今回は掛川城の訪問記です。
新幹線からも見える木造復元天守が有名ですね。
最近はめっきり秋めいてきましたが、訪問したのは完全な真夏。
日差しと気温に負けずに堪能してきました。
お城:掛川城(42)静岡県掛川市
HP:掛川城|静岡県掛川市
訪問日:2016年4月、2020年8月
概要
室町時代に今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築かせたのが始まりです。
当初は掛川古城と呼ばれ、今の掛川城より東にありましたが、今川氏の勢力拡大に伴い、現在の地に移りました。
今川氏滅亡に伴い、家康が領有し、武田氏との戦いの最前線となりましたが、豊臣秀吉の天下統一に伴い、家康は関東へ移封。
その後、山内一豊が入城しました。
山内一豊の手によって、三重の天守を持つ近世城郭への改修や城下町の整備が行われました。
天守は安政東海地震で倒壊し、再建されませんでしたが、1994年に戦後初の木造復元天守として再建されました。
なお、二の丸御殿も同じ安政東海地震で倒壊しましたが、こちらは1861年に再建され、現在もその姿を見ることができます。
訪問記
スタンプを集め始めてすぐに訪問しましたが、遠出する気が起きなかったこのお盆休みに再訪問。暑かった。。。
前回は何も知らずに天守周りだけを見ましたが、今回は余すところなく訪問しました。
という訳で、当時に則って最初は大手門から。
この大手門は天守のあと、1995年に復元されました。
当時と同じ2層の櫓門で復元されています。
さすがは表玄関。本当に大きくて立派です。
天守を眺める角度でもう一枚。
当時より北に50mほど移して復元されていますので、ちょっと位置関係は違いますが、かつても入城する際はこんな景色だったのでしょう。
ちなみに、駐車場は大手門近くにあるので、今でも車で来たらここから見学を始めることになりそうです。
大手門の裏には発掘調査で見つかった礎石が展示されていました。
そして大手門正面には番所の建物が残されています。
正門を入って取り調べを受けて、という流れがよく想像できます。
こちらも安政東海地震で倒壊しましたが、1859年に再建されたものが移築を経つつ現存しています。
番所の裏には三光稲荷というお稲荷さんがあります。
見た目は小さなお稲荷さんですが、山内一豊が掛川城主だったころ、秀吉の命で伏見桃山城の築城にかかわった縁で、伏見稲荷を勧請したのが始まりとのこと。
正保の絵図からすると、この後すぐに外堀役の逆川を渡り、三の丸、二の丸方面から天守に向かうのが正しいルートなのでしょうが、宅地化しているので、ここは現代風に逆川沿いに大通りを通って天守へ向かいます。
現在の逆川。細いですがとても深い。堀の役目は十分に果たせそうです。
両岸に植わっている桜は掛川桜という新品種だとか。
逆川越しに天守を見上げます。
現代の掛川城というとこの辺りから先を指す気がしますが、ちょっと橋と道路がきれいすぎますかね。
橋を渡ってすぐ左手にもちょっとした展示があります。
正保絵図の展示。
掛川城の復元はこの絵図をもとに行われたものも多く、とても貴重な資料です。現地では大きすぎてよくわかりませんが笑
脇には松尾池跡という説明板も。松尾池は本丸南側の堀です。
ここがそうだったんですかね。
天守方面に進んでこちらは三日月堀。
本丸を守る堀の一つですね。
8mの深さがあり、発掘調査では石垣も出てきたそうですが、この写真以上は見えませんでした。上から見ないと。
天守へ向かいます。
三の丸広場付近から。夏空に天守が映えます。
現地ではまぶしくて見上げられませんでしたが笑
この階段を登って四足門をくぐって本丸へ入ります。
四足門プラス天守は掛川城の定番の構図です。
四足門だけでもう一枚。
四足門は発掘調査では痕跡は認められなかったものの、正保絵図に基づいて再建されたそう。
四足門をくぐってすぐのところにあった復元模型。
堀などはなくなっていて、現在の姿からこの縄張りを想像するのは難しいですが、現地にあると本丸付近がとても想像しやすくなります。
反対側には太鼓櫓
もともとは荒和布櫓という櫓があった場所ですが、三の丸にあった太鼓櫓が移築されています。
中に入ることはできませんが、こちらも雰囲気を高めてくれます。
このあたりに入場券売り場があって、ここから有料ゾーン。
入城券は二の丸御殿と共通です。
入城券を買った曲輪は本丸跡。
当時は本丸御殿があった場所ですが、今はお花畑になっています。
今日は暑いのでパスで。。。
見上げると登城路が。良い雰囲気ですね。
ちなみに、側溝や足元の階段が玉石になっているのは、発掘調査結果に即したもの。
玉石垣といえば同じ掛川市にある横須賀城が浮かびますが、関係しているのでしょうか。
tmtmz.hatenablog.com登り切って一枚
天守丸はとても小さな曲輪でした。
ちなみに、天守までは結構な高さです。
天守に入る前から見晴らしが良い。
わずかなスペースに井戸
今川氏真のころ、家康に攻められた際にこの井戸から立ち込めた霧に守られたことから、霧吹き井戸と呼ばれています。
いよいよ天守内部へ。
というところで今回はここまで。最近こんなんばっかりですみません。。
次回、天守から二の丸御殿を回ります。
↓気が向いたら押してやってください