にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

大旅籠柏屋(静岡県藤枝市)-旧東海道岡部宿を代表する旅籠

静岡県藤枝市岡部町にある大旅籠柏屋へ。
江戸時代、旧東海道の旅館を旅籠(はたご)といいますが、柏屋はその規模から大旅籠と呼ばれた岡部宿を代表する施設です。

近場の観光スポットでふらっと立ち寄っただけですが、職員さんの人柄も含めてよいところでした。期待を大きく超えてきました。

大旅籠柏屋
HP:岡部宿大旅籠柏屋/藤枝市ホームページ
訪問日:2020年10月
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訪問記

大旅籠柏屋は、旧東海道21番目の宿場町だった岡部宿にある江戸時代の旅籠です。
江戸時代後期に再建された建物が今も残っていて、お邪魔することができます。

訪問したのは10月末。
まだまだ暑い日だったので、中に入る前にそばの休憩所でとりあえずアイス笑
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お休み処は軽食を食べる地元の方の憩いの場になっていました。

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軽食に加えてお土産も売っていました。
地元産の柿を買って帰ろうと思ってアイスを食べていたらその間に売切れてしまいました。
確かに人多かったしなぁ。

さて、改めて見学。
案内所では旧東海道の宿場町をご紹介。
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岡部宿は東海道21番目の宿場町

府中宿(静岡市)から鞠子宿、そして旧東海道の難所として知られた宇津ノ谷峠を越えたところにありました。

小さな宿場町でしたが、大井川の川留めの際には、大井川に近い嶋田宿、藤枝宿を越えてお客さんが滞留して、岡部宿まで賑わっていたそうです。

主屋を見学

主屋はかつての東海道、旧国道1号線に面しています
正面からの写真を撮るのは大変。
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雰囲気を感じる建物に期待が高まります。

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看板はこんな感じ。集合写真を撮ってもよさそうですね。

中に入るとすぐ左右に受付とみせの間と呼ばれるお座敷。

みせの間では宇津ノ谷峠を越えた弥次さん喜多さんが女将さんにお出迎えされていました。
足を洗いなさい、と言われていたような笑

その後すぐに我々にも職員さんがお出迎え。
受付を済ませると、良かったら説明しましょうか?とお誘いいただきました。
ぜひぜひ。

追加料金なしで懇切丁寧な説明をしてくださり、ありがたい限りです。
しかも分かりやすい。

当時の建物の使われ方から窓の開け閉めまで実演も交えて紹介いただきました。
しかも時間も長すぎずに程よい。これはお願いするのがおススメです。

そしてその結果写真はありません。説明聞く方に集中してしまいまして。。

という訳で1階の仏間の写真はこれだけ。
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当時の家具、備品たち。
長火鉢の前で宿の主人気分で写真を撮れます。

2階への階段はやっぱり急。
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現存天守はもちろん全部が急ですし、江戸後期でもこの傾きと思うと、どの時代から階段が緩やかになったんでしょうか。

2階の客間へ。
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一の間では弥次さん喜多さんが宴の最中。
何かを喋っていた記憶がありますが、記憶力が足りない…

2階の客間(二の間
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当時の寝具が展示されていました。
綺麗な部屋ですし、当時としては結構良い方のお部屋だったんじゃないかな。

2階この先では当時の旅や岡部宿、柏屋の歴史の紹介。
ジオラマも多用されていて楽しく見ることができました。

一番印象に残ったのは、将軍家もてなし料理の紹介で、各宿場の名物を使った和食が書かれる中にあった袋井宿たまごふわふわの文字。
当時からご当地B級グルメみたいなものもあったんですかね。岡部宿の名物は忘れてしまいましたが。

さて、1階へ戻って本座敷へ。
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8畳2間が通しになっていて広い。細部まで装飾されているスイートルームですね。

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綺麗なお庭を眺めることもできます。

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隅にあった水琴窟は今でもきれいな音を奏でていました。

建物内の見学はここまで。
施設の周りにはもう少しほかの建物も集まっています。
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主屋を抜けた先にはなまこ壁の建物が集まっていて、今はギャラリーやカフェレストランになっています。

隣の敷地には内野本陣史跡広場
こちらは江戸時代、大名や旗本が使用した格式高い宿泊施設である本陣の跡地を整備した広場です。
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中は平面展示。
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ここから当時をイメージするには想像力が必要ですが、こんなものもあったんだなぁと。
宿場町は歴史が違います。

小さな施設かな、と勝手に考えていたところ、想像以上に素晴らしい説明と面白い展示で良い意味で期待を裏切られました。
これで300円の入場料は安い。

コロナの状況でもお客さんが入っていたのも頷ける満足感でした。

アクセス

大旅籠柏屋

  • アクセス
    電車:JR藤枝駅またはJR静岡駅からバス 岡部宿柏屋前バス停下車
    車:東名 焼津ICより15分、新東名 藤枝岡部ICより10分
  • 入館料
    大人300円、中学生以下無料
  • 利用時間
    9:00~17:00(最終入館16:30)
    月曜日(祝日の場合、翌日)、年末年始休館
  • 所要時間
    0.5~1時間
  • 付近のスポット
    旧東海道の歴史遺産:宇津ノ谷峠明治のトンネル(訪問記)や大井川川越遺跡(訪問記
    城跡:駿府城訪問記)、田中城、諏訪原城訪問記

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清瀧寺 (静岡県浜松市) -松平信康の菩提寺

二俣地域の城巡り 最後は二俣城ゆかりの松平信康菩提寺清瀧寺へ。

小さな静かなお寺ですが、二俣城ゆかりの見どころも多く、松平信康の霊廟もあり、訪問した甲斐ありました。

清瀧寺
HP:施設スポット検索-清瀧寺|公式/浜松・浜名湖観光情報サイト~浜松だいすきネット~
訪問日:2020年12月
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訪問記

二俣城と鳥羽山城を散策した後、信長の命で二俣城で切腹した松平信康の霊廟がある清瀧寺にも足を延ばしてきました。
二俣城からは歩いても10分ぐらいですので、行かない手はないですね。

車は二俣小学校前の無料駐車場に停めました。
二俣周辺史跡等周遊、本田宗一郎ものづくり伝承館、二俣商店街を利用のであれば無料で駐車可能でありがたい。

車を停めたら歩いて清瀧寺へ。

諏訪神社

清瀧寺の正門には諏訪神社が建立されています。
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きれいに手入れされた地元のお社という雰囲気ですね。

本堂へ。鳥居と2本の大木が特徴的です。
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お邪魔させていただきますので、きちんと参拝してから先へ向かいます。

清瀧寺

諏訪神社の隣、柵もなく清瀧寺の敷地に続きます。
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信康山、なんですね。
本堂はこの道を登ったところですが、まずは登る前の見どころへ。

まずは絵になる池から。
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地元の方が鯉を眺めながら談笑されていました。
憩いの場所になっていて、よそ者ですがほっこり。

池には小さな滝が流れ込んでいます。清瀧の滝という名前。
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清瀧寺の名前は、家康がつけたものです。
敷地内を流れる清涼な滝を見て名付けたとされますので、その滝がこれかもしれません。

池のほとりの井戸櫓
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看板には江戸時代のハンドブックのことが書かれていますが、元は二俣城で使われた井戸櫓が移設されたもの。それの復原だと思われます。

二俣城の井戸櫓といえば、、、

井戸がなかった二俣城では井戸櫓を使って天竜川から水を汲んでいました。
戦の際、武田軍はそこに目をつけて上流から筏を流して井戸櫓を倒し、それをきっかけに二俣城を落としたと言われています。
天竜川と二俣城の高低差を思い出すとこのぐらいになりますが、たしかにこんな目立つ建物があったら狙いたくなるかも。

tmtmz.hatenablog.com

池の反対側には信康堂
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家康松平信康の木像が置かれていました。

傍らには松平信康の石碑。地元では岡崎三郎信康で統一されています。
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最終段落から、地元の方の思い入れが垣間見えて興味深い

近くには寿昌梅という梅の木
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信康追悼のために植えられた梅の接ぎ木。

元の木は、元二俣城主大久保忠世の子孫、忠増の正室、寿昌院慈岳元長尼が再建した松連寺に、寿昌院自ら手植えしたと言われています。
ちなみに松連寺は今の京王百草園

付近の旗の数から、地元の方の信康への思い入れが窺い知れます。

坂を上って本堂へ。

山門
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小さめですが歴史を感じる山門がお出迎え。
石碑にも時代を感じます。
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ちょっと写真が暗いかな。

山門をくぐると家康お手植えのみかんの分木
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駿府城にもお手植えのミカンがありましたが、あれが元でしょうか。
tmtmz.hatenablog.com

先へ進んで本堂
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本堂わきにも寿昌梅

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下にあったのとの違いは何でしょうか。

脇にはちょっと逸話のある鐘。
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HONDAの創業者、本田宗一郎高等小学校時代に正午を知らせる鐘を30分早くついて弁当を早く食べたのだそう。
なんともほんわかしたエピソードです。

信康廟

さて、本堂わきから奥へ進むとお目当ての信康の霊廟です。
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看板のアピールがすごいので、見逃すことはないかと。

登ると右手に信康廟
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柵が閉まっていますが、廟自体はずっと向こうに丁寧に安置されています。
何となく写真を撮るのは気が引けたので、ちょっと遠めからのこの一枚だけ。

手を合わせてから見学させていただきました。

脇には丁寧な解説板もあります。
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最後まで松平信康の地元での扱いがわかる良いところでした。

おまけ

ちなみに、隣には本田宗一郎ものづくり伝承館があります。

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こちらも理系的には気になる施設です。

二俣城、鳥羽山城と合わせた半日の散策で二俣の雰囲気が気に入ってしまいました。
ものづくり伝承館や笹岡城などまだ見ていないところを目当てにまた来る計画を立てようかな。

アクセス

清瀧寺

 

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鳥羽山城(静岡県浜松市)-別城一郭の居館 晩秋の姿

二俣城に続いて、二俣城と別城一郭の居館側、鳥羽山城です。

枯山水庭園跡があったり、立派な大手道があったりと、要塞の二俣城と比べると居館の鳥羽山城という雰囲気。
今は公園になっていて、本丸が芝生広場に真っ赤な大木だったからかもしれませんが、本丸内はなんだかホッとしました。

お城:鳥羽山城 静岡県浜松市
HP: 二俣城跡及び鳥羽山城跡/浜松市
訪問日:2020年12月
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概要

二俣城と同時期、1560年ごろに今川氏によって築城されたと考えられています。

その後は徳川氏が領有しますが、1572年には武田氏が攻め落とし、1575年まで武田氏と徳川氏の攻防が繰り広げられます。
二俣城を巡る攻防では徳川方の本陣が置かれました。

その後は徳川氏が入城しますが、関東移封に伴い、堀尾氏が城主に入りました。
このころ石垣を持つ現在の姿に整備され、居館・迎賓館的な性格を持つ生活の場となったと考えられます。
1600年以降、廃城となりました。

現在は、鳥羽山公園として整備されています。

訪問記

二俣城の水の手曲輪から歩いて訪問。
途中は天竜の土手道です。山中に来ているはずですが、川幅が雄大
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二俣城側からの登り口はこんな感じ。
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山道の細めの車道に小さな看板だけのお出迎え。
回り方を準備できていないので早く縄張り図が欲しい。。。

車道を歩いて行くと途中に看板を発見。
鳥羽山公園は鳥羽山城の現在の姿です。
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ここまでで1番詳しい看板ですが、流石に順路は分からず。。
とりあえず脇にあった遊歩道を登りました。
でも実はこの車道をそのまま進めば大手道への登り口に着けたことが後で判明。失敗。。

ちなみに遊歩道はこんな感じ。
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まぁ登れる整備具合なので大失敗ではなかった。
登りきると東門に到着しました。

訪問記としては正解の大手道に向かったことにしておきます。

ということで大手道近く、南側の腰曲輪へワープ。

この腰曲輪は駐車場になっています。
そしてとても分かりやすい解説板がたくさんありました。良かった。
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やっぱり大手道から回らないと。

縄張り図を拡大
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大手道を通って本丸、周りの曲輪群へ回りますかね。

そばには二俣城と同じピカピカの石碑
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相変わらず綺麗すぎて浮いてるような…

大手道

大手道入り口から登ります。
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最初は普通の階段ですが、
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立派な大手道に。

幅がとても広く、まっすぐ延びていて、たしかに戦うためのお城ではないのかも。

ちょうど紅葉の絨毯になっていましたので、ちょっと写真にこだわってみました。
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変わりませんね笑 良いカメラが欲しいところ

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大手道は石垣に囲まれています。荒々しい感じが良いです。

登りきって東曲輪(かな)
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ここにも古い石垣。立派です。

こちらは南曲輪(だったかな)
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そして大手門
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相変わらず広い道幅が印象的。
ちなみに、大手門の外側は枡形虎口になっていました。

大手門には暗渠が設けてあります。
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仕事が細かい。

本丸

本丸に入るといきなり立派な木がお出迎え。
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これは良い雰囲気。どう見ても公園ですが、まぁ公園ですから。それにしても本丸は広い。

左手には展望台
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ここから見る景色が、公園として整備された今の鳥羽山公園のハイライトでしょう。

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街並みがよく見えます。正面は天竜川を渡る天竜浜名湖鉄道

この景色を見ると、守りの要衝だったことはよく分かります。
御殿になってからもこの景色を眺めたりしていたのでしょうか。

展望台から本丸側
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これだけ広かったら立派な御殿が建っていたんでしょう。

本丸を散策。
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最初の印象の通り、まさに公園。ピクニックに良さそうです。
周囲は土塁なので安心安全なピクニックですね。

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12月中旬なのに紅葉真っ盛り

公園なので大きな滑り台もありました。
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子連れで来ても楽しめそうですね。

と、公園要素多めでしたが、遺構もきちんと残っています。

枯山水庭園跡
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素人でもわかる庭園跡。こんなにしっかり残っているとは。
戦のための城跡には必要ない施設ですし、迎賓館的な性格という話にも頷けます。

庭園跡といえば一乗谷朝倉氏遺跡を思い出しますが、居館になってからは似た感じだったんでしょうか。

枯山水の脇には建物の礎石
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何が建っていたんでしょう。庭園の真横なので屋敷跡では無さそうですが。

反対側には東門
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積み直しも受けていますが、下の方は当時の石垣が残っています。よい。
狭いので、通用門だったと考えられています。

外からもう一枚。
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右手に暗渠の出口が小さく見えています。やっぱり仕事が細かい。

近くには搦手門
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ここは普通の公園の門かな

曲輪

本丸周りの曲輪群を回ります。
本丸の外も公園化されているところが多いものの見どころもあります。

笹曲輪
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今は展望台が建てられています。

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天竜川の眺めがきれい

腰曲輪
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紅葉が光を浴びてきれいです。

ちなみに、本丸にあった滑り台はここに下りてきます。
誰も滑っていませんでしたが、コロナがなければ腰曲輪は子供たちのはしゃぎ声で包まれているのでしょうか。

腰曲輪から最初の大手道の登り口へ。
途中には腰巻石垣
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最後まで石垣。遺構盛りだくさんでした。

そしてこのまま大手道に到着して一周です。

感想

満足度 4/5

今は家族で遊べる公園になっていて、この日も散歩に来ている方がいましたが、遺構もとても多くて、城跡としても見ていて飽きない良いところでした。

見どころとされている立派な大手道や枯山水跡以外にも興味深い遺構が盛りだくさん。
勉強不足で向かったので、良い意味で想定を裏切られて一層満足して帰れました。
次来るときは本丸でお弁当を広げて枯山水を眺めてみたいところです。

アクセス

鳥羽山城

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二俣城 (静岡県浜松市) -天守台の残る別城一郭の要塞

昨年の12月に浜松市北部、旧天竜市の二俣地区にある城跡群を回ってきました。
初めてでしたが、よく整備されていて地元の方もたくさん。良いところでした。

まずは二俣城。百名城ではありませんが、天守台が有名です。
それ以外にも古い石垣や遺構が数多く、見どころ盛りだくさんでした。

お城:二俣城 静岡県浜松市
HP: 二俣城跡及び鳥羽山城跡/浜松市
訪問日:2020年12月
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概要

二俣地域には今川氏と斯波氏の争いの頃から笹岡城が存在しましたが、二俣城はその近く1560年頃に築城が始まったとされます。
同時期に近くに迎賓館的な性格を持つ鳥羽山城も築城され、二城まとめて機能の違う一つの城のように使われた別城一郭であったと考えられています。

二俣城では1572~75年に徳川氏と武田氏の攻防が繰り広げられました。
本拠地浜松を守る砦として徳川氏にとって重要だった二俣城ですが、高台にあるため井戸がなく、天竜川河畔に水の手櫓を設けていたところを武田氏につかれて落城します。

が、長篠の戦いで武田氏が敗れたのちに再度攻防が起こり、徳川氏が奪還しました。

1579年には家康の長男、松平信康が武田氏との内通を疑われて信長の命により切腹させられるという悲劇も起きています。
その後大久保忠世堀尾吉晴らが城主を務めますが、1600年に堀尾氏が出雲に転封すると、廃城となりました。

現在は公園として整備されています。

訪問記

この日も車で訪問。

平山城、山城だと駐車場が不安ですが、ここもご多分に漏れず駐車場への最後の数100メートルはすれ違いギリギリの細い道。
いつものように対向車が来ないことを祈りながら進むも、かつてないくらい車が来ました。。
攻めずに麓で駐車場探せばよかった。。。後悔。

色々ありましたが、改めて北曲輪付近の駐車場から散策開始です。

駐車場には看板がたくさん。勉強不足でも良く理解できます。
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北遠にはたくさんの山城があります。これは通うことになるかも。
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この看板を見ながらルートを検討。
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図でいう左右、方角では南北に曲輪が並ぶ縄張りです。
北曲輪と本丸がメインっぽいので後に残して、南曲輪から向かいます。

石碑はピカピカ。最近国の史跡に指定されたからでしょうかね。
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北曲輪には旭ヶ丘神社があります。
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日露戦争に出陣された地元の英霊を祀っています。
この激階段は北曲輪に続くのでスルー。良かった。

先へ進むと綺麗な紅葉。
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この辺だと12月中旬でも紅葉が見られるんですね。
足元はきちんと整備されています。

と思ったら、整備された道は右へ。フラグか…
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本丸へ誘いますが、初志貫徹。南曲輪への看板に従って先に未舗装路へ。

すぐに蔵屋敷
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一見ただの平場ですが、

南側は土塁
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よく見ると石垣も。
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虎口?から南曲輪
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曲輪を隔てる堀切はありますが、荒れ果てていました。断念。
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先ほどの分岐に戻って追手門
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石垣が本当に立派です。

右と
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左で
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石の雰囲気が違いますね。右の方が揃っていて新しい印象。

二の丸は道で二つに区切られていて、南側は稲荷神社が建っています。
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脇の土塁は登れるようになっていました。
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蔵屋敷から見た真っ赤な木がすぐそばに。
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二の丸の北側は土塁に囲まれた曲輪
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二の丸の脇を通って本丸へ。
本丸の入り口にたぶん一の門跡 近くに二の門もあったらしいですが、分からず…
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古い石積です。
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栄光の後、という感じがたまりません。

そして本丸へ。
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本丸には小さいながらも天守が残っています。二俣城のシンボルですね。
広場にちょこんといて、なんだか可愛い。

まずは本丸周囲を見学。本丸も土塁で囲まれています。しっかりと残っています。
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紅葉最盛期はさぞきれいなんでしょう。

北側の入り口は喰違い虎口
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反対からはこんな感じ。ちょっと暗いですが。。
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改めて天守へ。
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野面積みの古い雰囲気が良いです。

天守台上から本丸を。喰い違い虎口
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反対側は天竜川への崖になっています。
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こちら側の防御は万全ですね。

本丸のあと、西にある曲輪へ。鳥羽山城もこちらです。

二の丸と蔵屋敷の間の堀切も結構な深さ
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これでも結構埋まったのでしょうから、当時の深さたるや。

西曲輪
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遊具はありますが草ぼーぼー。竹も折れていて整備不良ですね。。

水の手曲輪
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東屋だけの平場ですが、ここから水を汲んでいたのでしょうか。
今は曲輪の左手は住宅地ですが、かつてはここを天竜川が流れていたそうです。

改めて本丸へ戻り、北曲輪へ。

北曲輪 旭ヶ丘神社
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今はきちんと管理された神社です。

最後は北曲輪と本丸の間の堀切
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本丸側の高さからすると公園整備で切り開かれちゃったのかな。

このあと北曲輪の駐車場へ。
夕方に差し掛かっていましたが、来た時よりも車が増えてました。驚き。

続いて鳥羽山城へ。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 4/5

続百名城にも選ばれていませんが、天守台などの石垣、土塁跡など遺構が多く見ていて楽しいところでした。
近所の方がたくさん散歩に来ていて、城好き以外にも楽しめるところなのかもしれません。
城跡でこれだけ人がいるところはなかなか珍しい気がしますが、歩いてみると納得です。

次は紅葉の時期に行こうかな。

基本情報

二俣城

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犬山城下町散策 木ノ下城、城とまちミュージアム

犬山城訪問に引き続き、周辺の城下町を散策しました。

城下町の商店街はインスタ映えスポットになっていて、若者がたくさん。
でもそこは城下町なので、昔の名残で歴史好きの興味を引くであろうスポットもたくさん。

いろんな趣味の方が長い時間楽しめそうなスポットです。

1.犬山城第3駐車場 2.木ノ下城 3.どんでん館 4.犬山城下町 5.大手門広場 6.城とまちミュージアム 7.犬山城 8.寺内町

木ノ下城

前回まで犬山城に居ましたが、時を戻して犬山駅前、犬山市役所前の第3駐車場に戻ります。

まず近くの木ノ下城へ。

木ノ下城は、犬山城の前身となった城跡です。
1469年に織田広近によって築かれました。
その後、約70年、織田氏が居城し、織田信康が1537年に犬山城を築くと廃城となりました。

現在は愛宕神社という神社となっています。
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見た目はごく普通の地域の神社ですが、

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灯籠の足元には小さく石碑でアピール。

ご家族の砂遊びを邪魔しないように本殿へ向かいます。

すぐそばには立派な案内板があります。
大切にされている様子がうかがえますね。
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愛宕神社本殿はちょっとした高台に建てられています。
案内板によると、この部分にかつての城の主殿があったと考えられています。

近くには金明水という井戸
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近くにある銀明水とともに、木ノ下城当時に掘られた井戸と考えられています。

遺構も少なめでこじんまりした城跡ですが、丁寧に解説がなされていて勉強になりました。

城下町散策

その後は城下町散策へ。城下町のメインストリート、本町通り方面へ向かいます。

途中には何か所か旧町名の紹介がありました。こういうのを見つけると全部たどってみたくなりますよね。
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ここは名栗町と呼ばれた地域
犬山城近くにある針綱神社はかつてはここにありました。

今は民家になっています。
今は住宅街のど真ん中。民家になっているところも多くて見学には気を遣いますね。。

本町通り

犬山城下町のメインストリート本町通りへ。
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古そうな建物が立ち並びますが、入れ替わりも多いらしく、新しい元気なお店がとても多いです。

インスタのお陰で若いお客さんがたくさん。
お店もそちら向きが多いですが、人がいる商店街は歩いているだけで楽しいですね。

お店は入れ替わっているとはいえ、歴史あるメインストリートなので、過去の歴史はもりだくさんです。
こちらは中本町どんでん館
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名前からは何の建物か分かりませんが、犬山祭で使われる車山が展示されているそう。

本町には札の辻高札場跡
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本町の車山蔵
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昔ながらの木造蔵は犬山でもここを含めて2つだけだそう。
あー犬山祭に行ってみたい。

周囲にはほかにもたくさん由緒ある建物がありましたが、現役っぽかったのと犬山城に早く行きたかったので撮影は遠慮して見学のみ。

先へ進んで大手門跡
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このあたりから多少城下町の雰囲気は変わりますが、跡地は広場だけで何もないです…残念

大手門の内側には犬山藩の藩校敬道館の跡地
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本筋ではないですが、この解説版の背景が見にくくて仕方なかった。。。

で、このあと犬山城を訪問しました。

tmtmz.hatenablog.com

少し飛ばして見学後へ。

城とまちミュージアム犬山城下町ジオラマ

この博物館は犬山城訪問前から楽しみでした。
お目当てはとても大規模な犬山城下町のジオラマです。

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入場するといきなりお目当てのジオラマが登場。
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犬山城の曲輪を再現するだけでなく、本町通りなどの城下町もかなりの部分を再現されています。
大きすぎて全体を写そうとするとここまで引かないと撮れません。
ちなみにジオラマは撮影可能でした

本町通りの南端あたり。
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ここは針綱神社でしょうか。お祭りの日ですね。

こちらはおそらく魚新通りの方向から。
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最南端から本町通りを上がった気分で。
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本町通は変わらずまっすぐ伸びていますし、城下町の町割りが今も残っていることが改めてわかりますね。

城下町から犬山城の曲輪を眺めます。
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最後に犬山城をアップで。
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松の丸、桐の丸、杉の丸、樅の丸がよく分かります。
後ろの木曽川を使って後ろ堅固な縄張りになっています。

本当にいくら見ても見飽きないジオラマでした。

実際に曲輪を巡ってから見たおかげでジオラマの理解が深まりましたが、これを見てから曲輪を見て回りたかった気も。
もう一度曲輪を観に行こうかな。

その後も犬山城関連の展示がたくさん。
城内になかったのはここにあったからでしょうかね。

お腹いっぱい大満足でした。

城とまちミュージアムの隣には犬山からくりミュージアムもあります。
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寺内町

夕暮れ時の城下町。
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電柱もないですし、アスファルト・コンクリートを除いたら、ほぼかつての景色なのかな。

帰りは本町通りをそれて、寺内町を通って帰りました。

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相変わらず読みにくい背景の案内版です笑

周りには本当にお寺がたくさん集中しています。
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圓明寺

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浄誓寺

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西蓮寺

完全な住宅街になっていて観光客も少なく、夕暮れの静かな城下町の風情が漂っています。
どこか懐かしい気持ちになりつつ、犬山城下町の良い締めとなりました。

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百名城 犬山城(43・愛知県犬山市)国宝天守内部を巡る

犬山城の訪問記、後編。天守内へと進みます。
前半は曲輪の構造を辿っていたら天守前でお腹いっぱいになってしまいました。

tmtmz.hatenablog.com

訪問記

さて、天守内へ向かいます。
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天守内を下から隈なく見ていって最後に眺望、といきたいところですが、順路は真っ先に最上階へと誘います。
コロナだから導線を仕切っているんでしょうか。
素直に従って最上階へ。
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最上階からは外に出ることができます。手すりが低くてなかなかスリリング。
小学生の頃によく来た気がするのですが、今思うとよくこの低い手すりのお城に小学生を連れてきたものです。
まぁ、警備員さんが目を光らせてくれているので、安全は確保されているはず。

四方の眺めはすこぶる良好です。
こちらは南側。本丸側
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遠くには小牧山城

岐阜城方面
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足元を流れる川は木曽川、川の向こうは岐阜県、美濃の国です。
本当に断崖に建っていることがよく分かります。
この川を渡って攻めてこられたとは驚きです。

飛騨方面
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やはり木曽川が近い。

右手の橋は犬山橋(ツインブリッジ)

私が小学生のころまで道道路併用橋で、路面電車のように道路と線路が隣り合って敷かれていました。
車で通る真横を柵もなしに名鉄電車が走って行っていた記憶があります。
たまに線路を走っている車もいたような。

今はもう1本橋が架けられて2本橋が並んでいます。

東方面
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正面は犬山成田山でしょうか。モンキーパークの観覧車も小さく見えていますね。

一通り眺めた後、城内の見学へ。
まずは最上階。

成瀬家歴代当主の肖像画
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最上階には成瀬家の歴代当主の肖像画が並んでいます。
当然ですが、左手の最後の方は現代なので写真。

信じられませんが、本当にこのお城を個人で管理されていたんですね。
修理費、固定資産税とか大丈夫だったのかな。。。

最上階は赤絨毯が敷き詰められています。
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決して看板を撮りたかったわけではないですよ

この赤絨毯は寒さ対策とかではなく、江戸時代を再現してのこと。
7代成瀬正壽がオランダ商人と親しかったから、とされます。
イカラな当主だったんですね。

3階に降ります。

3階には唐破風の間があります。
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覗いてみたかったですが、さすがに立ち入り禁止。

2階は武具の間
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その名の通り、武器保管庫として使われていました。
三階と比べてとても天井が高くて解放感があります。

中央には骨組み模型がありますが、詳しい解説はなかったような。
犬山城は、城内の展示は極めてシンプルです。

周りは武者走り
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黒光りする板の間のこの雰囲気がとても良いです。梁も立派ですね。
この辺はさすがは現存天守といったところ。

当然階段は非常に急ですが、ピカピカの板で整備されていて、雰囲気は今ひとつ。
まぁ危ないのは良くないですしね。
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一階に降りて
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中央は上段の間

籠城の際の城主の居場所ですが、ここが使われたことはあったのでしょうか。

石落としの間
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中から見ると全然石落としではありませんが、外から見るとはっきり石落としの間でした。

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写真左端、左奥が石落としの間。
こうしてみると断崖を登ってこられることも想定していたようにも思えますね。

一階には犬山城では少ない展示が遠慮がちに置かれていました。
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城とまちミュージアムには2017年の落雷で被害を受けた鯱が展示されていました。

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鬼瓦

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犬山城の木造模型
ずいぶんと年季が入っています。

最後に地下 
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地下は急な階段と踊り場しかありませんが、石垣を間近で眺められます。

最後に外から改めて石垣を。
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野面積の色合いは浜松城に似たものを感じます。
こちらの方がもうちょっと赤っぽいかもしれませんが。

最後にもう一度全景
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雲ひとつない青空になっていました。素晴らしい。

城下町散策に続きます。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 3.5/5

天守は思い入れを抜きにしても言うまでもなく最高です。
古い時代ということもあって、雰囲気含めてとても良いです。

その分、ほかの遺構がほとんどないのは残念ですが、普通に観光で来てそんなこと気にする人は少ないでしょう。
観光地としての魅力は非常に高いと思います。

平成の世まで維持して下さった成瀬さんと地元の方々に感謝です。

アクセス

犬山城

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百名城 犬山城(43・愛知県犬山市)国宝天守足元の曲輪跡を巡る

今年最初の投稿は、国宝の現存天守をもつ犬山城
城好きには非常に有名な名城ですね。

小さい頃に近所に住んでいて、遠足などで何度も訪問した個人的思い出のお城。
白帝城という呼び名にも非常に馴染みがあります。

何度も来た城ですが、曲輪などにも興味を持って訪れるとまた見え方も変わりますね。

お城:犬山城(43) 愛知県犬山市
HP: 国宝犬山城
訪問日:2018年2月、2020年12月
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概要

1537年、織田信長の叔父にあたる織田信康が、それまでの居城であった木ノ下城から移す形で築城。
その後は城主の交代が続きますが、1617年に成瀬氏が城主についてからはそのまま平成(!)の時代を迎えます。

その間、明治期に廃城となり、天守以外は破却されます。
天守も濃尾地震で大きな被害を受けますが、その修繕を条件に成瀬氏に所有権が移され、平成に至るまで個人所有の城の状態が続きました。

現在は財団法人犬山城白帝文庫が管理しています。

1930年に国宝保存法に基づく旧国宝に、1952年には文化財保護法に基づき、改めて国宝に指定されています。

訪問記

犬山城の駐車場は天守前の第1と東手の第2、市役所前の第3の3箇所。
順に天守からは離れていきますが、城下町の食べ歩きなんかも楽しそうで、城下町を挟んだ第3駐車場もありだと思います。

ということで犬山駅前、犬山市役所前の第3駐車場に車を停めて、散策スタートです。

天守までは城下町を眺めながら徒歩20分程度。

城下町を抜けると正面に2つの神社がみえてきます。
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右手に針綱神社
からくりを載せた勇壮な車山が曳き回される春の犬山祭は針綱神社の祭礼です。

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左手は三光稲荷神社
今はインスタ映えスポットになっているようで赤鳥居で写真を撮る人の列ができていました。
いずれも場所は変わりましたが往時からある由緒正しい神社です。

今となっては神社の境内で城跡とは思えませんが、この辺りがかつて松の丸と呼ばれた御殿の置かれた曲輪。その後神社が移転してきました。
残念ながら犬山城天守以外の遺構は破却や移築でほとんど残っていません。

三光稲荷神社の左手に大手道の入り口
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犬山城の看板は、道路の青看板も含めて「国宝」を付けて書かれていて、地元の誇りを感じます。

そういえば、犬山にいた小学生時代も国宝天守の4城(当時)をとてもしっかりと教え込まれた気がします。
おかげでお城=国宝と思い込んでいた時期もありました。そんなはずないのに笑

大手道を通って本丸へ。
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中門があった所を過ぎたはずですが、場所はよく分かりませんでした。
今のところきれいに整備された歩道という感じ。

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大手道は何回か屈曲して、枡形を作りながら天守へ続きます。

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大手道途中の解説板に縄張り図が書かれていました。
犬山城の曲輪は数字ではない名前がついていて知識が必要なため、この縄張り図はとても助かりました。

大手道東側には本丸側から杉の丸桐の丸松の丸、西側には樅の丸の曲輪が置かれています。
城とまちミュージアムの巨大なジオラマを見ると一層分かりやすいので、訪問されることをおススメします。このブログでは、また後ほど。

大手道を進んで右に90度曲がると、右手には先ほど正面から見たかつての松の丸の裏側が見えてきます。
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この辺りには松の丸と大手道をつなぐ松の丸門がありました。

反対側には立派な空堀
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天守以外ほとんど遺構が現地にない犬山城では貴重な遺構です。
左手が大手道、右手が樅の丸です。

門跡、空堀など解説を見ていくと小さい頃は興味のなかった大手道の構造が分かって興味深い。

黒門跡 礎石が残っています。
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右手の石垣の上には針綱神社社務所。かつての道具櫓跡です。
左手の石垣の上は樅の丸という曲輪。大手道西側にある唯一の曲輪です。
これらの曲輪から見下ろされる枡形内部の私は、守備隊の格好の餌食ですね。

正面は桐の丸という曲輪。
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今は針綱神社の本殿となっています。

大手道に戻って次の曲輪杉の丸の石垣を眺めます。
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苔むした緑が良い雰囲気。この辺りの石垣は古い野面積がたくさんあります。
このあたりの石垣も面白いと思うんですが、皆さん天守に一目散です。自分の昔はそうだったかな。

この先で検温を済ませて入場券を入手。

有料区域の最初に鉄門
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復元ではありますが、門も全くない犬山城ですので、あると雰囲気出ますよね。
小さい頃の記憶はここからスタートしています。

門をくぐってひるがえって鉄門。
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右端に小さく写る鉄門2階につながる階段を上がると百名城スタンプがあります。

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もちろん天守がモデルです。

改めて鉄門からの天守
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いうまでもなくこれが犬山城見学のメインディッシュです。何回見ても美しい。

正面からもう一度。
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大きすぎず小さすぎず。全体のバランスや付櫓、色など均整が取れている気がします。
いやー語彙力不足。

天守内へと行きたいところですが、ここから後半へ。

tmtmz.hatenablog.com

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