあります。

まるで時代劇に出てきそうなのれんのお店や
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雰囲気になじんでいますが実は郵便局、など様々なお店が立ち並びます。
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お土産屋さんもたくさん。
木曽谷の木工品はもちろんや五平餅、アイスなど食べ歩きもあったので、コロナ明けはそんな楽しみ方もできそうですね。

その辺の軒先にレトロな機械があるのも良い。
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脱穀機ですかね??

馬籠宿本陣跡/島崎藤村記念館

宿場町の中間には旧本陣跡かつ島崎藤村の記念館があります。
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なんでかと思ったらここが藤村の生家でした。木曽路はすべて山の中~ですね。

本陣跡の建物も大半は焼失していますが、一部かつてのまま残るものもあります。
そんな建物と藤村の作品の原稿などを展示しているのが島崎藤村記念館です。

こちらがその江戸時代からのこる本陣跡の隠居所
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確かにひときわ古い気がするようなしないような。
幼い藤村が勉強部屋として用いていたこともあるそう。

そんな島崎藤村記念館の隣には馬籠宿本陣資料館
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休館日でしたので中は分かりません。見てみたかったんですが。

陣場上展望台

さらに登ると高札所
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宿場町だとよくある展示ですが、当時の街並みを考える手掛かりになって良いです。
今の宿場町の中心、入口から考えるとかなり奧にあるので、当時の街並みは違ったのかな。

宿場町の反対端は展望広場になっています。
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古い町並みとの間には少し距離があるので、街並みを見下ろすことはできませんが、

美濃最高峰の雄大な恵那山を見ることができます。
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この眺めは坂の宿場街ならではですね。

その脇には越県合併記念碑
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平成の大合併で唯一の越県合併を記念する石碑です。

馬籠宿は今は岐阜県中津川市に属しますが、平成の大合併までは長野県山口村でした。

さらに遡ると昭和の大合併までは長野県神坂村に属していました。

その時も神坂村全域で繋がりの深かった中津川市への合併を希望するも、様々あって、国の裁定で村の大部分は中津川市に、馬籠宿を含む残りが山口村に合併しました。

平成の大合併でも県が反対していた記憶がありますし、そのような背景も考えるとこの石碑の意味がよく分かる気がします。

と、いろいろと思いを巡らせたあとはお昼ご飯。

今回の旅のテーマはずらし旅。10時半とだいぶ早い分空いたお店でイートインです。

伺ったのは展望台近くのこちらのお蕎麦屋さんへ。
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店内には石臼が回っていました。
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きっと自家製粉のお蕎麦はとても美味でした。
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ちなみにざるそばはこれが2枚きますので、お腹いっぱいにもなります。

お店の情報はこちらから。

r.gnavi.co.jp

馬籠城

最後は馬籠宿から南に歩いて5分ほどの馬籠城跡へ。
予定にはなかったんですが、地図で名前を見てしまったので行かずにはいられません。

アクセス道路の反対側にある馬籠城への道中はこれまでと打って変わって田園地帯。
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カエルの鳴き声が心地よいです。

そして到着したのが馬籠城跡
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遺構などは何もわからず説明板だけですが、古くから人が行き来する重要な場所だったことが見える気がします。

ちなみに、馬籠城は室町時代には存在していたことが分かってます。
戦国期には武田氏の勢力域に収まりますが、武田氏の衰えにより織田方に木曾義昌の支城となります。

その後、義昌は豊臣秀吉の傘下に入り、小牧長久手の戦いも秀吉側で迎えます。

徳川軍への防衛線となった木曽路諸城のうち、馬籠城は義昌配下の島崎重通(島崎藤村の祖)が守りましたが、徳川軍の大きさに恐れをなして隣の妻籠城に逃れたために戦火を免れました。

その後、徳川氏の領土となりますが、そのまま廃城となっています。

さて、次はそんな妻籠城のある妻籠宿へ向かいます。

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