にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

松本街歩き -松本神社・旧開智学校・松本城ゆかりの地巡り 甲信の旅2020秋⑥

松本城を見終えましたが、まだまだ松本を観光します。見どころ多いですよね。ホント。

まずは松本城の北側にある歴史遺産巡り。
有名な旧開智学校に加えて松本城ゆかりの地を巡りました。

この散策は松本城HPのモデルコース、北コースを参考にアレンジしました。

www.matsumoto-castle.jp

松本神社・松本城北不明門跡

まずは松本城の北隣にある松本神社へ。
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敷地面積は小さな神社ですが、松本城とも縁の深い神社です。
松本城主だった戸田松平氏の祖、松平康長の子、永兼を祀る陽谷霊社(ようこくれいしゃ)が始まりです。
その後、戸田氏の祖先を祀る神社5社を合祀したことで五社と呼ばれるようになりました。

そんな松本神社には、松本城北不明門(きたあかずのもん)がありました。
さっきの写真じゃないよ
三の丸から北側につながる部分に設けられ、馬出と合わせて造られていたそう。
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今は門は現存せず、石碑のみです。
ピカピカの石碑と井戸がありましたが、現状からは惣堀も含めて想像がつかないですね。

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近くにあったケヤキは非常にきれいに色づいていました。

旧開智学校

松本神社をお参りしたあとは、松本観光の次の定番旧開智学校へ。
歩いて5分くらいかな。
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旧開智学校は、明治初期に建てられた小学校です。
時代を反映した文明開化のにおいを感じる擬洋風建築で、建築当時から日本を代表する学校校舎とされていました。

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2019年には国宝にも指定されています。

そんな旧開智学校の最大の特徴は、一見洋風のようで洋風ではないなんとも言えないバランスの見た目です。

遠くから見ると綺麗な洋風建築のようなんですが、
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近くで見ると何となく違和感を感じるこの造りが、擬洋風建築。
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学校名を掲げる天使の下には龍の彫刻がいたりするアンバランスさが特徴的です。

ちなみに、ひとつ前の写真、実は車寄せの右と左で窓の数、建物の幅が違います。
こういう左右非対称さも純粋な洋風建築には無い特徴だそう。

地元の大工の方が、国内の洋風建築を見て建てたという大らかな感じが良いですね。
旧開智学校を建てられた方が、当時あった洋風建築を参考にすべく、東京近郊でスケッチされた絵が今も残っています。

旧開智学校の中はもちろんいわゆる小学校なんですが、
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ペンキで描いた木目や
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龍の彫刻など、今の学校にはとてもないような細かな技巧が駆使されています。
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今ではまねできないと思うと、当時の余裕なのか熱意なのか、違いを感じられる気がしますね。

もう一度外に出て、最後はこちらの角にある石
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ですが、これも描いたもの

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洋風建築の石積みを模したデザインだそう。
和風建築は木製ですから違いに苦労されたのかもしれませんね。

建築には全く明るくありませんが、それでも特殊さ、興味深さはよく分かりました。
不勉強でも現地の案内で十分に追いつけるところも含めて面白いスポットでした。

旧司祭館

次に向かう途中にあった古そうな洋風建築も外だけ見学。旧司祭館という建物。
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こちらも明治期の建築ですが、フランス人神父が立てたれっきとした洋館です。

外観は水色板張りですし、裏は全面ガラス窓といかにも洋風な建築も目を引くものでしたが、中に入る時間はなかったので外見だけ。ごめんなさい。

松本城のゆかりの地を巡る

賢忠寺跡

賢忠寺は、かつての松本城水野忠清が、父忠重の位牌安置の場所として建てた寺でした。
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が、残念ながら廃仏毀釈で廃寺に。
今は水野氏が安置したと言われる首貸せ地蔵尊が残るのみです。

高橋家住宅

もう一つ、高橋家住宅松本市街には貴重な江戸時代の武家屋敷跡です。
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が、まさかの休館日。残念。

北門馬出跡

さてさて、気を取り直して、松本城の遺構探しへ。

こちらは一見ただの児童公園ですが、このあたりが北門のあった場所付近の惣堀跡
北門は北側から城内に入る通用門として使われていました。
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もちろん今は北門も残っていませんが、この窪地が惣堀跡ということを物語っていますね。

まぁ、上の写真だけだと物語っていないかもしれませんが、
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横に目を移すと惣堀につながることから、何となく昔の土地利用が想像できます。

北門の北側には馬出の名残を感じるスポットもあるそうですが、そちらは分からなかったなぁ。

北馬場柳の井戸

北門馬出跡近くの北馬場柳の井戸付近は、堀沿いの直線道で馬場に使われていた地域。
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今は堀も埋め立てられていますが、お堀端から湧き出た水を使って井戸が作られたそう。

近くにはもう一つ、葵の井戸がありました。
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本当にいたるところに井戸があります。
アルプスの伏流水か何かで松本は地下水が豊富なんでしょうね。きっと

と今回はここまでですが、次回もう少しだけ松本街歩きを続けます。
有名な中町通りや縄手通りへ


赤1:松本神社 赤2:旧開智学校 赤3:司祭館 赤4:賢忠寺跡 赤5:高橋家住宅 赤6:北門馬出跡(北門大井戸) 赤7:北馬場柳井戸

この旅は善光寺からでした。

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百名城 松本城(29)-天守内から太鼓門へ 甲信の旅2020秋⑤

前回に引き続き、松本城を見学です。
天守の姿に目を奪われがちですが、それ以外の見どころも回りますよ。

前回はこちら。

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天守内を見学

天守六階から一通り外の景色を堪能したところからリスタート。

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もちろん次は内部の見学です。
六階には古い書類が飾られていました。
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天守櫓拝借懇願書建言書
よくある古い書類かと思いきや、松本城天守を守るために昔の人が動いた大切な証拠でした。

版籍奉還後、全国の城郭の大部分は破却されました。
松本城も例外でなく、競売にかけられ400万円ほどで落札、取り壊されることになります。
ですが、結果的に有志が買い戻したことで、取り壊しから免れることができました。

この書類は、買い戻し資金の調達に向けて、有志が松本城天守で博覧会を開催するために天守の借用を依頼した際に提出されたものです。
結果的に5回博覧会を開催、寄付金も併せて天守を買い戻すことに成功したため、今の松本城の姿があると思うと、感謝しかありません。

天守6階の梁の上には、十六夜が祀られています。
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お告げに従って1618年から明治維新に至るまで毎月26日にもちをついたものを供え続けてきたものです。
火災がないのは信心の賜物かもしれません。

ちなみに、井の字に梁が組まれた構造は桔木(はねぎ)構造というもの。
てこの原理を利用して重い瓦屋根の軒先を支えています。
このあたりは解説によく書かれています。

五階には千鳥破風、唐破風が設けられ、内側からも外の様子を眺めることができます。
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戦の際に重臣たちが作戦会議を行う部屋と考えられています。

一気に三階へ。
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写真の暗さからも分かるように窓のない階で、外からは見えない階となっています。
二重目の屋根の裏にある。倉庫として使われていたとみられています。

下りて、辰巳附櫓へ。

ここからは江戸時代に増築された部分。
これまでとは雰囲気が違い、周囲には石落としはありません。

窓は格式高い花頭窓
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奧へ進んで月見櫓
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薄い板戸に明るい開放的な作りになっていて、平和な時代を感じさせます。
月見櫓が残るのは岡山城松本城だけ、天守と一体というのはここだけです。

徳川家光善光寺参拝にあわせて増築されたものの、結果的に訪問はなくなってしまったそう。
時の城主には申し訳ないですが、そのおかげで今素晴らしい櫓が見られるので、造って頂いてありがとう、ですね。

月見櫓で天守内の見学は終了。

改めて天守を眺めつつ残りを眺めます。
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太鼓門、二の丸御殿跡

天守にばかり目が行っていましたが、ようやく落ち着いてほかの見どころを巡ります。

こちらは太鼓門
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ですが脇目にまずは二の丸御殿跡へ。

こちらも現存してはいませんが、平面復元されています。
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もともと副政庁として使われていましたが、本丸御殿の焼失後は正政庁として使われました。

こちらもかなりの広さですが、本丸御殿よりは小さかったので窮屈だったとか。

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明治維新の後は筑摩県庁として使われていましたが、こちらも焼失してしまいました。

太鼓門へ向かいます。近くには太鼓門の礎石
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明治維新の際に近所の肴問屋さんが譲り受けたものを大切に保管されていたそう。

太鼓門枡形一の門
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門全体も威厳がありますが、巨石が何よりすごい。
玄蕃石と呼ばれます。

太鼓門二の門は高麗門
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この二つの門で枡形を形成しています。

太鼓門への土橋は鵜の首と呼ばれる、門に近い側が細い形をしています。
侵攻してきた敵兵の動きを鈍らせる仕掛けです。
今の太さだとあまり影響がない気もしますが、当時はもうちょっと細かったのかな。

ここまでで天守付近の遺構見学は完了です。
もう少しだけだ周辺の遺構の散策に続きます。

感想

満足度 4.5/5

偉大な天守だけで満足度は最高ですね。
周りにも有名な観光地が多いですし、何かにつけていけるのも良い。
良いものは何度行っても良いです。

天守周りも、当時のまま残っている建築物は少ないですが、二の丸までの縄張りはかなり残っていて太鼓門などの復元もあるので見ていて想像が膨らみやすいです。
もうちょい空いていて入りやすければ良いのになぁ笑

基本情報

松本城

  • アクセス
    電車:JR篠ノ井線 松本駅 徒歩20分 
          または松本駅から周遊バス 松本城・市役所前 バス停下車 徒歩3分
    車:長野道松本ICから約20分 
      有料駐車場は多数ありますが、満車になることもあるようです。
      公式HPで空車状況を見られます。 
  • スタンプ・開館時間
     松本城管理事務所
      8:30~17:00(入場は16:30まで)GWとお盆は延長あり 
      観覧料:大人700円、小・中学生300円
      年末以外無休
  • 城跡
     同上
  • 所要時間
    1.5時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと高島城が比較的近く。
    百名城関連は長野県は松代城上田城高遠城小諸城龍岡城などたくさん。
    観光地としても開智学校、安曇野上高地などなど。松本観光で一日使っても十分楽しめます。

この旅は善光寺からでした。

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百名城 松本城(29)-水堀に映える5重の天守を眺める 甲信の旅2020秋④

旅行2日目は松本城から。
言うまでもなく有名な名城。
規模、姿、形どこをとっても素晴らしい天守は何度行っても良いものです。

紅葉に映える黒い天守。この上ないものでした。
青空だったらもっと良かったのでしょうが、それは高望みですね。

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お城:松本城(29) 長野県松本市
HP:国宝 松本城 - 松本城をより楽しむ公式ホームページ
訪問日:2017年7月、2020年11月

概要

1504年に府中小笠原氏一族の島立貞永が、林城の支城の一つとして築城した深志城が始まりとされます。
1582年に松本城に改名します。

1590年の徳川家康の関東移封に伴い石川数正が入城、近世城郭への改修、城下町の整備が始まりました。
子の康長の代に、今日に至る天守などが完成しました。
その後は城主が変わりながら明治維新を迎えます。

1872年には天守が競売にかけられますが、地元の有力者に買い戻されました。
二の丸御殿が全焼したり、天守が傾くなどの危機もありつつ、都度有志の保存運動がおこり1930年当時の国宝に指定。
1952年に改めて天守・乾小天守・渡櫓などが国宝に指定されました。

姫路城と2基しか現存していない5重の天守が一番の見どころです。

訪問記

二の丸から眺める天守

松本城は言うまでもなく日本屈指の人気を誇る城です。
コロナ関係なく観光客が多いうえに、密を避けるために入場規制もかかっていて、人出が増える時間帯には長時間の待ちが発生しています。

そんな屈指の観光地に待ち時間なく入るために、お宿は松本城近郊の浅間温泉を確保(訪問記)。
というわけで、その利点を最大限に生かすべく、朝一に出発です。

松本城の埋橋近くに車を置いて、まずは埋橋

赤い橋と水堀、黒い天守が絵になります。
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近くには真っ赤な紅葉も。
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綺麗。本当に。朝一番に来てよかった。

さて、現在一般的に松本城と呼ばれる区域には有名な天守以外にも二の丸と本丸を中心に、内堀全体と外堀の半分ほどが残っています。
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とはいえ、そんなに複雑な縄張りが残っているわけでもないので、散策路はほぼ一本道。
この地図の左上に書かれた9番 埋門から下の6番 黒門へ向かいます。

元の二の丸、今の松本城公園を歩いていきます。
地図左下5番のカメラマークからもう一枚。
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天守や附櫓も含めて良く見えます。
本などで良く紹介されているアングルですね。

黒門に到着ですが、その前に今の入り口から一枚。
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城址碑の国宝の文字が良いですねぇ。

黒門

さて、黒門を通って本丸に向かいます。

見えるは黒門の二の門
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二の門は平成元年に復元されました。

黒門は枡形虎口になっています。
今もここでお金を払うために観光客が滞留しますので、ある意味昔と同じ働きをしているのかも。

黒門の一の門
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大きな石を使って立派な門が再建されています。
残念ながら設計図がなかったそうで当時とは違うのでしょうが、門の格式高さから黒門という名がついているので、雰囲気は大体こんなものなのかな。

進むと当時の城域のイメージ図がついた看板。
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松本城公園の地図は遺構の情報量少なめだったのでありがたい。
かつての松本城は、四角い本丸、凹型の二の丸、その外を三の丸が囲む縄張りでした。
本丸から二の丸は今も大体縄張りの形が残っていますね。

本丸 本丸御殿・百名城スタンプ

本丸に入ってもやっぱり天守が気になって見てしまいます。
が、その前の芝生の本丸御殿跡も見ておきたいところ。
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瓦で仕切られているところが本丸御殿でした。本丸は芝生広場だった訳ではありません。
藩の正政庁かつ城主の居館でしたが、1727年の火事で焼失、以後その役割は二の丸御殿に移され、再建されませんでした。

本丸御殿跡をじっくり見るのは天守を見たあと、という順路ですが、天守を見た後はそちらの余韻を感じたいので、本丸御殿跡は今のうちに。

スタンプ天守と反対側の管理事務所で押すことができます。
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モデルは天守しかないですね。埋橋からでしょうか。

天守

いよいよ天守へ向かいます。

松本城天守は、写真左から、月見櫓、辰巳附櫓、大天守、渡櫓、乾小天守からなります。
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天守、渡櫓、乾小天守戦国末期月見櫓、辰巳附櫓江戸時代初期に増築されたもの。
それぞれ時期が違うため、戦への備えなどで全く違った特徴を持ちます。

このまま雑学コーナーに突っ込んでいきそうですが、その辺の違いは中に入れば分かりますので、細かいことはこれくらいにしましょう。

外観で分かりやすいところとして、5重の天守は姫路城と並んで2基しか残っていない貴重なものです。

天守に入る前には清正公駒つなぎの桜
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加藤清正松本城に立ち寄った際に駒をつないだ桜とのこと。
本丸御殿と合わせてイメージすると、当時の景色が何となく見えるような。

天守入場口に着いたのは朝9時半。10分程度の待ちで入ることができました。
出るころの待ち時間は60分(!)になっていたので、早めに入るのが吉です。
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待ちは石落としがよく見えるアングルから。

松本城天守の石垣は野面積み
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横目地が通っているようでいて完璧ではないところ、四隅の算木積みの不完全さも含めて、移り変わりの時代ということを感じます。

天守内部へ

きちんと10分待って中へ入ります。
ちなみに、靴は持ち歩き、傘は傘立てに、というよくあるスタイルです。

最初は乾小天守
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こちらは入ることはできず見るだけ。
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日本語と英語で書いてあることが違うんですが。。。

天守は様々な展示がありつつも、人の流れに押されてまず最上階へ。

その中で印象的だったのは、二階の火縄銃などの鉄砲の展示
時代背景も相まって、松本城は矢狭間や鉄砲狭間がたくさん設けられ、天守から内堀、外堀の距離も鉄砲の射程を考慮されていたそう。

階段待ちを挟みながら最上階の六階へ。まずは外を眺めたくなりますよね。
東の本丸御殿方面。
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瓦の全貌から御殿のサイズ感を感じます。
残っていたらどんなだっただろうか。

埋橋方面

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当時の鉄砲の射程を考えた堀、なのかな。

さて、ここから天守内部を見ていきますが、長くなったのでここからは別立てで。

この旅は善光寺からでした。

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浅間温泉富士乃湯 -戦国武将二木氏の末裔が営む温泉宿 甲信の旅2020秋③

初日のお宿は松本の奥座敷、浅間温泉へ。

泊まったのは浅間温泉富士乃湯さん。

お部屋とお食事めあてに選びましたが、着いてびっくり。驚くほど由緒正しいお家柄でした。
そりゃ廊下に松本城の絵図とか飾ってあるわけです。
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アクセス・お部屋

川中島観光のあと、松本市郊外の浅間温泉へ。
浅間温泉は松本から車で10分ほどで、松本市奥座敷とも呼ばれるのだとか。
そして浅間温泉の温泉街に富士乃湯さんはあります。アクセスは良好。

まぁ長野市から松本市までは遠いので、なんでわざわざというところですが、それはまたおいおい。

富士乃湯さんは全8室の小さな隠れ宿です。
お宿があるのも狭い道沿いで、まさに隠れ宿という雰囲気。

fujinoyu.com

ただ、カーナビで富士乃湯さんと入れるとご丁寧にその狭い道沿いの正面玄関前につけてくださいます。
ここは本当に狭く、車一台通るのがやっと

駐車場は別にあるので、HPで書かれている駐車場に直接向かうのがオススメです。
HPにも正面への道が案内されていますが、従わない方が得策です。

玄関前で駐車場を探して戸惑っていたら、女将さんを外まで出てこさせてしまいました。ごめんなさい。

そのままチェックインとなりましたので、いきなりお部屋へ。

予約したのは半露天風呂付客室。りんどうだったかと。
豪華絢爛というものではありませんが、落ち着いた雰囲気の広いお部屋で大満足でした。

和室は10畳。
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お食事はこちらでいただきます。
朝は広縁から外を眺めてゆったりできました。外をヤモリ歩いていたような。

寝室はお隣。ベッドです。
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こちらに和室より大きなテレビがあったので、食事の後はずっとこちらにいました。
ちょっともったいなかったかな。

部屋付きの半露天風呂。
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さすがに外は見えませんでした。

湯温はめちゃくちゃ暑かったです笑 窓を開けて温度調整しました。
写真では小さく見えますが、入ってみると十分な広さ。良いお湯でした。

ちなみに、貸切風呂も大浴場もありますので、お好みで選べますよ。

あと、お手洗いが2か所もあったので、大人数で泊まっても不便しないかもしれません。

二木氏ゆかりの品々・古美術品

チェックインの際に女将さんから紹介されて初めて知りましたが、こちらのお宿、戦国時代の武将二木重高の末裔が営むお宿でした。

二木重高信濃小笠原家に仕え、小笠原長時の越後亡命後は武田信玄に仕えた武将です。
武田家滅亡後は嫡子の重吉とともに小笠原家再興に尽力したことで知られます。

そのためか、手紙や古美術、二木家の歴史のまとめなどが飾られていました。

こちらは、旅館で所有する現存最後の松本城の複製
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1713-1718ごろ書かれたと見られています。
太鼓門復元の際に、復元の拠り所とされたそうです。
こんなものを持っているお宿があるなんて。

ロビーに飾られていた掛け軸たち。
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先代が収集した西郷孤月の掛け軸はなんでも鑑定団で6点合計2000万円の値がついたそう。
素人なので正しい価値は分かりませんが、素人でも良いものであることだけは分かります。

そのほか裃や刀などもたくさん並んでいて、美術館に来たかのような充実の見学ができました。

お食事

お部屋に戻って今夜の夕食。部屋食で至れり尽くせりの夕食です。

南瓜のポタージュと前菜盛り合わせ
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信州サーモンと信州大王イワナのお刺身、馬刺し
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焼き鮎と松茸のお吸い物
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スモーク信州サーモンのマリネ
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信州牛のシチュー
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きのこはジューシーな本しめじでした。

松茸ごはん
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メイン食材以外にもお野菜から果ては調味料まで、地元松本産食材にこだわったお食事は素晴らしかった。
量も程よく、味も大変美味でした。

朝ごはんはオーソドックスな和定食
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その場で作るお豆腐や
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松本の農場で取れたうみたて卵など特徴的なメニューもありました。
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夜は静かで、接客も多すぎず少なすぎず適度。お風呂も良いお湯、お食事も大変美味しく、大満足のお宿でした。 
また行きたいなぁ。

この旅は善光寺からでした。

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川中島古戦場 -武田軍本陣の土塁跡 甲信の旅2020秋②

実は善光寺に向かう前、行き道で気になるスポットを見かけていました。

川中島古戦場

みんな知っている有名スポットが、長野ICから市街地への道中にあると初めて知りました。
予定になくとも、場所を知ったら行ってみたくなるもの。
気持ちを抑えきれず、予定を詰め込んで訪問してきました。
本当は松代城にも足を延ばしたかったけど

川中島古戦場
HP:川中島古戦場史跡公園のご案内 - 長野市ホームページ
訪問日:2020年11月

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川中島古戦場公園

善光寺から車で20分。今夜の宿に向かう途中に訪問。
インターすぐそばでアクセス抜群の立地です。

古戦場によくある?だだっ広い原っぱではなく、広い公園になっています。

この時は秋の紅葉が綺麗な公園でした。
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紅葉と落ち葉の絨毯。きれいでした。

この看板の左下の茶色い部分がいわゆる歴史スポット、八幡社です。
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もう少し紅葉を眺めつつ、歴史スポットへ。
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八幡社

八幡社へ到着。
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ここまで当然のように八幡社と言ってきましたが、八幡社の神域が今回の訪問の目玉です。

ただ、ここがまさに古戦場という訳ではありません。
まぁこんなに神域では三万の戦いはできませんよね。

八幡社は第四次川中島の戦いで武田軍が本陣を築いた地と伝えられる場所です。

有名なのは一騎討ちですよね。現地でも一騎討ちの地と紹介されています。
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看板も多く、かなり力を入れて整備されています。

土塁跡も見えてそちらが気になるところですが、
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ここは神域なので、まず参拝。
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さて、周りの見どころ散策を開始します。

八幡社散策

一番目を引くのはこちらの大合戦図。
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看板自体も大とつけたくなるサイズです。大きさは3枚後の写真でよく分かるかと。

現在地、と言われると臨場感が出て、周りを見そうになりますね。
端っこでよかった、かな。あの場所に入りたくはないけど。

解説板も完備です。
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こちらは八幡社神殿脇にあった執念の石

信玄めがけて切り込む謙信に相対した大隅が信玄の危機を救ったあと、謙信を取り逃がしたことへの無念から、持っていた槍で石を貫いたとされます。
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確かに穴が開いています。
槍でこの岩はちょっと力も槍も強すぎる気がしますが、それだけ怪力だったのでしょう。

正面にはまたも土塁跡が残っていました。
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升形陣営の名残がちゃんと残っていることが驚きです。
これを見ると本当にここに陣を敷いて大規模な戦いがあったんだなぁと想像が広がります。

そして有名なあの銅像へ。

一騎討ちの銅像

それがこちら。一騎討ちの銅像です。f:id:tmtmz:20201103213953j:image
謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたという伝説に基づく銅像です。
1969年の大河ドラマ放送記念で建てられたもの。

躍動感がすごいですが、本当に太刀を軍配で止められるものなのかな。
そもそも執念の石と話が合わないんじゃないかな、とか考えちゃいますが、言うのは野暮ですね。言ったけど

こちらは首塚
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看板によると、戦のあと、近くの海津城松代城)主の高坂弾正が、あたり一帯の戦死者6000余人を敵味方なく手厚く葬った塚の一つです。
これを知った上杉謙信は感激し、信玄が塩不足に悩んだ際に塩を送った、敵に塩を送るの故事誕生のもとになったとされます。

塩を送る部分の真偽はさておき、この首塚、周りにも大小の塚があるのは事実です。合掌。

神殿の反対側には、逆槐(さかさえんじゅ)
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信玄が本陣を構えた際に、土塁の土留めに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだものが芽吹いて巨木に成長したものだとか。

隣には三太刀七太刀の碑
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謙信が単騎乗り込み、信玄めがけて切り込んだとされる三太刀と、受け止めた信玄の軍配についていたとされる7か所の刀傷が由来です。

見どころを一通り見終わったところで、もう一度振り返ります。
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何も知らなければ小さな神社ですが、ちゃんと見て回ると見どころたくさん。
秋の雰囲気も良かったかな。散策にちょうど良いところでした。

そしてふと見かけたそういうスポットにフットワーク軽く向かえたのは成長したかも。
行ってみて、読んでみて、眺めてみて、勉強になるスポットでした。

公園内には長野市立博物館もあります。
当然、川中島のことも展示されているようですので、お時間あれば。

ちなみに

公園には佐久間象山がいました。
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象山先生も長野松代の出身だったんですね。

とても俗な感想ですが、この象山先生、非常に背が高かった。
台座も象山先生も大きく、見上げるのに疲れるこのサイズの銅像はなかなか見ない気がします。

アクセス

  • アクセス
    鉄道・バス:JR長野駅よりバス 川中島古戦場バス停下車すぐ
    車:上信越道 長野IC より5分
      無料駐車場あり。
  • 利用時間
    駐車場:3/1~11/30 8:00~21:00
        12/1~2/28 8:30~17:30
  • 所要時間
    ~30分(八幡社)
  • 付近のスポット
    松代城がすぐそばです。
    善光寺など長野市街地にもほど近いです。

この旅は善光寺からでした。

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善光寺 -一生二度目の善光寺詣り 甲信の旅2020秋①

緊急事態宣言がようやく全国で解除されました。
予断を許さない状況ではありますが、落ち着いてくれますようにの希望を込めて、久しぶりの県外の記事。

昨年秋の行楽シーズンの長野山梨、甲信への旅をまとめます。強引?
王道観光ルートばかりですが、良いところは何度行っても良いものでした。

最初は善光寺一生一度は善光寺詣りと言われるいわずと知れた超有名どころ。
2回目の訪問ですが、きちんと回ったのは初めてかも。
戒壇めぐり山門経蔵に、人気がある理由がよく分かりました。

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姨捨サービスエリア

時は2020年秋

コロナの間隙を縫って当時は生きていたGoToで長野旅行に向かいました。

一路長野市善光寺へ向かいたいところですが、その前にいったん寄り道敵情視察
長野自動車道の姨捨SAで小休憩です。

ここへ向かった訳はこちらの絶景。
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サービスエリアからの善光寺の絶景です。ちょっと霞んでいますが、見えて良かったー
千曲川に沿って広がる善光寺平の街並みが一望できます。
長野って本当にきれいな盆地ですね。

戦国の世だったらここからの攻め込み方とかを考えたんでしょうね。きっと。
平和な世ですが、善光寺への向かい方を考えたりするので、人間の本質は変わっていないのかも。

善光寺参道

さてさて、そんなアホなことはおいておいて、本当に善光寺に向かいます。

善光寺長野駅から正面に真っすぐ徒歩30分。歩くと遠いのでバスがよいでしょう。
駐車場は長野駅と反対側の善光寺そばにたくさんあります。
今回は参道側に車を停めて参道散策から開始です。

善光寺へ向かう参道は、お寺から離れたところでも石畳風になっていて、レトロな建物が多くて良い雰囲気です。
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郵便局もおしゃれ。

お寺に近づくほど門前町感が増してきてレトロな建物が増えてきます。
こういうところで売られているお土産ってなんか惹かれてしまいますよね。
ちゃんと七味を購入しました。

善光寺交差点を過ぎると宿坊が立ち並ぶ本格的な石畳の道になります。
抜けるとすぐに仁王門。

仁王門

仁王像定額山山号の看板がかかった仁王門に到着です。
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1752年に建立されましたが、地震などで二度焼失。
今のものは1918年 大正7年に再建されたものです。

最後の変化が大正7年だったこともあり、仁王門の変遷を移した写真がどこかに飾ってあったような。

とても立派な門なので、これを抜けるとまさにお寺という雰囲気になるかと思いきや。
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仲見世通りという門前町に出ました。
土産物屋や飲食店がたくさん。
今思えばこの頃はまだコロナも穏やかだったかも。

途中にあった、信州伊那栗のお店で買った栗シェイク
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けっこう栗感があって美味しかった記憶。

山門

仲見世通りを抜けると山門です。
ここからはまさに善光寺という雰囲気。
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山門は登れますので、もちろん登楼参拝に上がりました。
写真撮れないので中を見たいからは実際に登ってみてください。

善光寺」の看板字に隠れた鳩や、牛に見える善の字を間近に確認できましたし、壁には昔の観光客の落書きが残っていて短い中に見どころ多めでした。
牛にひかれて善光寺まいりですもんね。

こちらは写真が許されている外の景色。

まずは仁王門長野市街方面
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ここまで歩いたまっすぐの参道がよく見えます。

こちらは本堂側
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俯瞰で見る構図はなかなかないので良いです。
結構な高さにいるはずですが、本堂大きいです。

本堂

さて、ちゃんと大香炉の煙を浴びたら本堂へ。

本堂は1707年に再建されたもの。
江戸時代の貴重な仏教建築として国宝にも指定されている非常に大きく立派な建物です。
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中の見どころは公式HPをご覧ください。ここまでのも載ってますけど。
本堂のご案内-境内のご案内 | 信州善光寺

本堂内部は、人は多いですが厳かな空気が漂っています。
じっくり座ってしばらく拝んで、次の見どころへ向かいます。

戒壇巡り

瑠璃段床下の真っ暗な街道を進んで、秘仏の御本尊様と結縁を結ぶ戒壇巡りの入り口もこの本堂にあります。

繁忙期は並ぶそうですが、この時はさすがにさくっと入れました。
真っ暗といわれていましたが、奥に進むと本当に真っ暗。
何も見えないところを進む経験は貴重です。
壁の目印がなんと頼りになることか。

極楽の錠前も全く見えませんが、何とか触れることができて良かった。
光が見えたときは本当に安心しました。

経蔵

本堂の見学を終えて、もう少し周囲を回ります。
まずは経蔵。1759年に建立されたお堂で、内部の八角の輪蔵が有名です。
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5tの輪蔵を一周回すと内部に収められている一切経をすべて読んだことと同じ功徳が得られるのだとか。

そう楽してよいのかという気もしますが、功徳は欲しいのでちゃんと回しました。
確か5-6人で回したような。そんなに重くなかったような。功徳はこれからやってくるのかな。

日本忠霊殿・善光寺資料館

最後に向かったのはこちらの資料館。
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ここの地下の資料館が面白かった。
善光寺の宝物以外にも過去の御開帳の資料や善光寺信仰の歴史が展示されていて、興味深い。

一生一度は善光寺詣りと言われただけあって古くから親しまれていたことがよく分かる展示でした。
そういえば仁王門の変遷もここにあったかも。

まだまだ見どころはありますが、今回はここまで。
俗な部分と厳かな部分と、さすがの人気が伺えました。

次は近くの古戦場へ向かいます。

 

旅行記つながりでこのあたりはいかがでしょう。

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東大山の河津桜 (静岡県浜松市) -約400本 満開の河津桜並木

全国各地で桜の開花が伝えられていますね。
私の住む静岡でも先日ソメイヨシノの開花が伝えられました。

そんななか、相変わらず少し前の話ですが桜つながりで河津桜のお話です。

静岡県西部で最大ともいわれる河津桜並木、浜松市東大山の桜まつりへ。
1kmほど続く桜並木は満開で、菜の花畑と相まってとても綺麗な春の景色でした。

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訪問記

東大山の河津桜まつりは、浜松市の花川という小さな川の両岸に植えられた約400本の桜並木を中心に開催されます。
元は荒れていた河川敷を地元の有志の方が管理、桜並木を整備されたそう。

静岡で河津桜といえば、本場の河津町がありますが感染対策でお祭り中止。
浜松市東大山の桜祭りも宣伝なしで規模を縮小しての開催でしたので、お祭りが終わってからご紹介します。

河津町は例年人出もすごくて密を感じる状態ですが、こちらはそこまでの人出でもなく、全く密を感じずに桜並木の下を散策することができました。

河津桜

この日は2月27日

Googleマップに載っていた通りの場所、桜台ショッピングセンター側の駐車場に車を置いてスタートです。

いきなり花川にかかる橋から満開の桜並木がお出迎え。

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河津桜と川、素晴らしい

川岸を散策します。
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近づくとなおさら満開を実感します。

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若木が多そうな印象でしたが、どの木も立派な枝ぶりです。

河津桜は花と同時に葉もつけるので濃いピンクのなかに緑が混じって、ソメイヨシノとはまた違った見た目になりますね。

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春ですねぇ。
思わずお花見をしたくなりますが、今年は我慢我慢。歩いて通過するだけです。

先へ進むと川の向こうに菜の花畑が始まります。
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ピンクと黄色のコントラストがこちらも素晴らしい。
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菜の花畑の中に入れるのかな。
向こうに渡りたいところですが、橋が来るまで辛抱です。

この先、少しだけ飲食ブースが出ていました。
座席がとても離してあって、こちらも感染対策万全。
とても暖かかったので、アイスクリームを食べている人がとても多かった。羨ましい。

地元野菜の直売ブースも賑わっていました。
立派な大根を売っていましたよ。

菜の花

ようやく橋に到着。川向うに渡ります。

菜の花は対岸の休耕田を利用して広い敷地で育てられています。
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定番ですけど美しい。

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菜の花の中に入りたいところですが、ひとまず桜並木の端まで歩きます。

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端まで満開の桜が続いていました。

端の橋を渡って元の岸に戻ろうと思ったら(駄洒落じゃないよ)橋はありませんでした。
向こう岸にも行ってみたかったですが、引き返して菜の花を見に行きます。

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ニュースの写真になりそうな構図ですね。まさに春という感じ。

帰り道、ようやく菜の花畑の中に入ってみました。
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子供たちがほぼ背丈と同じ高さの菜の花畑を走り回って遊んでいました。楽しそう。
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中から見るとなおさら黄色とピンクのコントラストが映えます。

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最後はもう一度小川を河津桜を。
明るい日差しが自然と気持ちを前向きにさせてくれます。
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今年は良い一年になりますように。

 

アクセス

東大山の河津桜

  • アクセス
    鉄道・バス:JR浜松駅からバス 桜台ショッピングセンターバス停より徒歩1分
    車:東名高速 浜松西ICより約5分
      無料駐車場あり
  • 所要時間
    1時間くらい
  • 関連記事
    先日の観梅の記憶はこちら

    tmtmz.hatenablog.comその先はチューリップでしょうか。

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