にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

花の都公園でコスモス観賞

この4連休、外でできるレジャーをということで、山中湖にある花の都公園へ花を見に行ってきました。
名前に違わず様々な花が咲き誇っていて、とても良い気分転換でしたので簡単にご紹介。

ニュースの通りに道中は渋滞が酷かったですが、公園は感染対策もしてあって、また広いからか全く密ではありませんでした。
もちろん出発の数日前から体調に異変がないことを確認して向かいました。
感染予防は大前提として、できるところから少しずつ元の日常に戻していければ良いですね。
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花の都公園

花の都公園は山中湖の近くにある大きな公園です。
有料区画と無料区画からなり、どちらも沢山の花が咲いていました。
でも楽しむなら有料区画に入ったほうが楽しめるかな。入場料もお手頃ですし。

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この看板で薄い黄色は無料区画、濃い黄色は有料区画です。
今回はもちろん両方回りました。

公園に向かう前に山中湖沿いのお店でハンバーガーとサンドウィッチを調達。
訳あって料理の写真はありませんが、とても美味しかったです。

r.gnavi.co.jp

まずは芝生広場でピクニックです。
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良い天気、心地よい気温、清々しい空気、きれいな青い芝生、広い空。
素晴らしいピクニック日和です。

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写真では分かりませんが、並木道の向こうはコスモス畑です。
ちょいちょいチョウチョが遊びに来たり、理想的な芝生広場でした。

と、とてもピクニック日和だったのですが、なぜか私たちのほかにピクニックをされていた方は一組だけ。。
コスモスを見に来られた方には羨ましがられたのですが、完全に見世物状態。
レジャーシートを広げている私たちは恥ずかしさでいっぱいでした笑
という訳で、せっかくの美味しいサンドイッチもさっさと食べてレジャーシートを片付けてしまいました。

あとから見てみると、同じようにレジャーシートを広げたお客さんがたくさん。。
どうやらタイミングが悪かっただけだったようです。残念。

花観賞

気を取り直してお目当ての花観賞です。

まずはコスモス

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一面のコスモス畑がです。広いので全く密になりません。
ちなみにここは無料ゾーンです。太っ腹。

広さを伝えるべく引きの画を撮りましたが、コスモスは花が小さいので、引きだとあんまりきれいに見えないですね…目で見るととてもきれいなのですが。

という訳でアップです。
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理想的な咲きっぷりですね。綺麗

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これくらいが目で見た時に近いかな。綺麗でした。

山中湖なので富士山をバックにした景色も期待できます。

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この日は富士山は恥ずかしがって出てきてくれませんでした。
たぶん正面のすそ野が富士山です。

次は百日草ゾーン。
こちらもとても広い。そしてここまでは無料ゾーンです。

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一面咲き誇ってました。
コスモス畑もそうでしたが、ちょいちょい花畑の中に入れる通路があって、中を通れるのがうれしいです。子供たちは走り回っていました。

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カラフルでいいです。暑くもなく良い季節になりましたね。

こちらはサンパチェンス。ここから有料ゾーン内です。

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名前は教えてもらうまで分かりませんでしたが、花の絨毯という感じ。これぞ花畑。

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富士山バックは時間を変えてもやっぱりダメですね笑

もう一つブルーサルビア
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遠目にはラベンダーかなとか言ってしまいました。
こちらも花の間に通路が作ってあって、お花畑の中にいる写真を撮っている人がたくさんいました。 私は撮りませんでした。絵にならないので。

公園散策

花の都公園は、花以外にも楽しめるものがたくさんありました。見どころの多い公園ですね。

こちらは4人乗り自転車。家族向きですね。
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家族で乗っている人がとても多かったので、こちらは自分たち以外やっている人がいなくて恥ずかしくなる心配なしです笑
ちなみにカップル用の2人乗りもありました。

奥の清流の里という区画には遊具広場に水場もありました。
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こちらは明神の滝という名前の滝。とても人工っぽさはありましたが。
そしてこの下には三連の大きな水車や水遊びができる区画が整備されていました。
ここは子供向けな印象。

こちらはもう少し奥にあった、溶岩樹型の展示。
ここだけ突然自然にできた興味深い地形を楽しめる大人向けの区画でした。
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溶岩樹型は、火山噴火時の溶岩で木が包まれてしまい、冷えた後に風化して跡だけが残ったものです。
この先に地下の様々な溶岩樹型を見てまわれる施設もあって、ほかの区画とは全く違った面白さがありました。

感想

暑くも寒くもない季節に、いろんな種類の満開の花を楽しめて大満足の一日でした。
ピクニックも恥ずかしくない程度に人がいたらなぁ 笑
カップルで楽しむもよし、家族で楽しむもよし、いろいろな楽しみ方ができる施設ですね。
紅葉もきれいだそうなので、機会があったらまた来てみたいものです。

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最後は、道端の花壇に咲いていたほおずき。
道端の小さな花もきれいな季節になりましたね。

基本情報

花の都公園
山梨県南都留郡山中湖村山中1650
山中湖花の都公園 - 富士山・山中湖観光スポット
有料駐車場あり。4連休中日でも空きはありました。

お花シリーズでこの辺もいかがですか?
梅雨のアジサイ

tmtmz.hatenablog.com

夏のひまわり、は時期外れでしたが。

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百名城 岡崎城(45・愛知県岡崎市)2/2 -本丸~風呂谷曲輪・坂谷曲輪へ

前回に引き続き、岡崎城を回ります。今回は本丸から。
ちなみに、その1はこちら。

tmtmz.hatenablog.com

訪問記

本丸

ようやく本丸に入ります。
本丸は往時は天守に月見櫓、辰巳櫓などが建っていましたが、それらは全て破却となっています。
今は中心に龍城神社(岡崎東照宮)が建っています。

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建物が増えてちょっとごちゃごちゃした印象かも。
どうしても天守に目が行きますが、天守に向かう前にもう少しだけ回ります。

南側の眺望。

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赤い橋が神橋。手前は龍城堀と奧は乙川(菅生川)ですね。
下から見上げても絵になりますが、1回目に回ったこともあり、今回は写真はパス。
川に堀に防御が万全です。

脇へ進むと辰巳櫓。

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これは、ちょっと。。外観は似せてありますが、とても事務所っぽいたたずまい。

天守

気を取り直して天守へ向かいます。
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天守台も含めた全景がようやく見えてきました。
この天守台の石垣は岡崎城でも古い石垣の一つだとか。

天守脇には家康公に関するいくつかの碑がありました。

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遺言の石碑

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産湯の井戸かなと思ったら出世開運 龍の井だそう。

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なかなかな伝説が書かれていますね。

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こちらは東照公遺訓碑

という訳でようやく天守へ。ここでスタンプを押せます。

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モデルはもちろん天守
天守の内部は資料館の展示スペースになっています。平均的な内容だったかな。

風呂谷曲輪

天守の見学を終えて、もう少し周りをまわります。
最初は風呂谷曲輪。先ほど見た龍城堀の内側の狭い曲輪です。

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横長で狭い構造で、石垣上の櫓から横矢がかけられるようになっているそう。

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階段を登りきったところに風呂谷門がありました。こちらも横矢をかけられる構造。
それにしても古びた石垣が苔むした雰囲気が良いです。

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もう一つアップで。

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もういっちょ。きれいに撮れた気がしたので。

坂谷曲輪

本丸から埋門側の坂谷曲輪へ。西側です。
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埋門の跡。きれいに舗装されてスロープになっていますが、石垣が雰囲気あります。

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下から埋門。石垣が立派に残っていて良いです。
ただ当時は門にも外側にも二重の升形があったそう。
その面影は見てとれませんでした。

埋門を出たところの堀。
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中途半端に水が溜まっていますが、これは水堀でしょうか。
空堀に雨水がたまったのでしょうか。

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もう一つアップで。
石垣が施されていて、深さも含めてとても立派です。

対岸から

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写真ではわかりにくいですが、10mを超える立派な石垣です。

坂谷曲輪には見所がたくさんあります。
こちらは胞衣(えな)塚

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家康生誕時ののへその緒や胎盤を埋めたと伝えられる塚です。

こちらは産湯の井戸
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家康出生時に産湯を汲んだと伝えられる井戸です。

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今は手前に浄水器を通した井戸水が触れるようになっています。さすがに飲めないそうです(笑)

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案内板の脇には竹千代像。ほかの案内板にはいなかった気がしますが、見るとほっこりするのでもっと居ても良いのに。

反対側に目をやると、本丸曲輪と持仏堂曲輪の両方が見えるポイントを発見。

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左手の持仏堂曲輪は直線的な石垣、右手の本丸曲輪はそれより古い曲線的な石垣です。
奧には見にくいですが、石橋の廊下橋も見えています。(ぜひ現地でご覧ください。)

坂谷曲輪最後は、持仏堂曲輪の腰巻石垣。
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江戸時代前期に作られたあと、改修を受けずに残っている石垣だそうです。
そういわれると、よく分からないのに一層貴重な気がしてしまいます(笑)

坂谷曲輪最後は、持仏堂曲輪北側の二ノ丸との間の堀を横から。
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雨で霧がかって、なんだか幻想的な雰囲気じゃありませんか?

辰巳櫓

最後に少しワープして本丸の辰巳櫓から菅生曲輪方面へ。
こちらもとてもきれいな石垣が残っていたので。

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岡崎城でも最も完成度の高い石垣なんだとか。
確かに隅の算木積みの石はとてもきれいに直線に並んでいます。

感想

満足度3/5

初めて行った時は復興天守の印象ばかりでしたが、今回きちんと回ると天守以外にも見所がたくさん残っていますね。
持仏堂曲輪周りの清海堀や至る所にある雰囲気の異なる石垣など、見ていてとても楽しかったです。
大手門、二の丸から入っても持仏堂曲輪だけは通ってほしい笑

かつては全国有数の広さだったこともあり、きれいに一周することができないのは仕方ないかなと思いますが、看板の地図がデフォルメされすぎていて縄張りが把握しにくかったことだけが残念でした。自分の想像力不足かも?

アクセス

岡崎城

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百名城 岡崎城(45・愛知県岡崎市)1/2 -二の丸~持仏堂曲輪・清海堀を回る

浜松城訪問からの徳川家つながりで、岡崎城へ。2回目の訪問です。

1回目の訪問は百名城スタンプ収集を始めてすぐのころ。
当時は復興天守くらいしか記憶がありませんでしたが、空堀、石垣など面白いところが多いですね。成長しました。

もともと立派なお城だったのは承知の上でしたが、縄張りが複雑すぎて行ったり来たり。。。順路は最後まで分かりませんでした。

お城:岡崎城(45)愛知県岡崎市
HP:岡崎公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト
訪問日:2016年6月、2020年9月

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概要

岡崎城は、矢作川と乙川の合流点近くの龍頭山に、西郷頼嗣が1455年ごろに築いたのが始まりとされます。
1531年に松平清康が改築、1542年に竹千代(のちの徳川家康)が誕生します。
一時は今川家の支城となりますが、桶狭間の戦いを経て家康が戻り、ここを拠点に三河を統一します。

その後家康は浜松城に移り、豊臣秀吉によってさらに関東に移された後は、田中吉政が入り、近世城郭へと大規模な改築を行い、惣構の堀や天守などを築きました。
また、城下町としての岡崎の街の整備が行われたのもこの頃です。

関ケ原の戦い後は徳川家の聖地として重視されます。
1617年には櫓を持つ三重三階の天守が築かれました。
明治維新後、天守は取り壊され、城内も払い下げられましたが、1959年に天守が再建されました。

訪問記

1回目は名鉄東岡崎駅から歩いての訪問で、まっすぐ天守に向かってしまいましたが、今回は車で再訪問。余すところなく回るつもりです。

ひとまず菅生曲輪近くの駐車場からスタート。
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今は芝生の草原ですが、当時は低地の曲輪で下級武士の家があったそう。
菅生川が増水したら水が来る場所でした。ちょっとかわいそう。

実際にはここから天守の見える方に乙川方面に進んだのですが、スマートに表から回った体で復元の大手門方面に向かいます。

写真右手の櫓脇にある切り通しを通ります。
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舗装整備されていますが、このグネリ具合と石垣が雰囲気ありますね。

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切通しから東隅櫓を眺めます。ここの石垣は古そうですね。
東隅櫓は入れるそうですが、見逃してしまいました。。

二の丸

切り通しを抜けると国道1号に出ます。
道沿いに進むとすぐに立派な大手門
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大きくて存在感あります。まさに岡崎公園の正門、という感じ。

ただ、実際にあった場所からは少しずれていて、門脇に七間門の説明板が置かれていました。
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門の移築や、公園としてきれいに整備されていることもあって、二の丸付近は当時の姿が想像できませんでした。

こちらも大手門のそばにあった岡崎宿二十七曲りの説明。
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機会を見つけて城下町探索もしてみようかな。

二の丸を進みます。

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広場の中心にあったからくり時計

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本多平八郎忠勝像
銅像にしては小さめな気がしますが、凛々しい雰囲気がすごい。

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こちらはしかみ像
三方ヶ原の戦いで敗れた家康がその気持ちを忘れないように書かせたとされる絵と同じ構図の石像です。
ちなみに、この時土砂降りの雨が降ってきて私も表情もこれに近いものになっていました。

二の丸には、案内所や家康館、能楽堂などの建物も整備されています。

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こちらは能楽堂 この時は入れませんでしたが。

持仏堂曲輪

天守方面に進んで、持仏堂曲輪へ。
このあたりから一気に城跡感が出てきます。
ただ、公園の案内図にはこの辺のスポットが全然書いてないんですよね。観光客向けではないのかもしれませんが、面白いのに。

二の丸と持仏堂曲輪とを仕切る太鼓門跡です。

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その名の通り、城下に時を知らせる太鼓が置かれた櫓があったそうです。

持仏堂曲輪の全景。小さな曲輪ですね。
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ただ、この曲輪は岡崎城でも最も強固な防御を誇るとされます。
入ってきた二の丸は写真手前方向、天守は左手奥に見えますが、堀で仕切られて真っすぐ進めません。
道は左手前方向に伸びていて、180度向きを変えないと進むことができず、その間は細い帯曲輪になっていて横矢を受ける構造になっていました。

持仏堂曲輪には、竹千代と家康公のベンチが置いてありました。

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天守と写真が撮れて良い撮影スポットですね。

右手奥には廊下橋が写っています。
天守と持仏堂曲輪を直接つなぎ、出撃、脱出の際に使う橋で、今は石橋になっていますが木橋だったと考えられています。
天守と本丸以外の曲輪を直接つなぐ廊下橋は日本で唯一とのこと。

先へ進みます
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持仏堂曲輪と本丸を区切る清海堀が見えてきました。岡崎城で最も深い堀です。
また、曲がった堀ということからも推測されますが、城内でも最も古い時代に作られたと考えられています。
左手の本丸側は土塁、右手の持仏堂曲輪側は石垣になっていて、改修の変遷も見て取れます。

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清海堀越しの天守と御廊下橋。
天守の形こそ違えど、当時もこんな感じだったのでしょう。
さっきまでのきれいに整備された二の丸との差についていけなくなりそうです。

本丸に到着。

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若干ワープしているのはご愛嬌ということで。
このまま回っていきたいところですが、長くなったので本丸からは次回へ。

tmtmz.hatenablog.com

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古城訪問記 曳馬城(静岡県浜松市)

浜松城訪問に合わせて、その前身となった曳馬城跡も回りました。
今は東照宮になっていて、城跡感は皆無ですが、せっかく浜松城まで来たなら合わせてまわって、2公との3ショット写真を撮っておきたいところです。

お城:曳馬城 静岡県浜松市
HP:オフィシャルなものは見つけられませんでした。
訪問日:2020年6月

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概要

曳馬城の築城に関しては諸説ありますが、15世紀ごろ今川貞相によって築城されたとされます。
その後、徳川家康が入城。浜松城として西側に大きく領域を拡張して改築されました。
改築後は米蔵として利用されています。

明治期に元城町東照宮が建てられ、今に至ります。

訪問記

浜松城訪問後、その足で向かいました。歩いてすぐです。
浜松城からは太い道(国道152号)を挟んで向かい側。
駐車場から道路側を眺めると小高い森が見えるところが曳馬城跡(元城町東照宮)です。
今は木々と家、ビルで見晴らしはありませんが、きっと当時は高台からの眺めがよかったのでしょう。

正面から見た絵がこちら。

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概要で述べた通り、今は元城町東照宮になっています。
家康を祀っているので東照宮ですが、見た目は普通の町の神社ですね。

と思ったら隅に小さく石碑がありました。

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隣の説明板とともに歴史を大切にされている様子が見えてうれしいものです。

境内を見てもこれが城跡というにはさすがに小さすぎますが、当時は4つの郭からなっていて、東照宮の境内はあくまでその一部だったそうです。

中に入ります。
小さな神社なのですぐに回れてしまいますが、境内脇に銅像を発見。
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徳川家康豊臣秀吉の二公像です。秀吉の方は少年ですね。
家康は分かりますが、なぜ秀吉?と思ったら、最初に仕えた松下氏に連れられて訪れたことがあるのだとか。
なかなか遠い縁な気もしなくもないですが、この二人にこんな接点があったとは面白い。

ちなみに、もう一つの説明板では秀吉が曳馬城を訪れて松下氏に仕えるきっかけを得た、と書かれています。
微妙にずれているような、両方あっても辻褄は合うような。もう少し勉強しないと分かりませんね。

この二公像、真ん中の黒い石に立って写真を撮ると出世運が上がるのだとか。
ただ、一人だったので写真を撮ることはできませんでした。出世できないかも。。。

ぐるっと回ると、大事そうに柵がされている何かが。

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終戦直後に建てられた祠の台座でした。
浜松空襲で焼けてしまった東照宮ですが、直ぐに地域の方が祠を設けたとのこと。
その後、区画整理事業が計画されますが、この祠のおかげで破壊を免れたそう。
こうして曳馬城跡として回れているのもこの台座のおかげですね。

ぐるっと回ると正面に帰ってきます。

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三つ葉葵の紋がきちんと施されています。拝殿の正面には龍が、側面には獅子が掘られているそうですが、側面は見逃しました。。

参拝して、曳馬城跡訪問完了です。

感想

ネットで調べると、いろんなところで「せっかくなら来ておきたい」と書かれていたので来てみましたが、その評判がよく分かる場所でした。
城跡らしい遺構はほぼ何もありませんが、浜松城からすぐですし、浜松城の歴史に思いを馳せるスポットとして良いところでした。
観光としても浜松城まで来て、そのあとちょっと足を延ばして二公像で写真を撮ってお参りをする、というコースなら十分楽しめるのではないでしょうか。
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こんな感じで家康の散歩道というモデルコースも紹介されています。
全部で13もあるので、さすがに全部一度に回るのはしんどいですが、散歩ついでに回ってみても良いかもしれませんね。

基本情報

曳馬城
静岡県浜松市元城町112-1

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続百名城訪問記 浜松城(148)その2

浜松城訪問記その2
ようやく天守に入ります。

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その1はこちら
tmtmz.hatenablog.com

訪問記

天守

天守曲輪を回り切って、ようやく天守へ。
好きなものは最後に残しておくたちなので。

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ちなみに、この天守台も当時のもの。

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まぁ今までの石垣と同じ風合いをしているので何となくそんな気はしますが、やっぱり自然石を組み合わせてうまく積み上げていっているさまが良いです。

ようやく本丸内部へ。
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中は昭和の香り漂う歴史資料館になっています。
まぁこれはこれで、こんなものかなと。

天守の1階でスタンプをゲット。
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天守門と天守がモデル。そりゃそうですよね。

ちなみにスタンプは天守の入り口ではなく、1階にあります。
入城券を買ってもスタンプの案内がなくて焦りますが、1階をぐるっと回るとスタンプが置かれていますので、焦らずに探しましょう。
私は危うく早とちりしてスタッフさんに聞くところでした。

最上階の3階は展望台になっています。金網がちょっと邪魔ですが。

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南側の本丸曲輪と広場方面。かなり街に飲み込まれてしまっているんですよね。

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こちらは東の天守門と二ノ丸方面。発掘状況はどんなもんなんでしょうか。

天守の展示で面白かったのは地下の井戸
籠城の時のために井戸を作るのは分かりますが、それを残して再建されたのはうれしいですね。

本丸

天守を終えて反対側の埋門から外へ。
左手の石垣は八幡台と呼ばれるところ。
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天守台より一段高くなっていて、城を守る神社をお祭りしたと言われています。

こちらは裏門に当たる埋門
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相変わらず石垣が立派です。

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近くに浜松が誇るゆるキャラ家康くん直虎ちゃんがいました。
浜松の街中にはたくさんいるのでちゃんと見たことがありませんでしたが、ピアノにウナギにと特産品がたくさん盛り込まれていたんですね。

そのまま真っすぐに浜松市美術館方面に進んでも良いのですが、もう少しだけ城跡と石垣を楽しみます。
遊具が置かれた平場を進んで、天守曲輪の石垣を下から眺めます。
天守曲輪の石垣には、邪(ひずみ)屏風折出隅入隅と呼ばれる変わった形状の石垣が残されています。
特に邪は国内現存例の少ない構造とのことで、見たかったのですが、どれか分かりませんでした(笑)

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こちら多分屏風折。上からの死角をなくして、防御機能を高める工夫です。

浜松城公園日本庭園

載せきれないくらいの写真を撮って、城跡部分は終了。
そのまま残りの公園パートを散策。日本庭園があったので入ってみました。

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城跡にゆかりがあるのかと思いましたが、説明板からは特に縁は読み取れませんでした。
ですが、ふらっと入ってみると思いのほかきれいに整備されていて良い雰囲気。
こういう予期せぬ出会いはうれしいものです。

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緑と水のある景色は心が安らぎます。

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曇りでもきれいに写真を撮れる技術が欲しい(笑)

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10分もあれば回れる広さでしたが、良いリフレッシュになりました。
ほとんど人もおらず、静寂に包まれた良い日本庭園でした。

そのまま近くの曳馬城へ向かいます。

感想

満足度 3/5

観光としては、復興天守天守門で、これぞ城跡と思える、歴史好きは石垣などを通して古に思いを馳せられる、よい城跡でした。
石垣は言わずもがな、復興天守もそれなりになじんでいて街のシンボルとして良いのですが、ただ城跡メインで回るにはちょいと狭いかな、という印象。
発掘を通じて歴史関係の展示が増えれば、歴史施設としての楽しみも増えますね。その日に期待です。

基本情報

浜松城
静岡県浜松市中区元城町100-2

  • アクセス
    電車:JR浜松駅から徒歩約20分
       または遠鉄バスで市役所南 バス停下車 徒歩5分
    車: 東名高速浜松ICより約30分
      無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    天守閣1階
     8:30~16:30
       休館日:12/29-31
       入場料:大人200円 中学生以下無料
  • 城跡
    同上
    公園自体は17:00までです。
  • 所要時間
    0.5~1時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城関連だと掛川城高天神城、吉田城でしょうか。

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続百名城訪問記 浜松城(148)その1

台風10号が不安ですね。。
今の注意喚起が取り越し苦労に終わってくれれば良いのですが。

さて今回は浜松城
静岡県民なのでテレビで良く姿は見ていましたが、初訪問。
荒々しい石垣が良いですね。

お城:浜松城(148)静岡県浜松市
HP:徳川300年の歴史を刻む出世城。浜松城
訪問日:2020年7月

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概要

浜松城は、15世紀ごろに築城された曳馬城を前身とします。
築城者は諸説ありますが、今川貞相とされます。

その後、徳川家康が調略、武田信玄の侵攻への備えとして1570年に本拠を岡崎城から移しました。
この時に、曳馬という地名が敗北につながるとして、地名と城名を浜松に改めました。
家康在位中に様々な戦いが起こりましたが、その中でも三方ヶ原の戦いでは、武田軍に対して一方的な敗北を喫し、浜松城へ敗走することとなり、家康の人生最大の危機の一つといわれます。

1586年に家康は駿府城に本拠を移しました。
その後は、堀尾吉晴が一時入ったほかは譜代大名が入れ替わり次々に入りました。
この時に入った歴代城主が幕府の要職に就くことも多く、出世城の異名を取りました。

明治維新の際に廃城となり破壊され、公園となりますが、1958年に復興天守が再建されて今に至ります。
なお、堀尾時代に天守が築かれたとみられますが、江戸時代初期には失われたようで、その後は再建されませんでした。
また、当時の姿を伝える資料も残されていないため、復興天守丸岡城がモデルとされます。

訪問記

梅雨のさなかに車で訪問。
公園の北東に隣接して無料駐車場があるのでとても助かります。まぁ浜松は車社会ですからね。
ちなみに、駅からもそう遠くはないので、公共交通でのアクセスも容易です。
駐車場は二ノ丸の跡地にあって、すぐ隣が浜松城公園なので迷うこともありません。

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名前の雰囲気からし駿府城公園と比べてしまいますが、あちらほど公園全体が城跡という感じではなく、天守付近だけが城跡ゾーンになっています。

看板に従って天守の方へ。
しばらくは芝生広場と小学校跡地を眺めながら公園のお散歩です。

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こちらはその小学校跡地、旧元城小学校です。
二ノ丸の残りは旧元城小学校跡地と浜松市役所になっています。

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元城小跡地では発掘調査をしていました。

二ノ丸には藩の行政機関である表御殿と藩主の居間などからなる奧御殿があったそうです。今の市役所にもつながりますね。
発掘調査では、建物跡や堀跡、瓦などが見つかってきているとのことで、これからの進展に期待です。

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歴史関連施設の整備計画全体もでかでかと紹介されていました。
発掘調査関連の成果もここに入ってくると良いですね。

二ノ丸を見ながら、天守側に足を進めると市役所のビルの向かいにちょっとした展示スペース。
最初は本丸への入り口だった鉄門の跡地の案内板。
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近くに推定位置の書いたプレートも埋められていました。

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ただ、今の本丸方面への道はこんな感じ。払い下げられていますし、もうちょっと進まないと城跡感は薄いですね。

とか言っていると、近くに古そうな石垣
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こちらは2014年の発掘調査で新たに見つかった、1590年代の堀尾吉晴時代のものと思われる石垣です。
カラフルな横長の自然石を組み合わせた野面積みで、あまりほかで見ない風合いになってます。
それでいて横に目地が通るように積まれていて、良く積んであるなーと。
石垣の裏には排水機能を高める石が詰められていることもわかっているそうです。
当時の技術力がわかって面白い。

本丸に上がる前に、下から天守を眺めます。
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何となく絵になりますが、これは現代の浜松城。堀尾時代以外は天守はありませんでした。
でも今の姿も絵になるので、これはこれでありなのかなと。

本丸

下からの姿を十分楽しんだら坂を登って本丸へ
ここからが城跡に来た感じになりますが、本丸はあまり広さがありません。
というのも、残っているのは西半分で、ここまで見てきた道路と市役所も本丸の一部だったようです。まぁ残っているだけでもありがたいと思わないと。
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本丸から眺める天守門と石垣
木が生い茂っていてなかなかきれいに見えません…

本丸には家康像
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若き日の家康像とのことですが、若さは感じませんでした笑
そもそも痩せているイメージがあまりなかったので、家康とは分かりませんでした。。

本丸から天守曲輪の石垣
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こちらも同じカラフルな野面積み。良いですね。
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もういっちょ石垣
看板で石を引き抜かないように書かれていますが、石を引き抜くやんちゃな人なんているんでしょうか

天守曲輪

天守へ向かいます。
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こちらの天守門は廃城時まで残っていて、江戸時代を通して浜松城を代表する建物だったそうです。
2014年に絵図や礎石跡を参考に再建されました。
雰囲気を盛り上げてくれてとても良いです。
再建された年代のわりに周りにも馴染んできています。

門をアップで
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両脇に鏡石。無骨な感じが良いです。

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中に入ると天守のアップ。
天守のある曲輪もコンパクトなので、いきなりのお出迎えとなります。

その前に天守門脇の石垣を近くから。

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いいですね。(何回も言い過ぎ?笑)

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天守門裏側。
中はちょっとした展示スペースになっていて、入ることができます。
さすがに中はピカピカでした。

天守に入る前に天守曲輪を回ります。

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天守曲輪のもう一つの門、埋門近くの井戸です。さすがに水はありません。

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天守台と天守

天守曲輪もそんなに広くはないので、さくっと見てまわれます。
これでも一番遠くから見たところです。
2/3程度の大きさで再建したといいますが、確かに天守台との大きさがあっていない気も。
なんでちょっとコンパクトにしたんでしょう?

いざ、天守へ。
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と行きたいところですが、長くなってきたので、今日のところはここまで。

次回は、天守内部から浜松城公園について書いていければ。

ちなみに駿府城はこんな感じでした。

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横須賀城(静岡県掛川市)-丸石積みに二つあるに大手門と特徴たっぷりの古城

酷暑の8月が終わりましたね。
最近はさすがに少しは落ち着いてきたでしょうか。
コロナも一緒に少し落ち着いてきたので、次こそ長く落ち着いてほしいものです。

さて、過去旅のご紹介が一区切りしたので、最近の近場のおでかけに戻ります。

はじめは静岡県掛川市横須賀城
百名城ではありませんですが、高天神城のスタンプをいただいた公民館で掛川三城物語の動画を見てから気になっていたお城です。

河原石の石垣、二つある大手門など特徴たくさんの良いお城でした。

お城:横須賀城 静岡県掛川市
HP:静岡県掛川市 横須賀城跡
訪問日:2020年6月

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概要

横須賀城は、武田家の高天神城攻略の拠点として徳川家康が家臣の大須賀康高に命じて1578年に築城した城です。
1581年には目的通りに高天神城が落城、その後は遠州南部の拠点、浜筋道と海上交通の押さえとして機能しました。

城主はめまぐるしく替わったものの、最終的に西尾家で落ち着き、明治維新を迎えました。
一度は城内の樹木に至るまですべてが払い下げられましたが、住民の声によって保存活動が行われ、今に至ります。

訪問記

横須賀城は駐車場が南と西に2か所あります。
特に調べずにナビに従って向かうと南側に到着しましたので、ここから散策開始です。
ちなみに、西の方が少し広くてトイレもあります。
どちらでも一周ぐるっと回って戻る分には大差ないので、お好みで良いと思います。

駐車場脇に掲示板があり、全体像と説明板。

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絵図がわかりやすいですね。
現在は本丸を中心に整備されていて二ノ丸、三の丸は大部分が空き地となっています。
また、現在地は当時は外とつながっていなかったこともわかります。

この図にあるように、通常は一つしかない大手門が、東大手門、西大手門と2つ書かれているのが横須賀城の一つの特徴です。

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こちらは説明板。なんというか役所の掲示板っぽさを感じますね。
書いてある文章はHPのものと同じでした。

横を見るといきなり河原石の石垣がお出迎え。抜群のアクセスです。
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玉石積といわれる珍しい石垣。天竜川の河原石を運んで築いたそうです。
復元に際しては大井川の河原石を用いたとのこと。
天竜川から変わったのは当時と何が違ったのでしょう。

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門などは跡も見えなくなっていて、いきなり階段で天守方面へ上る形。
どことなく公園っぽさを感じます。

一段上がって中段。
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河原石がなかなか見ないので、城跡じゃないような印象を持たせます。

階段を上って本丸最上段へ。
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最上段には復元模型。随所に説明板も置かれていて、整備が丁寧です。
素人でも問題なく様子が理解できてありがたい。

そして奥には天守台です。
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城址碑と天守台でもう一枚。
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三層四階の天守があったそうですが、宝永地震で倒壊し、そのまま再建されませんでした。

本丸から海側を眺めます。
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現在は海は遠くに見えるだけですが、築城当時は南側は直ぐに海で、東西も入り江に囲まれており、城内に船着場がありました。
こちらも宝永地震で隆起して湊が使えなくなり、軍事、経済両面で大打撃を受けたと推測されています。
近くの湊まで運河を作ってしのいだそうです。

もう一度天守台から本丸上段を眺めます。

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今は草原ですが、当時はどんな様子だったのでしょうか。

本丸上段を堪能したら、西の丸方面へ向かいます。
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西の丸越しの本丸。西の丸は草で道すらわかりにくい状態ですね。。

西の丸から下へ降ります。
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こちらは結構急な傾斜です。

随所にこのような案内板があって、理解を助けてくれます。
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西の丸西側の駐車場へ。こちらの駐車場にはトイレもあります。
また看板が置かれています。
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こちらの歴史の説明はまた別のもの。
いろんな角度から横須賀城のことを学べます。

ここから西側、二ノ丸方面は完全に宅地化されているので、本丸北側の米倉跡を歩いて北の丸方面へ向かいます。
こちらは今は林になっています。

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ちなみに、写真右手の崖の上が本丸です。
そんなに登った記憶ないのですが、結構高いです。

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米倉の北側は川が流れていて、分かりにくいですがこちらも断崖になっています。
築城当時、陸続きだったのは北側だけですので、こちらの防御を固めたのでしょうか。

そのまま進んで北の丸へ。
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北の丸には数棟の建物が経っていて、武器庫の跡だったと言われています。
側室が住んでいたこともあるのだとか。
今は綺麗な芝生広場ですね。ここが一番公園っぽい。

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ですが、隅には石が並んだ建物の遺構の復原展示があります。

北の丸の北東方向には松尾山という山があります。
平山城だった横須賀城の主郭の一部は松尾山に延びていました。
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こちらは東端の多門櫓跡の平面復原。
多門櫓は発掘調査で推測される構造から、完全な復元は困難とのことで、控えめな復元にとどめてあります。

多門櫓の北側には空堀があったとのことで、頑張ってのぞいてみました。
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現地ではもうちょっとわかりやすかったのですが、これは分からないかな。

本丸東側を回って帰ります。
この部分、発掘調査で遺構は見つかっているものの、不明点が多いそうで、復元表示はほとんどありません。

まわりこんで本丸東側へ続くスロープへ。
こちらには立派な河原石の石垣があります。
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よくこの高さまで河原石を積み上げたものです。
今は近くで見るとコンクリで補強されているのが見えてしまってちょっと残念ですが。
アップでもう一枚。
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不安定そうですが、実際のところ強度面はどうなんでしょう。

石垣にひかれて見に行ってしまった結果、三日月池は見逃していました。

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最後にもう一度お決まりの構図から眺めて横須賀城終了です。

感想

満足度 3/5

河原石の石垣がいきなりお出迎えしてくれて、第一印象から特徴的な城跡です。
整備されているのは本丸近辺が中心ですが、説明板も数多く置かれていて、丁寧に整備されているお城という印象です。
ここまで丁寧なら続百名城でも良いんじゃないかな、と思ったり。

せっかく復元した石垣が、その辺にある石垣風の壁のように見えてしまうのは残念ですが、構造上仕方ないですね。

基本情報

横須賀城
静岡県掛川市西大渕

  • アクセス
    電車:JR袋井駅からバス 「大東支所」行または「横須賀車庫前」行で「七軒町」下車 徒歩5分
    車:東名高速 掛川ICより約30分
      無料駐車場あり
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    0.5~1時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城関連だと掛川城高天神城でしょうか。

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