にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

清洲城 (愛知県清須市) -新幹線から見えるあの天守のお膝元へ

名古屋城からその足で、名古屋の前の尾張の中心、清州城
今は新幹線から見える派手な「天守」のイメージかな。
大河の話題にちょうど乗り遅れる形でのご紹介となりました。

個人的には清州城と聞くと「鬼ころし」が最初に浮かんでしまいましたが、共感してくださる方いらっしゃるかな。名鉄で広告をよく見た記憶が。

お城:清州城 愛知県清須市
HP:清洲城 清須市ホームページ
訪問日:2022年2月

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概要

1405年尾張守護であった斯波義重により築かれたとされます。
当時守護所であった下津城の別郭であったとされますが、1476年に下津城が焼失すると守護所が移され、尾張の中心として発展しました。

1555年、織田信長が清州城を攻めます。
信長は1563年に小牧山城訪問記)に移るまで、清州を本拠に桶狭間の戦いや清州同盟を経験します。

本能寺の変の後、清州会議をへて織田信雄が城主となります。
この頃、大改修がなされ、天守、居館、三重の堀などが築かれたとされます。

その後、豊臣秀次福島正則らが城主を務めますが、1610年に徳川家康により名古屋への遷都、清州越しが指示され、廃城となりました。

訪問記

清州古城公園・清州公園

名古屋城からその足で向かったのが清州城。
清州越しを遡るコース取りですね。不敬かも。。

今は中心部が清州古城公園、清州公園、天守として整備されています。
その駐車場から散策開始。

昭和の遊園地を彷彿とさせるポップな城門?から入城です。
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ポップな城門ではありますが、門の向こうが清州城の主郭にあたるはず。
写真では分かりにくいですが、低地にある駐車場から公園へと登る構図で、駐車場が内堀と思われます。

改めて二つの公園と今の清州城天守を現地地図で確認
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五条川の上に描かれた二つの公園が主郭にあたる場所。
残念ながらど真ん中を線路が走っていますが、公園の形は主郭の名残を留めます。
縄張図は公園にはありませんが。
今の清州城天守は川の対岸。主郭を外した場所に設けられています。

まずは線路の北、清州古城公園へ。
線路際のかなり窮屈な公園ですが、その中心にはちょっとした高まりと祠があります。
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古城跡の石碑と
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祠と思って軽く参拝して流してしまうかもしれませんが、ここがかつての本丸天守台跡
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見渡す限りコンクリがちがちの都市公園と線路で、さすがにかつてに思いを馳せるのは厳しいにせよ、ちょっとした高低差から名残を感じるのも楽しいものです。

五条川沿いにはちょっとした観光施設と
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川の護岸整備で見つかった石垣跡の復元も置かれています。
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軟弱地盤に対応した梯子胴木と野面が説明されていて、これはこれで興味深い

まぁこっちを見てほしそうな雰囲気は感じますが。
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今の天守の前に、まずは線路の向こうの清州公園

ただこちらはよくある公園の雰囲気で遺構は感じられず。
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信長と濃姫像を眺めてお散歩したら目立つあちらへ向かいましょう。

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清洲城天守

川を渡ってやってきました、今の清州城天守
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きれいというか新しいというか笑
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まぁ年季が入れば印象も変わるかな。

熱田神宮のそれをまねた信長塀と
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なんだかきれいなお庭と天守も整備されています。
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お庭と天守の構図、どこかでと思ったら岸和田城でした。平和な時代の構成ですね。

tmtmz.hatenablog.com

内部は歴史博物館。
天守の利用法としてはよくあるものですが、展示は結構充実。
かつての清州の繁栄や歴代城主の紹介など見応えありました。かつての栄華を伝えたくなる気持ちは分かります。

一番印象に残ったのは、スポーツ新聞調に当時の戦を紹介するコーナー。
戦の結果を派手派手に紹介するのはもちろん、広告など細部までこだわっていて、写真が撮れるなら撮ってご紹介したいものでした。

最上部からは清州の城下町が移ってできた名古屋の市街地や名古屋城
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小牧山城から岐阜城
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見えると書かれていましたが、天気が悪かった笑

足元にかつての清州城主郭と、それを分断する線路の様子はよく分かりました。
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線路は線路でも東海道線と新幹線の並走でかなりの幅なのが痛いですね。。

清州城周辺散策・清州宿本陣

最後は清州城の周辺を少しだけぶらぶら。

近くの一見何の変哲もない橋になにやら説明が。
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五条橋という橋で、古くは斯波氏が清州城を築いた頃にかけられたのだとか。
面影は薄くともこの場所が要衝だったことの証拠ですね。

もう一つ回ったのが、清洲宿本陣
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清州越しの後に置かれた美濃路清州宿の本陣跡。
濃尾地震で倒壊し、火災にも遭ってしまいましたが、正門は再建されて今に至ります。

門だけではありますが、重厚な雰囲気は素晴らしい。
清州城散策で唯一歴史を感じさせてくれる建物でした。

感想

満足度 2/5

遺構は少なく、かつての繁栄の名残を感じるのはさすがに難しかった。
周辺もありふれた住宅街になっていますし。
天守台の高低差を頼りに想像力をフルに発揮すれば、多少は気持ちが分かる、かな。

天守」もコテコテの外観はいろいろ意見があるでしょうが、中身はそれなりに楽しく、博物館と割り切ればありかもしれません。

アクセス

清州城