にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

天竜浜名湖鉄道 歴史探訪の旅2 岩水寺駅を散策 -岩水寺・根堅遺跡

天浜線歴史巡りの旅。
2回目は岩水寺駅を散策します。

お目当ては駅前にある駅名の由来になっている岩水寺でしたが、旧石器時代の遺跡との偶然の出会いもありました。
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赤1:岩水寺駅 赤2:岩水寺 赤3:根堅遺跡

2本目 天竜二俣~岩水寺

前回降りた天竜二俣から旅再開。近くにお寺があることだけを調べて岩水寺駅へ向かいます。
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今度の列車は音街ウナ号
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写真は掛川駅で撮ったもの
こちらもキレイな列車でした。
駅や設備は古いものを大切に使っていますが、車両は更新されているのでしょう。

中は子供たちの書いた音街ウナで一色。
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浜松では有名なキャラなのかな。
窓にラッピングがなくて車窓がキレイだったので音街ウナ号の方が好きでした笑

岩水寺駅までは3駅8分だけの乗車です。

最初の駅は二俣本町駅鳥羽山城(訪問記二俣城(訪問記)への最寄り駅です。
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正面の山がたぶん二俣城跡のあるところ。

次の西鹿島駅までの間で天竜を渡ります。
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西鹿島駅では浜松市中心部につながる遠州鉄道と乗り換え可能。

西鹿島で高校生がたくさん乗ってきて車内が賑やかになりました。
乗り換え需要はあるようです。

賑やかな旅を続けたいところですが、もう岩水寺駅に到着。
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列車を見送ったらスタートです。
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去りゆく列車とともに。
線路が曲がっていますし、かつてはホームの反対側にも線路が敷かれていたのでしょう。

駅を振り返ります。
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ホーム一本だけ。
駅舎もない小さな駅ですが、プラットホームと待合所は登録有形文化財です。

駅前の近隣マップでは「緑のまち浜松」になっていますね。音の街じゃないのかな。
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駅前は相変わらず政令指定都市にあるとは思えない長閑な住宅街です。
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奥の高架は新東名高速。山奥を走っている印象ですが、そんなところまで来たとは。

龍宮山岩水寺

岩水寺駅から10分ほどで、駅名の由来になった岩水寺に到着。
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記事にまとめるにあたって調べた岩水寺の歴史を簡単に。

龍宮山岩水寺は、725年に行基菩薩薬師如来尊像を刻み、開創されました。
815年には嵯峨天皇の疫病平癒を祈願し、健康を取り戻されたという伝説が残ります。

また、岩水寺にはもう一つの本尊として厄除子安地蔵も伝えられています。
非常に珍しい母親の仏様であるため、家を守るは岩水寺といわれます。
こちらは天竜川の龍神様の化身で、坂上田村麻呂と恋に落ち、子を産んだという伝説が伝わります。

駅名だけで選んだ訪問先でしたが、後から調べると思った以上に由緒のあるところでびっくり。
そりゃ人も多かったわけです。

そんな岩水寺の境内全体像はこちら。

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思っていた以上に広い。
次の列車までの1時間で帰ってこられるか不安を感じつつ見学開始です。

まずは鐘楼堂
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すぐに本堂が見えてきました。
こちらは仁王門
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門をくぐって本堂(地蔵堂)
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本堂前の敷地は狭め。そのスペースに参拝客がたくさんいて、地元では親しまれている様子がうかがえます。
ここに厄除子安地蔵が祀られています。もちろん秘仏なので公開はされていませんが。

お参りののち、先を見学。
境内奥にある薬師根本堂までは行こうかな。

途中には御神木白山神社のクス
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立派ですね。市の天然記念物に指定されています。

脇から登って白山神社へ。
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上はちょっとわびしい雰囲気でした。。

十一面観音様は麓におられました。
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白山神社の隣には金城稲荷社
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真っ赤な鳥居は写真に映えます。
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それぞれ参拝を終えて、さらに先へ向かいます。

白山神社のふもとには赤池という池がありました。こちらも伝説のある池のようで、、
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この奧にある穴を通って、子安地蔵尊さまが信州まで通われているそう。

太鼓橋
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橋の向こうは森の様相で渡る勇気は出ませんでした。

薬師根本堂
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ここまで来る人は少ないようでひっそりとしていて、心穏やかに参拝できました。

この先も気になるところですが、残りの時間は岩水寺への道中に見かけた遺跡に使います。

根堅遺跡

その遺跡が根堅遺跡。

岩水寺の入り口に看板が出ていて気になってしまったんです。
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本州唯一とか、旧石器浜北人とか気になるワード満載じゃないですか?
こういう偶然の出会いは大切にしたい。

看板に従ってたどり着いたのは山間の荒地
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桜が植えられていて春先はキレイそうですが、遺跡はどこかな。
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と、探していると看板。
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看板によると、根堅遺跡とは昭和36年石灰岩採掘中に偶然見つかったヒトの臼歯をきっかけに発掘された洞窟内の遺跡とのこと。
発掘の結果、1万4千年前と1万8千年前の旧石器時代の人骨、浜北人の骨が見つかったそうです。
旧石器時代の人骨と確認されている化石人骨は本州唯一です。
特に1万4千年前の方は、20歳代女性で身長143cmと縄文時代人に似た体形をしていると考えられています。

ですが、浜北人の骨が見つかった後も石灰岩の発掘が続けられたため、地形は大きく改変され、遺跡のあった洞窟も失われています

なんと!

そりゃ何もない荒れ地な訳です。
石灰石を採掘される方の生活もありますが、貴重な遺跡なら。。。と思ってしまいました。

残念な気持ちを抱えつつ、駅に戻って次の列車を待ちます。

次はカモメの駅へ。

tmtmz.hatenablog.com

旅の最初はこちらから。

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天竜浜名湖鉄道 歴史探訪の旅 1 天竜二俣駅を散策

静岡県西部のローカル線、天浜線こと天竜浜名湖鉄道に乗ってぶらり途中下車の旅をしてきました。
レトロな駅が多く、タイムスリップした気分になれるローカル鉄道旅はコロナで遠出できない中での良い気分転換になりました。

まずは1回目 浜松市天竜区天竜二俣駅を散策します。

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紺1.掛川駅 紺2.天竜二俣

天竜浜名湖鉄道

天竜浜名湖鉄道静岡県掛川駅新所原駅浜名湖の北岸を通ってつなぐ全長67.7kmの第三セクター鉄道です。地元では天浜線と呼ばれています。

同じ区間浜松市街地や浜名湖の海沿いを通って天下の東海道線が繋いでいますが、戦前に軍事防衛上の観点から内陸を通るバイパス線として建設されました。
実際にバイパスとして活用されたこともあったそうですが、戦後は利用が伸びず、国鉄末期に第三セクター化され現在に至ります。

歴史のある鉄道だけあって、古くから残る施設が国の登録有形文化財として至るところに残ること、鉄道会社と沿線の方が観光面で盛り上げていることなど、ローカル線ですが見どころは多い鉄道です。

掛川駅

旅の始まりは起点の一つ、掛川駅。JRから乗り換えが可能です。
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掛川駅東海道新幹線も停まるので地元民からすれば便利なんですが、こだましか停まらないので遠方の方にはだいぶちょっと影が薄い駅ですかね。三河安城みたいに降りる合図になるわけでもないですし。

購入した1日フリー切符は絵馬仕様でした。
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願い事を書いて奉納してもらうこともできるそう。
こういうちょっとした工夫は嬉しい。ちょっとかさばるけど。
番号でのお年玉抽選もありましたが、見事に外れました。

乗った車両はこちらの1両編成の気動車
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全面N-ONEラッピングの天竜二俣行き。結構キレイな車両でした。

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中までホンダ一色です。
終点の二俣は本田宗一郎の故郷ですし、関係あるのでしょうか。

向かい側にはご当地キャラのラッピング列車で20分後に出る新所原行き。
掛川側は天竜二俣まで列車本数が多めです。
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ご当地キャラ音街ウナというそう。音楽うなぎと浜松名物全部載せですね。

1本目 掛川駅天竜二俣

まずはN-ONE号で天竜二俣まで50分の旅です。

10:30の列車に乗客は15人ほど。
ほとんどが掛川市街地の駅ですぐに降りていきました。昼間は乗客が少ないのかな。

そして車窓を眺めてすぐ気づく問題。窓までラッピングされていて写真が撮れない

2駅に1駅くらいの割合でレトロな雰囲気の良い駅が来るのですが
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原谷駅の自称日本一長いベンチ

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戸綿駅の昔懐かしい待合室とホーロー駅名板も、見えない…

というわけで、コロナが落ち着いたら是非その目でご覧ください。

車窓は目で楽しみつつ、行き違い待ちで時間のあった遠江一宮駅までひとっ飛び。

遠江一宮駅の二俣方面のホームはごくありふれたローカル駅風ですが、
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掛川方面はレトロな雰囲気漂ういい感じの駅舎でした。
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ここまでにも何駅もこういう駅舎があったので、気になったところで降りてみても良いかも。

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隅っこには木製のお洒落な駅名板も天浜線の多くの駅にありました。

ちなみに駅名の一宮は遠江国の一宮の小国神社を指します。
が、徒歩50分かかるそう。曜日限定の送迎バス必須ですね。

遠江一宮を出てしばらくすると車窓もいっそう田畑が広がります。
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田畑のところをピックアップしていますが、それにしてものんびりした空気が良いです。
時期を選べばもっと綺麗な車窓が見えるでしょう。

天竜二俣駅散策

掛川駅から50分で天竜二俣へ。車窓を眺めているとあっという間でした。

天竜二俣は車庫もある拠点となる駅で、ここで折り返す列車も多いです。
最初の列車はここで終点なので、次の列車までしばらく散策します。

まずは駅を探検。
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こちらもレトロな雰囲気。

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昔ながらの木造のホームですね。

天竜二俣は車庫があるだけでなく、ホームも二つ。天浜線では大きな駅です。
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ここにも木彫りの駅名板

使われていない線路跡にはミニトロ号という手漕ぎのトロッコがありました。
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友達ときたら楽しそうですが、1人では周りの視線が厳しい笑

駅舎も昔ながらの木造駅舎。
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駅名板も味があります。
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ちなみにここまで見てきた駅舎とプラットホームは登録有形文化財に指定されています。
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結構すごいことなのでしょうが、天浜線では珍しくないんですよね。これが。

駅前散策

つぎの列車まで20分の限られた時間ですが、駅前を散策していきます。

天竜二俣は、旧天竜市、現在の浜松市天竜区の中心街 二俣にある駅です。
二俣といえば城好きとしては二俣城のあるところです。最寄駅は隣ですが。

tmtmz.hatenablog.com

静岡県最大の都市、浜松市の駅とはいえ、天竜区は全国の区で1番人口と人口密度が少ないので、駅前はのんびりした雰囲気でした。
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駅前ロータリーもどことなくのんびり。

ロータリーの向こうには蒸気機関車がいました。
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昔走っていた車両でしょうか。

駅隣には定食屋さん。お休みでしたが、f:id:tmtmz:20210109083624j:image
転車台カレーという気になる旗がありました。見てみたかった。。

実は、転車台カレーが作られるくらい、天竜二俣駅は転車台が有名です。
トーマスに出てくるような扇形の車庫と転車台が今でも動く状態で、それ目当てのツアーも組まれるほど。

ツアーは時間があわなかったので見るだけ見に行こうと思ったら、転車台近くの道路には写真撮影禁止、敷地内侵入禁止の看板が。問題になったんですかね。。
素直に諦めて帰ります。

駅に着くと反対方面への列車が停まっていました。
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こちらは天浜線のベーシックカラーですね。映画に出てきそうな雰囲気です。

次の新所原行き列車が来るまでの間、駅から転車台見学にトライ。
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はい。よくわかりませんでした。

右側に見える白い物体は洗車機でしょうか。
天浜線には列車に乗ったまま洗車機に入っていくツアーもあってこちらも結構面白そうなんです。こちらもまた次の機会に。

そうこうしている内に新所原行きが到着。次の目的地 岩水寺駅へ向かいます。

tmtmz.hatenablog.com

 

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百名城 今帰仁城 (98・沖縄県今帰仁村) -曲がった石垣と一足早い桜まつりを楽しむ

個人的懐かしの沖縄城巡りを振り返る、中城城に続いて今帰仁城です。
こちらは石垣の曲線美が一層素晴らしいです。

キャンプの時期だと桜祭りと重なるので、城好き関係なく、美ら海水族館、古宇利島などとあわせて回れる、本島北部の有力な観光スポットですね。

お城:今帰仁城(98) 沖縄県今帰仁村
HP: 世界遺産 今帰仁城跡(公式サイト)
訪問日:2017年2月
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概要

13世紀末から14世紀初めに北山の王、怕尼芝(はにじ)の拠点として築城され、14世紀前半に石垣が積まれ、15世紀前半には現在の縄張りとなったと考えられています。

中山の王、尚巴志の攻撃にも耐えたものの、1416年に調略によって滅ぼされ、その後は中山が設置した北部地域の監守の居城として利用されます。

しかし1609年の薩摩軍による琉球侵攻で炎上し、廃城となりました。

その後は、拝所、精神的拠りどころとして今日まで残りました。

訪問記

本島北部観光 日本ハム二軍キャンプ2017&古宇利大橋

中城城のあと、今帰仁城のある本島北部へ。
今帰仁城は遅くまでやっているので、まずは時間制限の厳しい野球から。

この時は国頭村でやっている日本ハム二軍キャンプを訪問しました。
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が、着いたのは14:30過ぎ。全体練習は終わっていました。さすがに国頭村は遠かった。
遠くから個人練習を眺めますが、外に出ている選手がほとんどいない。。ちょっと残念でした。

ただ、国頭村まで行ったのは初めてだったので新鮮でした。道の駅良いところです。

ちなみに、当時は二軍しかいませんでしたが、今なら名護球場の改修も終わって日本ハム一軍キャンプも近くにいます。来年は一緒に訪問可能になるかな。

その後は近くの海にかかる橋、古宇利大橋へ。
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思いっきり曇ってます。。青い空に青い海が良かったなぁ。

今帰仁城

さて、前置きが長くなりましたが、今帰仁城

まずは今帰仁村グスク交流センターで入場券購入とともにスタンプをゲット。
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解読するのに時間がかかりましたが、曲がりくねった城壁がモデルでしょうか。

城内を先へ進むと、いきなりその曲がりくねった石垣がお出迎え。
1番絵になるポイントからスタートです。
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背後に映る石垣は大隅 (ウーシミ)の石垣 曲線美ですね。
ただ、きっとこの曲線は美しさだけでなく、五稜郭のような死角を減らしたりする意味もあるんでしょう。

今帰仁城全体で1.5kmもの石垣が当時のまま残っていて、曲がりくねったさまは大曲りとも呼ばれます。

それにしても、この看板の配置は集合写真撮って欲しいんだろうなぁ笑

 

石垣の内側へは平郎門という石門を通って進みます。
こちらは中城城のようなアーチ門ではなく四角い門で、昭和37年に復元されました。

平郎門をくぐると石畳の道カンヒザクラ
1月中旬から2月初めには桜祭りが開催されていて、この時もちょうどお祭り中でした。
2021年は残念ながら中止でした。。
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ソメイヨシノとはまた違って、これはこれで美しい。
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沖縄で一足先に桜を愛でるのも良いものです。
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紅が濃いので遠くから見たときに特に綺麗です。

と、何を見に来たかわからなくなりそうですが、ここからは城跡散策。

続いては大庭(ウーミャ)と呼ばれる郭。
行事等に利用された重要な広場であったと考えられています。
その先は御内原(ウーチバル)という郭。
女官の生活の場と伝えられています。

このあたり、今は跡地がメインですが、御嶽もあって、古の生活に思いを馳せられるスポットです。

そして次も今帰仁城の人気スポット。御内原からは大隅の石垣や海を眺めることができます。
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青空がよかったんですが、何となく寒々しい写真になってしまいました。
実は2月の沖縄って寒い日も多いので。。

奧へ進むと主郭
礎石や祠が戦時されています。今までより建物を感じる郭です。

そしてその先は志慶真門郭(しげまじょうかく)
城主に仕えた人々が住んだと考えられていて、4つの建物跡が見つかっています。
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右隅のように建物跡が分かるように整備されています。
こちら側から見ると主郭の石垣が高すぎてとても攻められそうにないです。

と、こんな感じで今帰仁城探索は終了。
もう1か所だけ観光してきました。

塩川

最後に訪れたのは、マイナースポットであろう塩川へ。
ドライブ中に見かけた看板に吸い寄せられて訪問。地球のミステリーを感じられました。

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天然記念物の川、というものに惹かれまして。

この看板の近くに駐車場がありますが、全く人がいませんでしたので、混雑の心配なしです。
ただ、塩川以外には看板しかなく、渋めの観光スポットかもしれません。

塩川は、その名の通り塩水が流れる川です。
さらに珍しいことに湧き水が塩水。
日本で唯一、世界でも二か所しかないもので、天然記念物に指定されています。
海沿いの道路脇ですが、海とは反対側、距離のある所から塩水が湧いています。

実際の様子はこんな感じ。
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訪問時は透き通った水が流れる綺麗な小川でした。写真が汚い。。。
写真では分かりませんが、確かに水が湧いていました。

ただ、この川が塩分を含む理由はまだわかっていないそう。
成分は、海水より希釈された塩水で、カルシウムが多いことから石灰石の成分を含むことは分かっています。
海の潮位と湧水量の関係、降水量と湧水量の関係、湧水量と塩分濃度の関係は分かっていても、明確な理由までは分かっていません。
今の有力な説は、地下水が海水と交じって湧いているというものだそうですが、これという説を出せれば一気に引っくり返せるかもしれません。

それにしても未だに分かっていないこともあるんですね。ロマンが広がります。

感想

満足度 4/5

本島北部スポット詰め合わせにしてしまいましたが、今帰仁城の感想を。

いきなり現れる曲がった石垣が何より印象に残る城跡でした。
中城城より古いこともあって、少し野面に近い荒さも残しつつ、高く堅固に積まれた様はとても良いです。

沖縄キャンプと桜まつりが被っているのも嬉しい偶然。
桜まつりは人も多くて、人気をうかがえる場所でした。

アクセス

今帰仁城

  • アクセス
    バス:名護バスターミナルからバス 今帰仁城跡入口 バス停下車 徒歩15分
    車:沖縄自動車道 許田ICより約35分
      無料駐車場あり(約320台)
  • スタンプ・開館時間
    今帰仁村グスク交流センター
    開館時間:8:00~18:00(5-8月は19:00まで 最終入場30分前)
     休館日:年中無休
     入館料:大人400円、小中高生300円、小学生以下 無料
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    0.5時間 
  • 付近のスポット
    近くの百名城だと座喜味城、勝連城、中城城
    観光スポットは、美ら海水族館や古宇利島などの有名スポットがすぐそばです。

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百名城 中城城 (99・沖縄県北中城村) -高い技術の石垣が良好に残る名城

2月といえばプロ野球キャンプ、プロ野球キャンプといえば沖縄ですね。
というわけで沖縄県の百名城訪問記です。強引。

まぁ実際には、ここんとこずっと行っていた沖縄キャンプに行けない寂しさの穴埋めです。楽しかった過去を振り返ります。

最初は中城城(なかぐすくじょう)。沖縄本島中部の世界遺産、百名城です。

過去旅で写真少なめですが、石垣の曲線アーチ門の美しさ技術の高さ南国の自然が印象的で、城にハマる前でも楽しめる観光スポットでした。
石に囲まれて楽しい経験ができました。

お城:中城城(99) 沖縄県北中城村
HP:沖縄の世界遺産 中城城跡
訪問日:2017年2月
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概要

築城時期は明確ではありませんが、14世紀後半に先中城按司 (さきなかぐすくあじ)が築城しました。
1440年に座喜味城から移った護佐丸が増築して、6つの曲輪が連なる連郭式の現在の縄張りとなりました。

1458年、護佐丸は勝連城主の阿麻和利の策略によって急襲され、自害しました。
ちなみに勝連城はこんなところ

tmtmz.hatenablog.com

その後は琉球王府直轄地、中城王子の居城となります。
琉球侵攻後は番所琉球処分後は中城村役場として利用されました。

第二次大戦で村役場は焼失しますが、被害は比較的小さく、石垣などは良好に残りました。
戦後、公園としての整備が進められ、2000年に世界遺産に登録されています。

訪問記

時は2017年 コロナのコの字もない良い時代でした。あぁ戻りたい。

城好き友人と共に百名城巡りを始めて最初の2月。
恒例だった沖縄キャンプに合わせて初の沖縄百名城巡りへ向かいました。

この日は中城城と今帰仁城&本島北部のキャンプ地巡りのために朝7時出です。

朝ごはんはホテル近くの定食屋さんでチャンプルー
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普段は朝ご飯は適当ですが、沖縄に来たら朝からガッツリ食べたくなりますよね。
それにしても美味しかった。

レンタカーで最初の目的地、中城城へ。那覇から30分少し。
駐車場無料が嬉しいですね。

駐車場からすぐに料金所。
そしてここにスタンプがあります。
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モデルはアーチ門ですね。きれいですもんね。

先へ進むと早速郭が見えて来ました。
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正面にそびえるは三の郭の高石垣 青空だったらもっと映えたんだろうな

護佐丸が増築した部分にあたり、新城(ミーグスク)とも呼ばれます。

相方積み (亀甲乱積み) という積み方をされた石垣が並びます。
本土の石垣とは全く違う曲線美にワクワクします。

先へ進んで裏門から北郭へ。
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綺麗な石積みのアーチ門はペリー提督らが来島した際、エジプト式と評し、美しさ、堅固さを絶賛されました。
アーチ門自体が特徴的ですが、本土の城跡ばかり見ていると、15世紀にこのアーチ門の技術があったことに驚きます。

この先は北の郭

井戸などがある籠城戦を見据えた郭です。
生えている木も南国で空気が違います。

この先、三の郭内部、二の郭も巡ったはずですが、写真はなし。
綺麗な高石垣を見て楽しんだ結果、写真を撮らなかったようです。

まぁ現地で楽しむのが一番ですからね。

一の郭への門(たぶん)
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本当にきれいです。ヨーロッパの古城をも彷彿とさせる精密なアーチ門。
これが14世紀に作られたんですからすごい。本土より150年以上早いですね。

門の向こうが青空だったらどんなにきれいだったか。

一の郭も今は芝生の広場ですが、一番広い郭で正殿や中城村役場が置かれていました。

さらに進んで南の郭を抜けて正門には城址があります。f:id:tmtmz:20210205200029j:image
バックの高い石垣は南の郭を囲む石垣。どこまでもきれいな石垣を眺められました。

本当は正門自体も雰囲気の良い石門なんですが、こちらも目で楽しんだだけだったので、ぜひコロナが落ち着いてから現地でご覧ください

このまま折り返して中城城終了、次の目的地へ向かいます。

感想

満足度4/5

見た目だけでなく実用性も兼ね備えている石垣にほれぼれする城跡でした。
絶賛する気持ちもよく分かります。
美しい。あぁまた行きたい。

おまけ 阪神宜野座キャンプ2017

この日はこのまま宜野座村で行われている阪神の一軍キャンプへ向かいました。

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人気球団だけあってお客さんはかなり多いですが、

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タイミングを選べばブルペンをきれいにみることができます。
(最近見学者席がきれいになったのでちょっとハードルが上がりましたが。)

この時は福留さんが目慣らしをしていました。
今年はわれらが中日に復帰されたので活躍が楽しみです。

アクセス

中城城

  • アクセス
    バス:那覇バスターミナルから30番 泡瀬東線で中城小学校前 下車 徒歩45分
       または久場 下車 徒歩30分(どちらも結構な登りです)
       令和3年度末までグスクめぐりんという実証実験のバスが近くを通ります。
    車:沖縄自動車道北中城ICから約10分
      無料駐車場あり(50台)
  • スタンプ・開館時間
    中城城管理事務所窓口(料金所窓口)
    開館時間:8:30~17:00(16:30閉門)
     休館日:年中無休
     入館料:大人400円、中高生300円、小学生200円
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    0.5~1時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城だと首里城、座喜味城、勝連城でしょう。

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油山寺(静岡県袋井市)-掛川城の大手門が移築された目の霊山

静岡県袋井市にある医王山薬王院油山寺へ。
遠州三山と呼ばれる遠江の三古刹の一つです。

701年に行基菩薩が創建されました。
749年、孝謙天皇の眼病が治癒したという伝承から目の霊山とされます。
いたるところに「め」の字が書かれた絵馬がかかった薬師本堂が印象的でした。

お城好きとしては掛川城大手門が移設された山門も大きな見どころです。

油山寺
HP:目の霊山 油山寺
訪問日:2021年1月
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訪問記

2021年初詣ツアーと称して1月の週末に訪問。
参拝自体も楽しみですが、山門の見学がもう一つのお目当てです。

初めて知りましたが、3が日に行かなくても初詣になるんですね。その辺厳しそうな印象もありましたが、意外と柔軟。
そういえば友達のお寺の息子も大らかだったかも。

油山寺へのアクセスとしては、一応コミュニティバスはあるみたいですが、なかなか公共交通でのアクセスは厳しい立地。。
その分、広めの無料駐車場は完備されています。

山門

車を停めて見学開始。早速お目当ての一つ、山門が見えています。
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前述のとおり、山門は掛川城大手二の門を移築したもの。
もともと、1659年に井伊直好公が建立しました。
1873年の廃藩に際して、時の城主・太田備中守が眼病全快のお礼として移築しました。

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1970年の昭和の大修理を経て当時の姿に復元されたこともあり、とてもきれいな状態。
いきなりこんな威厳のある門があって、ここだけ見ると城巡りに来たかのような気持ちになります。

この門が元あった掛川城の訪問記はこちら

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門をくぐると完全にお寺。ちょっとテンションがついていけません。
それでも、この木々に囲まれた静謐な雰囲気はとても良いです。
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秋には紅葉も楽しめるそうです。ここは本当にきれいでしょうね。

ちなみに、写真にほとんど人が写っていないように、人はとても少なかったです。良いところなのにもったいない。

境内案内図もすぐに出てきます。
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最初に右手に描かれた祈祷所を覗いて、中央上の薬師本堂へ向かいます。

本坊宝生殿祈祷所

正面の礼拝門をくぐると祈祷所へ直ぐに到着です。
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正面に宝生殿。右手に本坊
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「め」と書かれた絵馬が文字通り目を引きます。
下の健足の絵馬も特徴的なはずなんですが、めばかりに目が行きます。

よく見ると「め」ってインパクトのある字面していますよね。

お札やおみくじは薬師本堂を参拝した後に、と思ってここで引き返しましたが、実はさっきの写真で左手に見切れている書院が横須賀城から寄進されたものだったそう。
もったいないことをしました。

横須賀城はこんなところです。

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るりの滝

薬師本堂へ登っていきます。参道が山道の雰囲気を出してきました。
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すごい谷に来たと思ったら天狗谷という由来ありそうな名前。
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自然の雰囲気がとても良いです。お寺の敷地というより山にハイキングに来たような。
良いところなのに人がいない分、動物がいたかな。

天狗谷を抜けて少し階段を上るとるりの滝に到着。
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こちらがるりの滝
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何も知らずに見るとただの細い滝ですが、この滝の水で孝謙天皇が洗眼したところ、病が完治したと伝えられています。
つまり、目の霊山の由来となった滝ということです。

歴代色々な方が建物を寄進されているので、たくさんの方がここで目を洗われたんでしょう。

三重塔・薬師本堂へ

るりの滝からもう少し登ると薬師本堂に到着。
境内案内図では山の上のように書かれていましたが、そんなに登ることなく着きました。よかった。

到着するとすぐに三重塔がお出迎え。
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静岡ではなかなか見ない立派な三重塔だなと思っていたら、
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1190年に源頼朝公が眼病全快のお礼に薬師本堂とともに寄進された由緒正しき三重塔でした。
1611年に再建され、滋賀の長命寺と京都の宝積寺とともに安土桃山期の三名塔に数えられているそうです。

なんだか由緒正しき建物が多すぎる気がします。それだけ効能が強いのかな。
それなのに、なんでこんなに人が少ないんでしょう。もったいない。

この先に薬師本堂
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こちらも1190年に源頼朝が寄進したものです。
さらに1738年に徳川吉宗が病気平癒のお礼に再建したとされます。
有名な人が出てきすぎて麻痺しそう。

薬師本堂で参拝して、中を見学。
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中には歴史ありそうな絵とともに「め」の絵馬がたくさん。
「め」に囲まれるとなんだか見つめられている気がして落ち着きません。
不思議な感覚でした。

最後は飛んでふもとのお地蔵さんへ。
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ここは現代風な映えスポットですね。これはこれできれい。

初詣と山門を目的に参拝しましたが、想像以上に境内は広く、見どころも豊富で、古くから親しまれたお寺ということがよく分かりました。
森の静寂を感じつつ、お参りもできてお寺が好きな人にはとても良いスポットでしょう。
眼病になったらすぐ来よう。

アクセス

油山寺

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続百名城 新府城(127・山梨県韮崎市)2/2 -本丸、出構を巡る

前回に続いて山梨県韮崎市にある続百名城・新府城を散策
本丸のあと、新府城もう一つの特徴、出構に向かいます。

前編はこちら

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訪問記

三の丸・二の丸

前回最後の大手枡形虎口からもどって本丸へ向かいます。

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想定復元図で言うと、右下の大手門から西回りに本丸、北の方へ向かいます。

順路に戻るとすぐに右手に三の丸があるはず。

ですが、東三の丸の看板の向こうは草ボーボー
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その先にあった西三の丸。こちらも草木でボーボー
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真冬でこれだときつい。

一応、場所を選べば東西三の丸を仕切る土塁は見えますが、
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それ以外はよく分からず、ほぼ森です。

先へ。

二の丸馬出の看板が見えてきました。どこかな。
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その気になる馬出の看板をあえてスルーして、右手を見ると、、、

喰い違い虎口
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かなり低くなっていますが、残っていることは十分わかります。
看板もないのに見つけられてテンション上がります。

当時のようにこちらへ行きたいところですが、繋がっていないので渋々元の道で二の丸へ。

二の丸はかなり広い曲輪。
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ただ中央はここも草ボーボー。

中を回ります。
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入ってみると、南側には二の丸と馬出を仕切る土塁が残っていました。よかった。

二の丸馬出への虎口。
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ここから先ほどスルーした二の丸馬出へ向かいたいところですが、、

覗いた二の丸馬出はまさに森の様相。写真も厳しい。。残念。

順路に戻って本丸へ。

本丸

本丸はめちゃくちゃ広い平場です。
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見渡す限りの平場。
これなら政庁機能を移しても全く問題なさそうです。

右手から回り始めると、今の順路とは別に、二の丸の正面とつながる蔀の構(しとみのかまえ)がありました。最初にこっちから入りたかった。
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蔀の構は城内を見通せないよう工夫したもの。今も植え込みで囲まれて見通しはありません。
一応つながっているので順路からここを通って本丸に入ることもできますが、まぁ分かりにくいので、初見ではきついかな。

改めて本丸を見学。反時計回りにまずは南へ。

本丸南側の土塁。本丸は全体に土塁で囲まれています。
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全く見えなかった三の丸は上から見てもやっぱり森。
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本丸東側には小さな稲荷曲輪藤武神社が建っています。

急こう配の参道を、、、
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迂回する乙女坂もありましたが、かなりワイルドな様子。
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乙女じゃないね。これ。

藤武神社の本殿はこのときも参拝されている方がいました。
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綺麗に管理されていて、地元の方に親しまれていることがよく分かります。

藤武神社の脇には説明板がたくさんあります。
看板によって曲輪の名前が少しずつ違うのはなんででしょう。

まだまだ本丸には見どころがあります。北へ。

勝頼公霊社 
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近くには長篠の戦いで亡くなった方も含めた武田14公霊碑も並んでいます。

巨大な石碑
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こんな立派な岩見たことありません。

北側からの眺望。八ヶ岳が見えるはず、、、
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ですが、八ヶ岳は雲を被っていました。

最後に本丸中央の碑。
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広すぎて逆にこれという被写体が少ない新府城ですが、これが一番それっぽい碑かな。

乾門方面へ

本丸をでて、北側の遺構を巡ります。
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北側も相変わらず落ち葉まみれ。滑るので要注意です。

すり鉢状の井戸跡
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とても広く深い井戸でした。雨水を溜めていたのかな

本丸北側の縄張りは、東西に走る堀で区切られています。
また一部の堀は南側にも伸びていました。
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その南側に伸びる堀を東西に横切って、乾門から帯曲輪方面にかかっていたと思われる木橋の橋台が見つかっています。
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おそらくこの堀の両端。現地だともう少し見やすかったんです。。

縄張りの北西端にある乾門から外へ出ます。

乾門

乾門全景。
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ここには立派な枡形が残っています。
もともとは搦手門と呼ばれていたものが、研究の進展とともに用途を限定しない乾門に呼称変更されたそう。

内側には礎石が6つ
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外側には礎石が2つ
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それぞれ復元整備されています。
どんな門が建っていたのかも気になりますが、資料不足なので平面整備にとどめたそう。

乾門は北西端にありました。
西側には釜無川の断崖絶壁。
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これは登れないですね。この立地を選んだ理由がわかる気がします。

堀伝いに残りの遺構を見学。

堀の現状はこんな感じ。
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今でもところどころ水が溜まっていました。

堀の周りは湿地帯。こちらから攻めるのも大変そうです。
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うーん行きたくない湿地です。

そしてここへ来て手の込んだ解説板がたくさん出てきました。
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大手という名前に惹かれて後回しにしましたが、順路としてはこっちだったのかな。

出構

最後に新府城の特徴の一つ。西の出構へ。
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機能には諸説あり、北からの侵入者に対して鉄砲で防御する施設だった、堀の水の高さを調節する施設だった、などと言われているそうです。

出構は東西二つあります。東出構
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他では見たことないかも。

結構低いので防御の足しになるのか疑問ではありますが、堀の水調節のためにここまで大掛かりなものを作るのかなという気もしますし、、、教えてください偉い人。

と、考えながら歩いていたら駐車場へ。
資料館の方の言う通り、城好きなら1.5時間はかかる城跡でした。

感想

満足度 3.5/5

とてもとても広く、その分見どころも多いところでした。

草木もすごかったですが、出構や丸馬出など見どころは復元整備していただいていて、見ていて楽しいですね。
建物は資料がないので平面復元にとどめるなど、冷静に丁寧な復元をされているのも好印象でした。

アクセス

新府城

  • アクセス
    電車:JR中央本線新府駅から徒歩15分 
    車:中央道 韮崎ICから20分
      無料駐車場あり
      駐車場というよりただの砂地ですが、約30台停められるそうです。
  • スタンプ・開館時間
    韮崎市民俗資料館
    新府城からは車で7,8分の距離にあるので要注意。
    HP:韮崎市民俗資料館公式ブログ 「にらみん」のお散歩日記 開館時間:9:00~16:30
     休館日:月曜日(祝日の場合は開館し、直近の平日2日を休館)、木曜日午前、祝日の翌日、年末年始(詳細はHPで公開)
     入館料:無料
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    1~1.5時間 民俗資料館も含めると2時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城だと甲府城躑躅ヶ﨑館、要害山城、高島城 でしょう。

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続百名城 新府城(127・山梨県韮崎市)1/2 -スタンプ・丸馬出を巡る

武田家最後のお城 山梨県韮崎市にある新府城へ。

わずか68日の在城期間ですが、広い敷地に立派な縄張り、防御機構が印象的でした。
この城にかけた思いが見える気がします。

目玉の丸馬出、出構など武田家の特徴的な遺構をはじめ見どころが多く、当時のイメージが膨らむ良い城跡でした。

お城:新府城(127) 山梨県韮崎市
HP:新府城跡/韮崎市観光協会
訪問日:2020年12月
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概要

新府城は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れたあと危地に立たされた武田勝頼、領国の防衛体制を固めるために築城しました。

八ヶ岳から延びる七里岩の断崖を利用した平山城で、丸馬出や三日月堀、堀や出構が設けられた構造から武田流築城術の集大成とも呼ばれます。

1581年に築城が始まり、年末には未完のまま躑躅ヶ﨑館から移りました。
しかし、織田軍の侵攻を受け、1582年3月には岩殿城へ逃れようと勝頼自ら火を放ちます。在城期間はわずか68日でした。

勝頼は岩殿城へ向かうも、岩殿城主小山田信茂の謀反を知り、道中で追い詰められ、自害しました。

新府城はその後、天正壬午の乱で徳川軍の本陣が置かれるなどしますが、甲府城が築かれると拠点が移り、廃城となりました。

訪問記

スタンプ@韮崎市民俗資料館

まずはスタンプをもらいに韮崎市民俗資料館へ。
新府城とは少し離れているので要注意です。
また、休館日多めなので、HPでご確認ください。

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よくある昭和な民俗資料館です。

入口すぐにスタンプ
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モデルは七里岩の断崖ですかね。航空写真?

資料館の受付でマップ付パンフレットを頂いて出発です。
なお、このパンフレットはpdfも存在します。HP

職員さんによれば、駐車場から本丸まで「まっすぐ行けば15分城好きなら1.5時間」。
あんたみたいな城好きなら、と言われたのがかなり恥ずかしかったですが、続百名城スタンプを探して来たら城好き扱いになりますか。まだ下手の横好きのつもりですが。

後から振り返ってみると、所要時間はその通りでした。はい。城好きですね。

資料館は1階にジオラマ、2階には古代から昭和までの韮崎の歴史の展示でした。
ジオラマは結構力が入っていて、良かったです。
見学ルートを考えるのに役立ちました。

さらに周りにも建物展示がたくさん
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水車小屋

花子とアンのロケセットたち
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見ていたら感動もひとしおだったかなぁ。

一通り見学したら新府城へ。

新府城

韮崎市民俗資料館から新府城へは車で10分掛からないくらい。

明らかに城跡感漂う山を左手に見ながら通り過ぎるとすぐ右手に駐車場があります。
ただの砂地の広場ですが、迷わないし広いところは良い。
ナビで行っても駐車場を探して彷徨うなんてザラですしね。

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駐車場に解説板。ただ、これは出構の説明で、縄張り図はありません。
現地で考えるスタイルの訪問は厳しそうで、パンフレットがあったほうがよいです。

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マップ右上(北東)の駐車場から、下に向かう赤矢印に従って、丸馬出、本丸、乾門、出構の順に回っていきます。

駐車場正面に大きく広がるのが新府城。のはずですが、逆光で真っ暗。
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道の向こうの出構を見たいんですが、肉眼でも全く見えません。。。

という訳で、全体像を見ることなく散策開始。

散策開始

東側にも堀や虎口が残っています。こちらは
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東側枡形虎口
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このあたり解説は全くありませんが、早速立派に残っています。

ここまで見てからやっと道路を渡ります。いよいよメインの敷地へ。

新府城本丸には今は藤武神社が建てられています。
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藤武神社へ向かう参道
左手に立派な解説板があるんですが、車通りの多い道路沿いで、歩道はなく、落ち着いて読むのは厳しい配置。
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せっかくの立派な看板、場所変えられないものでしょうか。

道路を少し進んで入り口へ
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全体に落ち葉がすごい。
色々巡ってみましたが、落ち葉がないところが順路でした。

進むとすぐに帯曲輪
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新府城は山の中腹に帯曲輪が作られています。
今と同じく通路として使われていたとか。

先へ進むと大手枡形虎口と書いた矢印が落ち葉の溜まった道を指していますが、これはダウト。落ち葉の少ない綺麗な道が順路です。痛い目見ました。

大手枡形虎口・丸馬出

順路を進んで大手枡形虎口
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かなり高い土塁がしっかり残っています。当時はどれだけ高かったんでしょうか。
ジオラマにも描かれていたように門も建てられていたのでしょう。
今は遠くには富士山も見えています。

この先は丸馬出
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土塁こそ低くなっていますが、しっかり残った丸馬出。
これぞ武田流築城術です。その先の富士山もよい。

丸馬出からの眺め。
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この素晴らしい眺望はきっと当時から変わらないはず。

脇から降りて三日月堀
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堀こそ浅くなっていますが、丸馬出の高さはすごい。
ここまで高いと下から攻めたらあっという間にやられてしまいそう。

もう一度順路に戻って本丸に向かいます。

と思いましたが、長くなってきたのでここからは次回へ。
本丸から縄張りの北方面へ、新府城の特徴、出構などを見に行きます。

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