東信の城めぐり、続いては復元山城で有名な荒砥城。
ネット上でも多数紹介されていますが、実際に見て感じる復元建物や周辺の雰囲気はやはり違います。
遺構が分かりやすいともっと良いですが、それでも気軽に登れて雰囲気が分かる山城は貴重ですね。
お城:荒砥城 長野県千曲市
HP:城山史跡公園「荒砥城跡」/千曲市
訪問日:2022年5月
概要
室町時代末期、この地の豪族村上氏の一族、山田氏によって築かれたとされます。
村上氏は武田氏と争いますが、1553年に本拠の葛尾城が落城。山田氏は滅亡しました。
その後、武田氏家臣の屋代氏が屋代城から移ります。
川中島の戦いなどを経て、武田氏が滅亡すると屋代氏は上杉氏に従います。
しかし、徳川家康の調略もあり、1584年に反旗を翻し、荒砥城に籠城します。
上杉氏により落城し、そのまま廃城。屋代氏は家康の重臣となりました。
昭和の頃はテーマパークとして利用されますが、平成に入り中世山城を再現した歴史公園として整備されました。
訪問記
千曲川沿いにさらに北上し、戸倉上山田温泉に投宿。
温泉街になかなかなバブルの香りを感じた翌朝、荒砥城へ向かいます。
上山田温泉のバブルの香りは最後に。
この道路を通って荒砥城に向かった訳ではありませんよ笑
荒砥城は温泉街からも見える立地。
中世山城だけあって、かなりの高さですが車で行けるのでありがたいものです。
大変急な山道で到底歩けません。。。
しばらく進むと山中にもバブルの香りただよう博物館や廃墟。
B級スポット好きの方にはたまらないんじゃないかな。
中世山城に向かっているとは思えない立地です笑
まさに近代の夢の跡、、、などと考えていたら、駐車場に到着。
先述のとおり、荒砥城は今は城山史跡公園として整備されています。
観光地として整備されていますが郭の名前も振られて、城好きへの配慮も感じます。
まぁここまで来る人で城好きじゃない人は少ないか。
パンフレットから縄張り部分を抜粋
本郭から四の郭(かつては五の郭)まで一列に並んだ連郭式の縄張りです。回りやすくてありがたい笑
案内所手前には石碑。
力が入ってますね。テーマパーク感は強いですが。
案内所を抜けるとすぐ裏手が四の郭
案内図の通り結構な広さを持ちます。整備は行き届いていますが、解説は特になし。
先に進んで三の郭はこのあたりのちょっとした広がりなのでしょう。
こちらは改変されていてよく分かりません。やっぱり解説もありません。
登るとすぐに二の郭の虎口へ
たいそう立派な石垣を用いた門がおかれています。
これはそれっぽいかなと思いますが、
内部はちょっとやりすぎ感も。
本当にこうだったらすごいですが、どことなくテーマパーク感を感じます。
どの辺まで遺構に基づいているのでしょうか。解説が欲しい。
二の郭内部は兵舎や櫓が復元されています。
こちらもどこまで忠実なのかは分かりませんが、イメージはしやすいですね。
櫓は登ることもできます。
木造だと維持管理も大変でしょうに、ありがたい。
麓の戸倉上山田温泉街や
村上氏の本拠、葛尾城方面を眺めることができます。
こうやって眺めながら連絡を取り合っていたのでしょうか。
あちらも行ってみたいですが、家族旅行で行くところではないですね笑
兵舎の中は荒砥城の歴史にまつわる展示がたくさん。
たしか年季を感じるビデオもあったような。このあたりは城好きとしては嬉しい。
本郭へ向かいましょう。
門はさっきと同じで笑
内部もやっぱり同じ
本当にこうだったならいいですが、そんなことあるかな笑
本郭内部には館や兵舎が復元されています。
立体復元は平面復原よりイメージはしやすいです。どこまで当時と、、、。
登ったからには本郭からの展望も。
こちらは北方面。山田氏の後、屋代氏の屋代城も見えます。
街並みは異なりますが、山や川などは今も昔もこんな感じなのでしょうかね。
ちなみに、案内板は城情報多め。城好きを意識している姿勢は一貫していますね。
その割に遺構の案内は少ないけど。
こういうのを見ると、それらの城にも登ってみたくなりますね。また遠征したい。。
この先、尾根伝いに荒砥小城や若宮入山城、証城と続きますが、今日はここまで。
最後は本郭から二の郭越しに麓を。
兵舎、櫓越しに見下ろす雰囲気はいいですね。
中世山城は大体こんな感じだったんだろうかな。
おまけ 戸倉上山田温泉街
最後はおまけで麓の戸倉上山田温泉街の様子
表通りは綺麗な温泉街ですが、一歩路地に入るとバブルを通り越して昭和から残っていそうな街並みが残ります。場末感というやつですかね。
この雰囲気がエモいと受けているのだとか。
狭い路地に派手な看板の雰囲気は、こだわればいい写真が撮れるかも。
ホテルで推されていたのは今も残る射的場。
こういった雰囲気が好きな方は足を延ばしてみても良いのでは。
感想
満足度 3/5
遺構は感じられませんでしたが、復元建物のそれっぽさはなかなかなもの。
大河のロケに使われるのも納得です。
惜しむらくはやっぱり、当時との関係性。何度も観光開発を受けていて難しいのかな。
あと、周辺もうちょっときれいにならないかな。
アクセス
荒砥城