にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

能登半島一周ドライブ前編・珠洲へ -能登と金沢の旅2021④

能登と金沢の旅、七尾城の次は観光のお時間。
能登半島ほぼ一周ドライブです。

今回は前編。半島先端の珠洲市へのドライブです。
とあるニュースである意味有名になったイカや、廃線跡を生かした施設を巡ります。


青が前編。それぞれの場所は目次と対応しています。

和倉温泉

ドライブのスタートは和倉温泉のお宿。
もちろん温泉宿で、お風呂と食事で身も心も温かくなったところから開始です。
出発直前に女将さんに教わったイカの駅を行先に入れたせいで、端から予定がずれて内心ドキドキでしたが。

そんな和倉温泉で印象的だったのは、お宿から見える七尾湾と能登島
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天気は物足らなくとも朝の爽やかな気分で眺める穏やかな海は良いものです。
のんびり進む船なんかも見えて、旅情満点。

せっかくなのでドライブ前に和倉温泉を少し散策しましょう。

和倉温泉と言えばの加賀屋さん、

の近くの弁天崎源泉公園へ。
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大きな温泉宿に囲まれていて、ちょっとした都市公園という雰囲気ですが、
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温泉は流れているわ
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飲泉はあるわ
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手湯はあるわで、小さくとも温泉街の旅情を感じる施設でした。
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実は、朝一から公園を散策した訳に、和倉温泉の有名なスイーツ店の開店待ち、というのもあったりします。
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七尾市出身の著名パティシエ辻口博啓のお店ル ミュゼ ドゥ アッシュ和倉店のケーキ。

教わるまで知りませんでしたが、恐ろしく美味で一発で名前を覚えました。
見た目もきれいですし、そりゃ人気にもなるわ。

r.gnavi.co.jp

イカの駅つくモール

続いて女将さんおススメのイカの駅へのドライブです。
イカの駅が色々な意味でマスコミに取り上げられたのを知ったのは後からでした。

カーナビには高速をお勧めされますが、ここは時間を気にせず海岸線をなぞって北上。

無駄に能登島に寄り道したり、のとじま水族館の前だけ通ってみたり。
七尾湾のイルカには最後まで出会えませんでしたが、桜で有名な能登鹿島やガイドブックによくのっているボラ待ちやぐらなど道中見どころもたくさんでした。

ポケットパークという駐車場がそこかしこに置かれ、車を停めやすいのも高得点。

本当にこんな景色を見られました。

www.hot-ishikawa.jp

後半、穴水町からはのと鉄道廃線跡と並んだり離れたりして進みます。

初見でも明らかに廃線跡が道路わきを走っている場所もあり、昔を考えながら走っているとセンチメンタルな気分にもなったり。
往時を思い浮かべてしまうあたり、城めぐりにも似ているかもしれません。

と、2時間のドライブを文字だけでまとめたところでイカの駅つくモールに到着です。
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名前は変わっていても、外観はザ・新しい道の駅、と思いきや

その横にあるこいつが物議を醸したのです。イカキング
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国の新型コロナ対策で、地方自治体に渡った交付金
それを使って2021年に作られたのが、こちらのイカキングです。
コロナ対策とは関係ないように見える使い道はマスコミの餌食となってしまいました。

いち観光客に実際のところは分かりませんが、目の前で見るからに異彩を放つ巨大なイカのオブジェに、結構人が見に来ていたのは事実です。
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確かにイカの駅のシンボルだなぁと思いますし。

手足にぶら下がったり、穴(口?)から顔を出せて、子供たちが楽しく遊んでました。
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写真を撮るタイミングを探さないといけないくらい。

でも、このイカの駅、あるのは九十九湾という遊覧船が出るほどの景勝地ですし、
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その名の通り名物イカ料理を堪能することもできます。
そこらの道の駅よりずっと見どころが多いので、変なケチがつかないようにすればいいのに。

ということで、ここでお昼ご飯。名物イカ料理をテイクアウトでいただきます。

イカハンバーガ
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パンは驚くほど既製品ですが(笑)、挟まれたイカの存在感が素晴らしい。
揚げたてのイカってこんなに美味しいんですね。

しかも安い。きっとパンは捨ててイカに全振りしているからでしょう。

イカのフリッター
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こちらも揚げたてでとても柔らかく、味付けも程よく美味しかった。

中のお土産物屋さんのラインナップも良いですし、イカはもう一度たべたくなるお味。
でも、コロナが明けたら建物内のレストランも行ってみたいかも。
イカキングの魅力は人によりけりでしょうが、施設は間違いなくおススメです。

ikanoeki.com

恋路海岸

お腹を満たしたら、今風の名前を持つ恋路海岸へ。
ありがちなお客を呼び込むための地名ではなくて、かつての悲恋伝説から名付けられたロマンチックな場所でした。

浜辺に弁天島砂州もあって今も画になる場所は、夏には海水浴場も開かれます。
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その割に人が全くいませんでしたが、波の音だけが聞こえる海を眺めるのもまた良い。

珠洲方面には能登軍艦島、見附島も見えていました。
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旧恋路駅 のトロ

そんな恋路海岸に来た理由は、のと鉄道の廃駅、恋路駅のトロッコ列車のとろに乗りたかったから。
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やってませんでしたけどね。おぅ。。。

仕方ないので駅を見るだけ行きましょう。

今もやっているかのような見た目の駅へ。
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三陸鉄道の駅みたいな風景でした。行ったことないけど。

ホームまでついても今もやっているかのような雰囲気。
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木の駅名版も良い雰囲気です。
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ロッコには乗れませんでしたが、その分スタンドバイミーごっこを堪能して、これはこれでよかったかな。

珠洲駅 道の駅すずなり

そして前編最後。今回の旅で最も先端の珠洲市道の駅すずなりへ。
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道の駅自体は小さいものですが、こちらも廃駅を利用した施設。

隣には珠洲駅のホームが残されています。
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反対側には線路も。
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恋路駅周辺は田んぼと山でしたが、珠洲駅は街中。
今も高速バスが来ていますし、当時も使っていた人はそれなりにいるのでしょう。
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この先に線路が伸びていたかつての姿が思い浮かぶような。
そして、ふとベンチに腰を下ろしたくなるような。何とも言えない風情が良いです。

ここから能登半島の外側へ。断崖にへばりつくように点在するスポットを巡ります。

この旅は氷見の魚介からでした。

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百名城 七尾城 (34・石川県七尾市) 2/2 -二の丸~本丸 眺望と石垣を堪能  -能登と金沢の旅2021③

七尾城訪問記の後編です。

二の丸から本丸、そのあと降りて本丸や桜馬場石垣を近くから見ていきます。

紅葉の二の丸に加えて謙信絶賛の眺望は、言わずもがな素晴らしかった。
晴れた日でよかった。

前編はこちら

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お城:七尾城 石川県七尾市
HP:七尾城跡について - 七尾城史資料館・懐古館情報
訪問日:2016年8月、2021年11月
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訪問記

二の丸

改めて全景を確認
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図中央に曲がって描かれた曲輪群を二の丸(上)から本丸(右)へ向かいます。

二の丸には北端から侵入。振り返ると良い眺望でした。
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ここから本丸までは一続きの曲輪群。いよいよ中心部に侵入です。

二の丸全景
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七尾城中心部の北端に位置する広い曲輪は、本丸に次ぐ拠点として、多数の曲輪に囲まれていました。

往時の姿CGはこちら。
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当然ながら門も土塀も建物も残っていませんので、CGは本当に助かります。

翻って今の二の丸は紅葉が本当にきれい
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三の丸もきれいでしたが、二の丸が映えていたかな。

紅葉の木々に、紅葉の絨毯
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11月下旬に来てよかった。

温井屋敷

二の丸を降りると温井屋敷
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その名の通り、重臣であり畠山七人衆の一つであった温井氏の屋敷跡

二の丸側は石垣がつくられています。
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桜馬場同様に段々の石垣で高さを稼いでいるのでしょう。

このあたりの広い曲輪に温井氏の屋敷の中心があったのでしょうか。
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屋敷跡に大木の育った様子を見ると栄枯盛衰を強く感じるのは私だけでしょうか。

ちなみに、十分に近い場所ではありますが、長屋敷、遊佐屋敷はより本丸に近い場所にありました。この時の温井氏の位置づけが分かるような。

温井屋敷跡の本丸側には大手門があったとされます。

そしてその搦手の虎口に置かれているのが、九尺石
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その名の通りの大きな石は城内最大。城の鎮護のかなめ石として置かれていました。
いわゆる鏡石でしょうが、こんな山の上にこれだけ大きな石を運んだとは。
全盛期の能登畠山氏の力が伺えます。

九尺石の先が新大手道にあたりますが、進むことはできませんでした。
実際には九尺石も豪雨で近年崩落しており、修復工事を実施頂いた後の姿です。

虎口から見た先ほどの温井屋敷跡
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門を守る役割が与えられていたんだろうな。

桜馬場跡

本丸へ進むと、桜馬場跡
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軍馬の訓練を行った馬場と言われます。
ここの下に、スタンプのモデルになった段々の高石垣が築かれています。
上から見ても分かりませんが。

遊佐屋敷

桜馬場の隣は低い石垣で仕切られた遊佐屋敷
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この上には土塀がありました。当たり前か。
本丸の隣、堀すらない立地ということで想像できる通り、遊佐氏は当時、城主に次ぐ守護代の地位にありました。

そう思うとこの石垣も、他にはない意匠で遊佐氏の権威を感じるような。考えすぎか。

遊佐屋敷全景
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と、CG
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やっぱりよく分かってありがたい。

門の跡や
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本丸へつながるルートもそのままです。
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見えているルートから本丸、へは向かわず、天邪鬼を発揮して裏から本丸へ。
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本丸

こちら側には本丸外枡形が残っていました。

外側の門跡
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枡形内部と内側の門跡
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かなりの広さの枡形虎口がこんな山の上にあるとは。

CGの通り、
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内側の門跡土塁は石垣の細工が残っていました。
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搦手側だとは思いますが、大手かのような厳重さ。

そしてようやく本丸
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東西50m、南北40m。土塁もない開けた曲輪のようですが、

入ってきた搦手側には高い土塁も設けてあって、守りの意識もしっかり。
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一方の土塁は神社になっていました。

このCGの通り
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北側は3段の高石垣。
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これは高い。こちら側に土塁まではいらないですね。
おいおい降りて詳しく見ていきます。

と、その前に謙信も絶賛したという眺望を見ましょう。
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色づいた山々に能登島と七尾湾
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遠くまで見晴らせる眺望は本当にきれい。
眺望が良い山城はたくさんありますが、ここはその中でも指折りではないでしょうか。
ついつい長居してしまいました。お弁当食べても良いかも。

最後は、帰りつつ本丸北側を見ていきます。先ほどの3段の石垣です。
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綺麗でほれぼれするような石垣です。
桜馬場や二の丸の石垣と比べると角が残っている印象です。時代が違うのかな。
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一段一段の高さはほどほどですが、

その本領は下から見たときの威圧感でしょう。素晴らしい。
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まるで一段の高石垣に見えるように工夫をされているんでしょう。
この山上にこれだけの高石垣。今でも威圧されそう。

桜馬場石垣

最後は、桜馬場から降りて、5段石垣を近くから観察しに行きます。

巨石ゴロゴロの門跡を抜けると、f:id:tmtmz:20211121231754j:image

5段石垣
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やっぱり本丸の石垣より角が取れていて丸い印象を受ける野面の石垣

こちらの方が一段は低くて、苔が良い味を出しています。日陰で頑張っているような。
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最後は下から全景。
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一段一段を見るとかわいらしさも感じましたが、引きで見ると一変。高石垣の威圧感。
一粒で二度おいしいような段々の高石垣。何度見ても良いものでした。

これで七尾城見学終了。引き続き、能登観光へ。

感想

4.5/5

最大5段に分かれた野面の高石垣の何とも言えない雰囲気が本当に印象的でした。
本丸からの眺めも素晴らしいですし、二の丸、三の丸も大堀切や紅葉など見どころ盛りだくさんでした。
さすがは5大山城、百名城です。

その立地、アクセス道路が細長くて怖いことだけが玉に瑕ですが、このおかげで残ったと思うと逆に感謝してしまうような。

アクセス

七尾城

  • アクセス
    電車・バス:JR七尾駅からバス 城史資料館前下車 本丸まで徒歩約60分
          城史資料館までJR七尾駅のレンタサイクルで行くこともできます。
    車:能越道 七尾城山ICから約10分
     無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    七尾城史資料館
    開館時間:9:00~17:00 最終入館16:30
    休城日:月曜日(祝日の場合翌日)
    入館料:大人200円、高校生・大学生 160円
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    約1時間(城跡散策のみ)
  • 付近のスポット
    百名城関連だと高岡城金沢城、増山城が近くです

この旅は氷見の魚介からでした。

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百名城 七尾城 (34・石川県七尾市) 1/2 -調度丸から三の丸へ -能登と金沢の旅2021②

能登観光と言えば百名城の七尾城
五大山城にも数えられる名城を巡ります。

前編は旧大手道を降りて三の丸方面へ。
百名城スタンプのモデルにもなっている野面の5段石垣など、のっけから雰囲気の良さを感じることができました。

お城:七尾城 石川県七尾市
HP:七尾城跡について - 七尾城史資料館・懐古館情報
訪問日:2016年8月、2021年11月
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概要

築城年代は不明確ですが、16世紀前半に能登畠山氏が築きました。
七つの尾根に跨っていること七尾の名前の由来とされます。

1577年、上杉謙信七尾城の戦いの末に奪取、能登畠山氏は滅亡します。
謙信は、その眺めを絶賛したと言います。

1581年、織田信長から能登を与えられた前田利家が入城しますが、港に近い小丸山に新たな城を築き、七尾城は放棄されました。

訪問記

2回目の訪問ですが、1度目は七尾城史資料館とスタンプだけ。
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しかも失敗してるし。。。
実質初訪問で、スタンプの景色はよく分かりませんが。。。である段々の石垣が楽しみ。

スタンプのある資料館から七尾城までは車で10分ほど。
全部登りで七尾駅からのレンタサイクルで向かった1回目には到底いけませんでした。
歩けばいいんですけどね。

駐車場への道は大半がすれ違いが厳しい1車線で、対向車が来ないことを願いながらのひやひやドライブでした。それでも歩くことを思うとずっとマシ。。。

ひやひやを乗り越えて、七尾城駐車場からスタートです。広さは10台くらいかな。

駐車場の時点で谷の間から素晴らしい眺望が見えています。これは眺望も楽しみ。
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駐車場には立派な看板にパンフレット。
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城史資料館を見てからの方が楽しめるとしても、現地からでも行ける配慮が嬉しい。

絵の方を拡大してもう一枚
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左上が三の丸、そこから下に二の丸、右に曲がりながら本丸につながります。
絵本丸のさらに右、看板右端に長屋敷、その北側に今は駐車場があります。
三の丸と二の丸の間、本丸と長屋敷の間に大堀切が描かれています。気になる。

散策ルートはパンフレットに記載されていました。
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七尾城跡中心部散策ルートを、あえて逆に。
パンフの下から反時計回りにパンフでは上端の三の丸まで進んで、本丸に戻るルートで見ていきます。
何となくですが、本丸を最後に見たかったので。

調度丸へ

駐車場からすぐに大堀切。左が長屋敷、右が本丸ですが、高すぎて見えません。
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一見自然の谷かと思いそうな窪みは、人工的な堀切。なかなか見ないサイズでは。
当時は橋が架けられていたそう。
本丸の隣に屋敷を構えた長氏の位置付けですよね。

右側本丸方面にむけた当時の姿のCGも置かれていました。
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今の姿とCGを見比べると、とてもイメージしやすい。
しかも随所にこれがありました。細かな配慮が嬉しいですね。

改めて先へ進みましょう。山城ですが足元はウッドチップ
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これは歩きやすい。

歩いてすぐに最初の曲輪、調度丸に到着です。f:id:tmtmz:20211121231154j:image
その名の通り、弓矢などの武具を整えた曲輪。
この時は誰もいませんでしたが、発掘調査をしていそうな雰囲気でした。

調度丸から桜馬場方面の石垣も見えていました。
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スタンプのモデルにもなっている石垣は、低い石垣が連なった高石垣
これだけつながる段々の石垣はなかなか見ません。

高石垣を作る技術がない中の工夫でしょうか。それともこっちの利点もあるのか。
結果として長年の風雪にも耐えて
残っていて、技術力はうかがえます。

そして今の白い石垣と緑のコントラストが美しい。何とも言えない良い雰囲気でした。
長居したくなるような、何度も振り返ってしまいました。

調度丸から本丸を見上げます。
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ここから見ても高さがすごい。
この高さから今いる所まで掘っていた、長屋敷との間の堀切って深すぎる。。

寺屋敷、安寧寺跡

調度丸→本丸がパンフ推奨ルートですが、本丸は後に残して三の丸方面、旧大手道へ。
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調度丸の虎口もきれいに石垣が残っています。
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ここから振り返る石垣がとても綺麗でした。一番楽しめる場所じゃないかな。
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どこまでも続くかのような白と緑の石垣。

個々の高さはそれほどでも無くても、ここから見るととても高い石垣に見えます。
そして、やっぱりとても雰囲気が良いんですよね。

後ろ髪をひかれながら旧大手道を下ります。
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両側に排水溝が完備されて、こちらも良い雰囲気。

道中脇に逸れたところに寺屋敷
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代々の墓守を兼ねた僧兵が居住していました。三重塔があったとのこと。
ここは土メインでかなり山城の雰囲気。

続いて大手道沿いには樋の水
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お察しの通り、城内の水源でした。枯れたことがないとのこと。
なんと今もきれいな水が湧いています。

袴腰に到着 ここから折り返して三の丸方面へ向かいます。f:id:tmtmz:20211121231116j:image
袴腰は解説もなく、完全な森でした。何の曲輪だったのかな。

隣は安寧寺跡という広い曲輪
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当時どう使われていたかは分かっていませんが、今は畠山氏の廟が置かれています。
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畠山氏は七尾城の戦いで、疫病の流行と内通という悲劇的な最期を迎えました。合掌。

三の丸

改めて現在地を確認します。

今いる場所は、この図で一番左上。ここから折り返して、三の丸、二の丸へ。
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袴腰と安寧寺跡は折り返しにあるだけでなく、だいぶ下りたところにあります。
というわけで、ここからちょっとですが、登り。。

安寧寺跡近くは多少開けた帯曲輪ですが、
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その先は完全な斜面。この尾根の上が三の丸です。
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見た目は完全な山城でも整備は行き届いているので、問題なく回ることができます。

そして突き当りにある階段を登ると三の丸
南北110m、東西25mの城内最大の曲輪です。
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これでも見えていない部分があるくらい広い曲輪です。

北側には何かの跡と思われる石が残されていました。
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建物か排水溝でしょうか。説明はありませんでしたので、完全な推測ですが。

石の列の向かいには土塁のような高まりもありました。f:id:tmtmz:20220304234203j:image
建物とお庭かのような配置。とはいえさすがにお庭は作らないか。
本丸、二の丸とは別の、最前線の曲輪群ですし、防衛施設があったのかな。

看板に従って二の丸へ。

三の丸と二の丸は大堀切で仕切られています。
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幅40m、高さ26mの大堀切。往時は吊り橋がかかっていたとされます。

ここ、七尾城の大きな見どころの一つだと思います。
最初の本丸と長屋敷との大堀切もそうですが、一つ一つが大きい。

チラホラ大きな石も転がっていました。
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石垣には足りませんが、転がっている石は何に使われていたものでしょうか。

二の丸側から高さを感じつつもう一枚
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なかなか見ないレベルで深い堀です。やはり。

この先二の丸から本丸へ。謙信絶賛の眺めを見に行きます。

この旅は氷見の魚介からでした。

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一路能登へ 氷見番屋街 -能登と金沢の旅2021①

昨年秋の能登と加賀、金沢への遠征の記憶を振り返ります。
お目当ては美味しい海の幸と景色と、もちろんお城と。

最初は、プロローグ的に能登への移動と氷見観光を振り返ります。
今回能登は出てこないタイトル詐欺ですが、道中も良いところでしたので。

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プロローグ

束の間コロナが落ち着いていた2021年秋のころ。
金沢へカニを食べに行きたくなって、能登・加賀観光を決行しました。

静岡からのドライブルートは東海北陸道米原から北陸道経由。
往路は美濃関JCTから東海北陸道にしましたが、これがちょっと悩ましいものでした。

東海北陸道下り線のパーキングエリアは、トイレと自販機だけの場所が多い。。
せっかくのドライブなので休憩も楽しみたいのに。

というわけで、待ち望んだひるがの高原サービスエリアから旅行記を始めます。

ちなみに、数あるトイレパーキングの中で、瓢ヶ岳PAは小規模ながら売店もあって、少しおススメです。

ひるがの高原サービスエリア 下り

前置きが長くなりましたが、ようやくひるがの高原サービスエリアに到着です。

観光バスも停まっていて、人も多くて人気のサービスエリア
他に停まる場所がないからではなくて、普通に魅力的だからだと思います。

その魅力の一つがこの展望
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白山連峰を仰ぎみる好立地。清々しい!

展望だけでもう一枚
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11月下旬ですが、遠くに見える白山は雪化粧をしていました。
この頃から厳しい今年の冬を暗示していたのかな。

正面の山には、大きなスキー場もたくさん見えていました。
ウィンタースポーツ好きの方にはたまらない地域でしょう。

景色を堪能していたら寒くなってきたので、中へ。
中ももちろんサービスエリア。

飛騨の土地の食事を扱うレストランに、名産品もたくさん並んでいます。
テンションが上がって、下りてもいないのに朴葉焼きキットを買いました。

あと、ひるがの高原で期待するのが乳製品
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寒さにも負けず、もちろん頂きました。

この眺望とともに頂くのソフトクリームは格別です。
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腹を満たしたところで、改めて北上します。

氷見観光・氷見番屋街

続いて、能登半島東側の付け根、氷見市へ。一気に海までやってきました。

氷見と言えば氷見ブリに代表される海の幸。ちゃんとお腹を空かせて到着です。
さっき食べてたソフトクリームは別腹ですよ。

ただ、氷見は漫画推しも強いのが、遠くに住む人間には少し意外でした。
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藤子不二雄Aの出身地ということで全力で推しているようです。

代表作の忍者ハットリくん怪物くんは全く世代ではありませんが、街中にこれだけいると追いかけちゃいます。
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今見ても結構かわいらしい顔していますね。
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これは登場人物ではない、のかな。
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ポストの上にも。こんなところ置けるんですね。
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これは何のキャラでしょうか。
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肝心の商店街は疲れを感じずにはいられませんでしたが、漫画ロード自体はちょっとした散策に良いところでした。
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5年前の鉄道旅では、たまたまハットリくん列車に乗ることができましたし。
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外見だけでなく、アナウンスもハットリくん声で、ただの移動がちょっとした楽しみに変わったことを今でも覚えています。
今はラッピングのデザインが変わったみたいですね。

氷見でも前置きが長くなりましたが、ようやく氷見と言えばの海の幸へ。

やってきたのは氷見番屋街
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道の駅かつ氷見漁港の場外市場で、海の幸の食事にお土産、海の幸以外も含めた土地の名産などなんでも揃う名所です。

5年前は併設の回転寿司廻鮮氷見前寿しで、人生初の一人回転ずしをきめてきました。
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のどぐろをはじめ、この上なく美味だったのははっきり覚えていますが、どの写真がどのネタだったかは思い出せませんでした。

r.gnavi.co.jp

この日も気になりましたが、大行列とコロナを気にしてテイクアウトで昼食。

氷見番屋街内の店舗で白エビかき揚げ丼
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ブリだったかな
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あと、サイズとアピールがすごかったイカ焼き
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テイクアウトでも名物の魚介はどれも美味しかった。意外とイカも良かったですし。

食後、改めて氷見番屋街を散策。

相変わらずの藤子不二雄A推しを見て、f:id:tmtmz:20211121232101j:image
ブリの切り身のお土産もぬかりなく手配して、大満足で次へ向かいます。

次回、七尾城へ向かいます。

北陸つながりで福井の城めぐりの記憶はいかがでしょうか。

tmtmz.hatenablog.com

旅行記つながりで岡山旅行も。

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大給城 (愛知県豊田市) -水の手曲輪が特徴的な大給松平家の本拠地 松平郷を巡る旅③

松平氏発祥の地を巡るショートトリップ、最後は大給城(おぎゅうじょう)

とても珍しい水の手曲輪の記事がたくさん上がってますが、行ってびっくり。
まさにダム。こんなものをあの時代に作ったとは。

巨岩がゴロゴロの城内も素晴らしく、山奥でも行く価値ありありです。

お城:大給城(おぎゅうじょう) 愛知県豊田市
HP:大給城址 | 松平観光協会

訪問日:2021年10月

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概要

15世紀末に土豪であった長坂新左衛門が築きました。

その後、松平家3代松平信光が奪い、三男親忠に与えます。
親忠が次男の乗元に譲り、大給松平家の初代として城主となりました。

乗元の子、乗正のころ、1510年にかけて城の大修築が行われたことが分かっています。

その後も大給松平家の城として受け継がれますが、1590年の徳川家康の関東移封に伴って6代家乗も上野に移り、廃城となりました。

訪問記

駐車場、虎口、郭2

松平郷から東海環状道豊田松平IC方面に少し下ったところに大給城はあります。

ちょうど松平トンネルというトンネルの松平郷側出口近くのわき道が入り口。
看板はありますが細い道で見逃しがちなので、ちょいと心づもりがいるかも。
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長くはありませんが1台分の道を進んで、
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大給城駐車場へ。
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この写真では余裕ありそうですが、帰って来た時は満車でした。
城内でも結構な人とすれ違いましたし、人気が伺えます。
百名城でも無いのに人とすれ違う山城は珍しい。

登城口へは駐車場から道なりで。
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松平城と同じ看板が設置されていて見逃す心配なしです。
城内の整備も行き届いていて歩きやすいのも良い。

途中、大給松平家初代、松平乗元墓所が分かれますが、いったん先へ。
登城口から5分程度で虎口に到着です。

入口の縄張り図で全体を確認
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大給城は東西に続く尾根に位置します。

東西に尾根を切る堀切A、B、Aの内側に虎口C、内部に郭2、主郭1が置かれています。
後述しますが、主郭1西部の物見岩Fからの眺めは素晴らしかった。

郭1,2の北にあるD, Eが噂の水の手曲輪、南側には少し広めの郭3が置かれています。

ここまでは普通のお城に感じるかもしれませんが、この図に岩がたくさん書いてあることが珍しい。
その通り、たくさんの巨岩を使った構造でした。

前置きが長くなりましたが、実際に見ていきましょう。

最初の堀切Aがこちら。
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巨岩もあらわに尾根を切る堀切からスタート。
巨岩ゴロゴロですが、往時は整然と石が積まれた状態だったのかな。

堀切とその先の虎口を眺めるとこんな様子。
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きっと左手の高所から私は狙われているのでしょう笑
反対側は崖になっていますし、ちょっと逃げられないな。

虎口を通って内部へ。
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右側の大きな岩に目が行きますが、左手前には石積みも築かれています。
細かなところまで気配りが見られます。

と言っても、やっぱり目が行くのは存在感ある大きな岩で。
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180度折れて郭2への虎口。
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こちらも巨岩をうまく使った厳重な虎口
左側はやはり石積で補強され、上は櫓台となっています。

巨岩もそうですが、古い山城で石積がしっかり作られているのも珍しい気がします。

郭2内部へ
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先ほどまでいた通路側に土塁が築かれ、変わらず守りの意識を感じる曲輪。

主郭側も、左手に高い土塁が見られます。
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内部にも巨岩が転がっています。絵の通り。
土塁の先は主郭の切岸で、そこもぬかりなく石積で補強されています。

そして土塁が無い北側は噂の水の手につながります。
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まだ木で見えませんけどね(笑)

最後に振り返って郭2の全景。
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広さを見るには端から撮らないと。
大給城3つの郭では一番小さいですが、それでもある程度の広さはあります。

主郭へ。
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右手を指す水の手曲輪の看板も気になりますが、置いておきます。気になりますが。

主郭

主郭入り口は立派な石垣で囲まれた坂虎口。
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至るところに石垣が残る大給城ですが、ここの石垣が一番すごかった。
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訪問時、修復工事も進めてくださっていました。ありがとうございます。

主郭はこの石垣を中央に東西に仕切られています。

西側
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奧は先ほどの郭2の土塁

東部
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こちらは尾根末端につながるので開けていて明るい。

入口の案内では両方合わせて主郭とされていました。
ただ、それぞれ広さを持っていますし、石垣を境に2つに分けて使われていたんじゃないかという気もします。

松平郷名物?巨岩の上の城址
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東屋もあるので、ハイキングでここでお弁当というのも良いかもしれませんね。
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主郭石垣でヘビを見かけたので、わたしは遠慮しますが。。。今の主郭の守り手かな。

主郭端部、縄張り図にも描かれていた物見岩へ
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物見岩と言われるだけあって見晴らしがよい。

若干フライングしましたが、改めて物見の気持ちになりましょう。
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素晴らしい見晴らし。濃尾平野を一望できます。
一方で足元にあるという堀Bは見えませんでした。森になっていますし。

この岩は穴があけてありますが、用途不明とのこと。
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物見台じゃないのかな、と思ってましたが、そんな感じの穴ではありませんでした。
小さいですし、後からあけられた何かでしょうか。

とか考えていたら、第2の守り手スズメバチ
主郭に攻め込むのは大変です。。。

水の手曲輪

今も主郭の守りは厳重だったので、撤退して見どころの水の手曲輪へ。
一般的な水の手と同様に水が集まりやすい一段下がった地にあります。

主郭と郭2の間から降りていきます。
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こちら側は結構ワイルドなので滑りにくい足元が良いかもです。
どこから降りればよいかわからず、ちょっと遠めから見学。

倒木の奧に堰堤のような高まりがわかるでしょうか。
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まさにダム。

水の手は湿地だったり湧き水だったり沢だったりの自然地形を利用することが多いですが、これは雨水や湧き水?を溜める作り。
ただここまで大きな加工は珍しいでしょう。

寄ってもう一枚
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今は土が貯まっていますが、これなら水貯まるだろうなぁ。
堰堤も石積で作られています。
今のダムに似ていて、ダムを模して作ったのでは(違

この堰堤、遠くにももう一つありました。
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奥の方が土のたまりが浅くて堰堤がよく分かります。
奥の様子を見ると手前も想像以上に深かったのかもしれません。本当にほぼダム。

郭3

水の手を堪能したら、行き方が最初分からなかった郭3への道を探します。
最初の虎口から180度曲り切らず、郭2の南隣を進んでようやくたどり着きました。

他の郭から一段下がったところに開けた郭3がありました。
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岩が無いからか、穏やかな印象を受けます。
だだっ広くて居館があった姿を想像できます。さっきまでの岩場が嘘のよう。

松平乗元墓所

最後は尾根伝いに戻って、大給松平家の始祖、松平乗元墓所
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案内板によると文政天保の頃に作られた墓所は、年月は感じるものの今も綺麗でした。
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三つ葉葵扉の奥に墓所
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今も手入れを続けられている様子が見られます。

お邪魔したお礼も兼ねてお参りして、大給城終了です。

感想

満足度 5/5

巨岩転がる城内、虎口など随所に残る丁寧な石積、主郭石垣など、遺構は素晴らしい。
物見からの眺めも綺麗でした。
水の手曲輪はダムにしか見えませんでした。こんな大きなものをよく作ったものです。

アクセスが良ければ続百名城になっていてもおかしくないとも感じました。
道理でたくさんの人とすれ違った訳です。

アクセス

大給城

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松平郷散策・松平氏遺跡をめぐる -松平氏館跡、高月院 松平郷を巡る旅②

松平城に引き続き、松平氏の故郷、松平郷を巡ります。

松平城から歩ける距離にある松平氏館跡と松平郷。
今は館跡に建つ松平東照宮と、松平家菩提寺高月院を抱える小さな集落です。

この時は七五三シーズンだったからか、普段からか、かなりの人出。
予想していませんでしたが、人気ある姿を見られたのも良いものでした。

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改めて松平郷入口の駐車場からスタート

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看板で黄色、オレンジとなっている駐車場が、今は松平東照宮となっている松平氏館跡の隣にありますので、松平城に興味がなければ最初からそちらがおススメです。
まぁ入口の駐車場から歩いても5分かかりませんが。

という訳で健康のために歩いて松平郷の中心へ。

駐車場には解説もばっちりです。
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左の家系図、一番上が松平初代親氏、左下でハイライトされているのが家康です。
松平郷松平家はすぐに分岐した右側の家系です。

ここから順番に回っていきましょう。

松平氏館跡 松平東照宮

最初は一番手前の松平氏館跡、今の松平東照宮へ。

名前から想像できる通り、初代、松平親氏の居館として使われたところでした。
その後、松平郷松平家の居館、1619年に東照宮が合祀され、松平東照宮となりました。

今も松平東照宮として続いていて、周辺には堀と石垣も見られます。
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堀に住むコイに餌をやる家族を見て、秋の暖かな日も相まって最初から温かい気持ちで散策開始です。

水堀や石垣は、松平郷松平家9代の尚栄が関ケ原の戦いの後に築いたと言われます。
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それなりの広さを持つ水堀に囲まれた四角い区画。
古くからこの敷地で居館だったんだろうな、と想像させてくれる見た目です。
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境内は背後に山が迫る立地。守りを意図したんだろうな。
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同じ松平親氏が築いたとされる松平城は、背中方向に隣の隣の山。
こちらは居館から程よい距離で街道を抑えられる立地を取ったのかな。

中を見ていきます。

入り口わきには詳しい案内板
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登場人物が登場人物なので、いつにもまして読んでいてワクワクする文章でした。

例によってまず参拝。
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境内の見どころを回ります。

産湯の井戸

境内右奥にあるのが、産湯の井戸
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三代松平信光出生時に使われ、それ以来松平家代々の産湯の祝泉となったとのこと。
家康の出生時にも竹筒に詰めて岡崎まで早馬で運んだそう。

岡崎城にも産湯の井戸(訪問記)がありましたが、いろんなところから集まったのかな。

産湯の井戸の奥には奥宮
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この辺りは奥まっていて特に神聖な雰囲気が漂っている気がしました。
もともと居館の一角に八幡社があったとのことで、産八幡の宮と呼ばれていますし、かつてのそれに当たるのかな。

松平郷館

もう一度境内へ戻って松平郷館を見学
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無料の小さな博物館。

というとイマイチに聞こえますが、松平家ゆかりの展示品がなかなか興味深い。
コンパクトでふらっと寄ってみるのにおすすめの博物館です。

松平郷散策

松平親氏

松平郷をさらに奥に進みます。

最初にいたのが松平親氏
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青銅色だからか、どことなくエキゾチックな印象

高月院への参道は室町塀が続く雰囲気の良い道のりでした。
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反対側は民家と田畑。のどかでほっこりします。
室町塀の奧には天下茶屋という名前のカフェもありました。

高月院

のどかな室町塀の通りを突き当たって到着したのが高月院 松平家菩提寺です。
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1376年松平親氏が堂や塔を建立し、高月院と改称。菩提寺とした歴史があります。
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古い門は、本堂とともに1641年に徳川家光の命で再建されたそう。

境内は広く、明るい印象。所々に石垣もありました。
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歴史を思うと、古い石垣かなとか、いつからこの様子だろうとか、疑問がつきません。
松平郷を見晴らす立地というのも意味があるのかな。

境内にはたくさんのお手植えの木々もありました。
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特にこちらは家康公のお手植えだとか。
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寿命的には世代交代しているんだろうなぁとは思いますが、こう書ける、信じる気になる歴史があります。

とか考えていたら、グサッと刺さる一言f:id:tmtmz:20211016221032j:image
直球で言われると胸に来るものがあります笑

高月院の副住職さんはYoutubeチャンネルも持たれているようで、先進的な取り組みに敏感な方なのかもしれません。

本堂に到着
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こちらも家光の命で再建されたもの。

本堂をモデルに写生されている地元の方がたくさんいらっしゃって、ちょっとしたお出かけスポットなのかな。

松平氏墓所

最後に訪れたのが、高月院の奧にある松平氏墓所

高月院歴代住職の墓所より一段高いところに置かれています。
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中央に松平氏初代の親氏、右に2代泰親、左に4台親忠夫人の墓塔が置かれています。
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松平郷で一番の高台に立地する高月院の一番の高台に眠る偉大な先祖。
地元の方からすると、今も守ってもらっているような気持ちになるのかもしれません。

穏やかな気候も相まって、温かい気持ちで散策を終えたところで、次のスポットへ。
松平氏遺跡群の最後、大給城へ向かいます。

この前に訪れた松平城はこちら

tmtmz.hatenablog.com

家康ゆかりの岡崎城

tmtmz.hatenablog.com

駿府城

tmtmz.hatenablog.com

浜松城もどうぞ。

tmtmz.hatenablog.com

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松平城 (愛知県豊田市) -松平家発祥の地 松平郷を巡る旅①

松平氏発祥の地、松平郷を巡るショートトリップ、最初はその名もずばりの松平城

松平氏の初代、松平親氏が築いた山城は、あくまでオーソドックスでしたが、その名前と歴史ともに回るとまた違った気持ちになるものです。
比高もしれていて歩きやすいですし

お城:松平城 愛知県豊田市
HP: 松平城跡 | 【公式】愛知県豊田市の観光サイト「ツーリズムとよた」
訪問日:2021年10月

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概要

応永年間(1394~1427)に松平親氏が築城したと伝わります。別名 郷敷城。

二代泰親が岩津城に移ってからは、松平信広の居城になったとされます。
そのまま松平郷松平家として松平郷を治めました。

文禄年間(1592~1595)に破却されたとされますが、諸説あります。

街道を眺める山頂にあり、本丸と周囲に二の丸や三の丸、空堀が残ります。

訪問記

豊田松平インターから国道301号線を走ること15分ほど。
大きな看板を目印に、松平氏の故郷、松平郷に到着です。

松平城へは、松平郷入口の駐車場に止めるのが便利。
駐車場に置かれた松平郷散策マップにも小さく松平城のアクセスが書かれていました。
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字はつぶれていますが、下のポップアップに描かれているのです。
大きい方は松平郷中心部の地図。また今度向かいます。

地図も参考に歩いて5分ほど。住宅の間を抜けて登城口へ到着です。

この写真のように要所要所に矢印が書かれてますので、迷う心配なしです。
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こちらが登城口
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解説もバッチリ
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ちょっと角度がずれてますが、新しく綺麗な石碑も完備
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整備された様子がテンションを上げてくれます。

入り口看板の縄張り図で全体を確認
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主郭1の西に2, 3, 4と3つの郭、東側には郭を囲う空堀が巡らせてあります。
曲輪4の西側には櫓台、東側には井戸もあるようです。

登っていきましょう。
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訪問したのは秋ですが、足元がきちんと整備されていて登るのは楽です。

分岐には看板もしっかり。
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まずは右側、曲輪4へ

じんわり広がって始まりがよく分からないまま曲輪4に到着

最初に目をひいたのがこちらの建物。
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お社か何かでしょうか。

改めて曲輪4全景です。
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とても広いわけではないものの、先ほどのような建物も立てられる曲輪。
写真奥には櫓台と推測されている、ちょっとした高まりもあります。

改めてお社側を振り返ります。
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曲輪4から登る道もできていますが、当時からあったものなのかな。

櫓台と思しき高まりへ。

とても立派なヤマモモ
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葉がありませんが、枯れているのか葉を落としているだけなのか。

櫓台と思しき高まりには大きな石がゴロゴロ。
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巨石はチラホラあるものの石垣はありませんが、何の石でしょう。

国道301号が今も良く見えます。
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これは櫓台を作りたくなるな。

引き続き、曲輪4から東へ。井戸を目指しました。

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が、倒竹に心折られちゃいました。なかなか草も成長していまして。

お社裏からの曲輪3へのルートではなく、上の方の写真、入口すぐの分岐に戻ります。
正式ルート?で曲輪3
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曲輪3は南西方向に細長い曲輪
縄張り図ではもう少し丸い印象でしたが、薮に隠れているのかもしれません。

曲輪3の南側すぐ下には曲輪4がありました。
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曲輪4が責められても曲輪3から対応できる景色ですが、そういう狙いもあったのかな。
でも、道中遺構もなかったので、大周りしなくてよかった。

東側主郭方面へ

こちらが曲輪2
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相変わらず細長い曲輪。幅は細いですが、長くてそれなりの広さです。
今見ると通路に見えてしまうところもありますが。

曲輪2から少し登ってすぐ主郭
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こちらも広さはほどほど。有事に立てこもるためのお城だったんでしょう。
ただ、その割に周囲に土塁もなく、守りの堅い城という印象はありません。
古い様式の山城、と言った雰囲気です。

主郭には巨石で作った何かがありました。
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祠か何かだったのでしょうか。こんな感じで主郭には巨石がチラホラありました。

立派な城址
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巨石を利用して高さを稼いで?います。

主郭周辺の空堀を見たかったのですが、さすがに見えず。
代わりに主郭東部から振り返って一枚
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広さがよく分かるアングルじゃないでしょうか。

最後降りがけに下が見えたので一枚。
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サクッと登れるお城でしたが、意外としっかりとした比高がありました。

というところまで見学したら、松平城は終了。
このまま松平氏居館のあった、松平郷を散策しに行きます。

感想

満足度 2.5/5

コンパクトで技巧が凝らされた城という訳でもありませんが、曲輪はよく残っていて、整備もされていて見やすいお城でした。
櫓台からの眺めなど、当時の意図も少し想像できた気がします。

あと、何よりも歴史が価値を高めてくれますね。

小さくとも要所を抑えた良いお城でした。

アクセス

松平城

  • アクセス
    電車:名鉄 豊田市駅よりバス 松平郷バス停下車 徒歩5分
    車:東海環状自動車道 豊田松平ICより約15分
      松平郷入り口広場に無料駐車場あり
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~0.5時間
  • 付近のスポット
    家康の産湯を組んだという井戸がある岡崎城は同じ三河の百名城です。

    tmtmz.hatenablog.com

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