にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

続百名城 美濃金山城(143・岐阜県可児市) -破却された石垣が残る戦国山城

春先に回った岐阜県可児市の城巡りの記憶を振り返ります。

まずは美濃金山城

犬山城天守が移されたという説は否定されていますが、破却された石垣曲輪に数多く残された礎石を見ると当時の天守、建物が知りたくなる気持ちはよくわかります。

あの山の中にどんな立派な建物があったんでしょうか。

お城:美濃金山城 岐阜県可児市
HP:美濃金山城跡 | 戦国城跡巡り事業-可児市の乱-|可児市PRサイト
訪問日:2021年3月
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概要

1537年、斎藤正義が築城した烏峰城が興りです。

1565年に織田信長配下の森可成が入り、金山城と改称されました。
その後は森家の城として長可蘭丸忠政が城主となりますが、関ヶ原の戦いのあと破城となりました。

建築物は犬山城訪問記)に移設されたとも言われます。

今も破城の痕跡が残る城跡として、国史跡に指定されています。

訪問記

百名城スタンプ

3月下旬の緊急事態宣言のはざまに訪問。

まずはスタンプを押しに可児市観光交流館へ。
山間の狭い街中の立地ですが、駐車場完備の立派な施設でした。

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流石に大河終わったばかりなので、蘭丸と光秀推しですね。
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スタンプはこんな感じ
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モデルは本丸の礎石ですね。
そして、ここでパンフもゲット。

登城口

観光交流館から米蔵経由で歩くこともできますが、今日は車で登城口へ

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ショートカットなら、出丸や蘭丸広場の駐車場(図中真ん中上と下)を使うこと可能。
出丸が一番近い(というかまさに曲輪の中)ですが、最後の道は車一台分の細さです。

今回は道にビビったのと、下から見たいと、第1駐車場を利用しました。
でも、出丸までの間は遺構少なめでした。失敗したかな。

車を置いて、大手道を歩きます。
地図ではルートがたくさん書かれていますが、好みで選んで大丈夫かと。
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これは公園ですね。3月だったので、気持ちの良いハイキング。

それなりに登りはしますが。
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森家の家紋の植え込みや
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蘭丸産湯の井戸の再現を見ながらさくっと進みます。
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看板では城内に井戸がない、パンフでは東腰曲輪に井戸があると書かれていてどっちなんでしょう?

10分くらいで蘭丸ふる里の森へ。
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桜の木がたくさん。千本桜はシーズンだと綺麗でしょうね。

ここからさらに登ります。
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さすがにもう土になりますが、相変わらずきちんと整備で歩きやすい。

出丸

さらに10分弱で出丸に到着。
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駐車場があるなら遺構はないのかなと思っていたら、南面の石垣は当時のものだそう。
この辺りから遺構が見え始めます。
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めちゃくちゃきれいですが、こっちも当時のものなんでしょうか。
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景色も素晴らしい。さすがは出丸という立地です。
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丸石があるあたりに出丸櫓が建てられていたそう。
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ただ、現地ではどの石かわかりませんでした。。落ちている大きな石?

登城口

出丸を過ぎると改めて登城口が登場。
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パンフレットがあることからも、運転技術があれば出丸に車を停めるのが正解だったかな。

パンフレットにようやく城内の縄張りが書かれています。
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迷うような順路ではないですが、現地に看板はないので、これは必須です。

ここからは一層山になります。歩ける服装が良いでしょうね。
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整備はされているので、山城の中では楽に歩ける方ですかね。

三ノ丸門跡
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足元の平たい石が礎石です。

近くには破却された石垣が残されています。
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崩れた状態のまま残っているのはすごいですね。

三ノ丸

門をくぐると三ノ丸
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そこそこ広い曲輪で建物があったことが分かっています。天気が良すぎて写真が飛んでますね。。

先の写真右手の石碑は、払い下げ記念碑でした。
昭和のころまで御料林だったため遺構の残りが良いのだそう。
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甲府城訪問記)と同じですね。あちらはもっと奇抜でしたが。

三ノ丸の反対側には水の手につながる登り口からの虎口。
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この先には湧き水があったらしく気になりますが、崩れていて下りられません。残念。

石碑の脇から三ノ丸北曲輪に進むと、真上に位置する西腰曲輪の石垣がよく見えます。
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あの石垣は古い。

三ノ丸北曲輪も大きな石がゴロゴロしていますが、用途の説明はありませんでした。
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二ノ丸

引き続き、三ノ丸の次の段にある二ノ丸へ。さすがに曲輪間は直ぐです。
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二ノ丸には二ノ丸門のほか、侍屋敷や物見櫓がありました。

奧に進もうとしたら、なんとカモシカ
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初めて見ました。今の城の主ですね。

ゆっくりとお引き取りを待ってから、二ノ丸を見学。

二ノ丸にも礎石がたくさん。
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礎石の配置から渡り廊下のある建物があったとみられています。

大手枡形虎口

次の曲輪との間には大手枡形虎口がありました。
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これはしっかりと形が残っていて、明らかに枡形虎口です。
これだけの石が使われていると思うと、さぞ立派な門があったのかな。

また、内外両方に門の礎石も見られます。
門は愛知県犬山市瑞泉寺に移されたと伝えられていて、礎石の寸法が一致するのだとか。

枡形虎口を抜けると、正面に本丸が見えてきました。
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ですが、まずは手前にある腰曲輪を回ります。
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南腰曲輪
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ここにも礎石がたくさん
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西腰曲輪(だったかな)にも礎石がたくさん。
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このあたり何が建っていたのか気になります。

天守台石垣はだいぶ崩れていますが、隅石の算木積が見てとれます。
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本丸

改めて本丸へ
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本丸全景
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わりあい広い平場でしょうか。

ここでも足元には礎石がたくさん

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礎石の配置や出土品から、4棟の建物、御殿や茶室があったと推測されています。
瓦や排水溝も確認されていて、居住性のある建物であったことが分かっています。

こんな山頂に、と思ってしまいますが、それだけの時代に使われていた城跡、ということですね。

立派な城址碑と
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立派な解説板
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そして素晴らしい景色。
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景色も含めて見晴らし最高です。
登ってきた甲斐がありました。

本丸を見て回ると、南側に本丸虎口がありました。
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この写真左手、入口向かって正面の石垣沿いには四つの礎石があり、虎口を覆う建物の存在が想像されています。

石垣には縦置きの石も配置されていて、威厳をみせる意図も推測されています。
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この写真ではちょっと分かりにくいかな。

これで本丸まで見終わりましたが、最後にもう少しだけ。

本丸の搦手側にある東腰曲輪
こちらには雨水をためる集水桝のようなものがあったと考えられています。
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こちら側の本丸の石垣は自然の岩を利用した形。

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破城の際に捨てられたと思われる瓦や、侍屋敷の礎石も見つかっています。

搦手門
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ここにも門の礎石らしき石が残っています。写真では陰になってしまいましたが。

ここまでで、山中の区域は見学完了。最後に足元にあった大堀切だけ見ていきます。
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左近屋敷側が尾根になっているのを切るための大堀切。

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深さがすごくないですか。高さは約10m。絶対に登れないと思わせるだけの深さがありました。

これで、美濃金山城見学完了です。

感想

満足度 3.5/5

出丸までは遺構が少なく不安になりますが、その先はよく残っていて面白い。

石垣に礎石に当時を思い浮かべるのに十分な材料が残っています。

山頂からの見晴らしも素晴らしく、ここに城を築いた意図が分かる気がしました。

そこそこ登りますが、ちゃんと登りきらないとダメですね。

アクセス

美濃金山城

  • アクセス
    電車・バス:名鉄明智駅からバス 元兼山町役場前バス停下車 徒歩15分 
    車:東海環状道 可児御嵩ICより12分
      無料駐車場あり 出丸側が近いですが、道は細いです。
  • スタンプ・開館時間
     可児市観光交流館
     入館時間:8:30~22:00
     休館日:年末年始
     入館料:無料
    アクセス:
    電車・バス:名鉄明智駅から元兼山町役場前バス停下車すぐ。
    車:東海環状道 可児御嵩ICより10分
      無料駐車場あり
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    スタンプ含めて1.5時間
  • 付近のスポット
    何かと縁のある犬山城は距離的にも一番近くですね。

    tmtmz.hatenablog.com

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可睡ゆりの園(静岡県袋井市)-一面満開のゆりの花畑

5月末に訪問した静岡県袋井市にある可睡ゆりの園の訪問記です。

その名もずばりゆり園。
いわゆるゆり園を訪れたのも初めてでしたが、ユリってこんなに一面の畑になるんだな、と驚きました。

青空ときれいな色のユリのコントラスト。
北海道にありそうな一面に広がる色とりどりなユリ畑。
一見の価値あるゆり園でした。

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可睡ゆりの園

可睡ゆりの園は、名前の通り可睡斎の近くにあるゆり園です。
と言っても可睡斎静岡県の人にしか馴染みはないかもしれませんね。

静岡県西部の袋井市にある遠州三山の一つが可睡斎、その隣にあるのが可睡ゆりの園です。

yurien.jp

園内はほぼユリの花だけ(ちょっとアジサイも)、レストランの名物もゆり根の天ぷら、お土産もメインはユリの苗、開園期間はユリが咲く時期だけ。
驚くほどユリ特化型のテーマパークです。今見たら公式HPのURLもゆり園。すごい。

その分3万坪の敷地に150種以上のユリが育ててあり、ユリの展示は本当に立派でした。

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園内案内図も池を中心にどんなユリが咲いているかを表したもの。

入園料は大人1100円。
なかなかいいお値段ですが、値段に見合ったものはありました。

ちなみに、開園期間始まったばかりの5月末でも、東名袋井IC側から正面入り口に真っすぐアクセスすると、駐車場渋滞に引っ掛かり、ガードマンさんに駐車場に誘導されました。

その場合は、素直に誘導された遠めの駐車場に停めるのが良さそうです。
歩いてもせいぜい5分程度で、正面入り口最後の道は車1台分ぐらいの狭さ+可睡斎の参道で人も多いです。

あと、駐車場料金がみるみる上がっていったので。
最初の駐車場は100円だったのが正面駐車場は500円まで差がありました。

ユリ園入場

中に入ると、いきなりユリがお出迎え
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訪問したのは5月末。
開園期間に入ってすぐで、早いかなと思いましたが、結構咲いています。
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ビビッドな色にしっかりした花。写真映えします。
園で写真コンクールをしていて、この日もカメラを抱えたその筋の人もたくさんいました。

被写体のおかげでスマホ写真でもそこそこきれいですが、さすがにコンクールに出す気は起きません笑

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ちょいちょい蕾も残っていたので、ある程度の期間楽しめるのではないでしょうか。

一面のゆり畑

反時計回りに回って黄ゆりゾーンへ。

黄ゆりって何だろうと思っていましたが、見て納得。
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これは黄ゆり畑です。

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青空との対比がすばらしくないですか?良い天気でよかった。
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北海道の広大な畑に来たような。行ったことないけど
ユリがここまで一面の畑になることを初めて知りました。来てよかった。

先に進むと斜面ゾーン。
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これはこれで、緑にカラフルなユリが咲いていてきれい。
肉眼だともっときれいだったので、ぜひ現地で。

もう少し進むとアジサイと並ぶゾーンへ。
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同じ絵に入れたくなりますよね。

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こちらも良い取り合わせで。

前回の写真コンクール入選作品の構図をお借りしました。

5色のゆり畑

さらに進むと5色のゆり畑。黄ゆりも素晴らしいですが、こちらも非常によかった

まずは上から。

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1番のハイライトはこちら

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景色も相まって絵に描いたような絶景です。
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ちょっとフィルターかけてみたくなったり。

写真でも非常にきれいですが、目で見ると一層綺麗でした。
これはぜひ現地でご覧ください。

とこれで一周。

さくっとみられる広さで、写真のモデルとしても、もちろん目で見て楽しむにしても、ゆり畑を十二分に楽しめるよいところでした。

アクセス

可睡ゆりの園

  • アクセス
    鉄道・バス:JR袋井駅からバス 可睡斎入口バス停より徒歩5分
    車:東名高速 袋井ICより約5分 
      新東名高速 遠州森町スマートICより約20分
      有料駐車場あり 
      駐車場はかなり渋滞していましたので、ご注意下さい。
      公式ホームページに抜け道の案内もありますので、ご参考に。
  • 所要時間
    1時間くらい
  • 関連記事
    遠州三山は直ぐ近くです。
    こちらはその一つ油山寺の訪問記

    tmtmz.hatenablog.com久野城は直ぐ近くです。

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勝沼氏館跡 (山梨県甲州市) -たくさんの平面復原が見ていて楽しい武田家臣の館跡

武田氏館跡に続いて、もう一つ山梨の史跡を巡ってきました。勝沼氏館跡
こちらは武田氏の親族衆勝沼の居館跡です。

もちろん武田氏館跡ほどの広さはありませんが、きちんと整備された郭群が印象的な良い城館跡でした。

お城:勝沼氏館跡 山梨県甲州市
HP:勝沼氏館跡 - 山梨県甲州市観光協会 ぐるり甲州市
訪問日:2021年3月
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概要

勝沼氏館跡は、武田信虎の弟信友に始まる武田親族衆、勝沼氏の拠点だったと考えられる、15~16世紀の居館跡です。

信友が1535年に北条氏綱との戦い(山中の戦い)で敗死したのち、子の信元が跡を継ぐも1560年に謀反の疑いにより滅ぼされたと考えられていました。
しかし近年、信友のあと信元ではなく、武田氏重臣の今井氏がこの地を治めたと考えられています。

昭和の調査で遺構が見つかり、1981年に国史として指定されました。

館は甲府盆地の東端、日川の河岸段丘上に建てられています。
南と西の崖に沿って内郭を設け、時代を追うごとに東に広がった様子が分かっています。

訪問記

武田氏館を見学後に訪問。

無料駐車場が完備されていますが、看板が少ないのが難点。
いや、普通はカーナビで十分かもしれませんが、私は一回通り過ぎてしまいました。。。

気を取り直して帰ってきました勝沼氏館跡
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こちらが駐車場。旧甲州街道沿いにあって見つけた頃にはもう遅いのでご注意。

駐車場脇にさっそく解説板。
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黒い石に黒い字は読みにくいですね笑
先に同じことが書いてあるので頑張って読まなくて大丈夫。

駐車場から館跡が見えなくて焦りますが、駐車場から内郭は少し離れています。
一旦道路に出て左手へ。最初の交差点を左に折れて少しすると内郭に到着です。
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内郭にあった地図で見ていただいた方が分かりやすいでしょうか。
内郭、東郭、館外家臣屋敷地が整備されている地域。順にみていきます。

駐車場で知りたかった情報ですが、看板どこかにあったのかな。

内郭

内郭入り口。陶器?の看板で統一されていました。
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入口には看板だけでなく休憩所まで整備されています。至れり尽くせり。

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この図の右下の橋、北門から入っていきます。

進むと早速の外堀
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内郭側の土塁の高さも含めて、立派ですこれ。警備が厳重です。

先へ進むともう一本内堀を越えて北門へ。
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木橋も含めてこんな感じだったのかな。

こちらは浅めです。
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2本も掘ってある時点で相当厳重ですが、相変わらず土塁も設けてあります。
内側(右手)の土塁が低めなのは削られていたからだそう。

北門脇には櫓台があったそうですが、右手の高まりかな。
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柵が今にも壊れそうなのも再現でしょうか(違

内郭内部へ

郭内部にはとても立派な看板が立てられていました。
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パンフレットももちろん完備。

この看板、大きい方は裏側にも解説がびっしりですので、お忘れなく。
こういう看板があるのとないのとで全然印象が変わりますよね。

郭内には15の建物が板塀に仕切られて建っていて、水路も見つかっているのだとか。
その15の建物が平面復元で展示されています。
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木は柵の復元ですね。見通しの悪さは安全の証。

ちなみに、看板前には武者だまり
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その近くに番屋(警備詰所)がありました。
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やっぱり警備は厳重。

土塁沿いに東方向へ進むと台所
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と隣の水溜
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釜戸
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馴染みのない名前ですが宗教施設だそう

住居跡ですからもちろん雪隠も完備
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水路が張り巡らされていて、当時の最先端住居だったんでしょうかね。
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水屋
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その名の通り水の保管などに使われていました。
今は内郭の発掘調査の解説に使われています。

水屋の隣にも水汲場
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本当に水がたくさん。

まだまだあります平面復原。中央に向かっていくと、
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さらにくつろぎ所
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いわゆる茶室や泉殿だそう。

そして隣にある大きな建物が主屋でした。
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裏には主人の日常生活の場、常の御座所も。
このあたり、建物にことごとく礎石が使われていて、位の違いが分かります。

主屋の近くの会所は来賓を迎える建物。広縁も備えていました。
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もちろん隣には水溜
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内郭の南西端には工房
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鍛冶場だったと考えられています。

水溜は工房にも設置されていました。
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まぁ水は必要ですもんね。

内郭下には日川が流れます。
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高さからも安全な立地ということがよく分かります。

こちらの崖側には太鼓櫓も建っていたそう。
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よくここから太鼓櫓の跡を見つけたものです。

最後に東門に向かいます。隅には蔵が複数置かれていました。
こちらは半地下
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こちらはそのものずばりのの跡。
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東門脇にもが建っていました。
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そして東門
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ただこちらは立ち入り禁止。

脇から覗くと土塁をまたぐ橋台がありますが、これはいつの時代のものかなぁ。
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ここまでで内郭が終了。
たくさんの平面展示にお腹いっぱいですが、まだまだあります。

館外家臣屋敷跡

見学を終えたのは内郭ですので、まだ家臣団の住居跡が残っています。
少し離れていますが、土塁脇を進むと、f:id:tmtmz:20210331192603j:image

また整備された地区が見えてきました。
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このあたりから東郭と家臣屋敷跡。まずは端の家臣屋敷跡へ。

この地区でも2軒の屋敷跡が確認されていて、うち1軒の立体復元があります。
本当に整備が丁寧。
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内郭内と違って掘立小屋でしたが、規模から中級クラスの屋敷跡と考えられています。
復元された1軒は内郭への水路から水を取っており、内郭への水供給を管理していたと推測されています。

もう1軒は井戸から水を汲んでいましたが、その井戸まで復元されていました。
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いやーすごい。でも看板にまだ整備を進めていく予定だとか。本当に感謝感謝です。

東郭

最後は東郭へ。こちらにはたくさんの堀がありました。
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全部が堀だったわけではなく、内郭に水を送る水路もありました。
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水路脇には排泥処理施設。こういう施設を見たのは初めてかもしれません。

東郭内部にも平面復原がたくさん。こちらは工房でした。
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これでようやく勝沼氏館跡終了です。

おまけ

おちゃらか。
地元ではせっせっせーのよいよいよい、は、アルプス一万尺だった気がします。
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お国柄が出ますね。

感想

満足度 3.5/5

事前調査不足で大きな期待をせずに行きましたが、復原展示と解説とで大満足でした。
珍しく訪問時にほかのお客さんがいましたが、これなら納得。
当時の生活の様子が想像できて楽しかったです。

まだ整備される意向がありそうな看板だったので、これからにも期待です。

アクセス

勝沼氏館跡

  • アクセス
    鉄道・バス:JR勝沼ぶどう郷駅より徒歩30分
         または
         甲州市民バスぶどうコース:上町バス停
         甲州市民バスワインコース:上町または山口園前バス停下車すぐ
         どちらもバスの本数はかなり少ないです
    車:中央高速 勝沼ICより5分
      無料駐車場あり
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~30分
  • 付近のスポット
    近くの百名城だと、武田氏館跡、要害山城、甲府城でしょう。

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百名城 武田氏館(24) 3/3 -味噌曲輪から大手へ

武田氏館の訪問記も最終回。
神社から土の城跡と来ましたが、緑の曲輪と整備された綺麗な曲輪を回ります。

お屋形様の散歩道ももちろん気持ちよかったですが、大手周辺の整備された地区は見ていてとても楽しかった。

武田神社の訪問記はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

お城:武田氏館(24) 山梨県甲府市
HP:信玄公のまち 古府を歩く|躑躅ヶ崎の館
訪問日:2017年7月、2021年3月

訪問記

味噌曲輪・稲荷曲輪

もう一度全体図を確認。
今回は西曲輪から味噌曲輪へ出たところからスタート。時計回りに大手へと回ります。

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正面はまさに発掘現場ですね。
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ブルーシートに被われた馬出がひっそりとたたずんでいます。
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向こうに緑の味噌曲輪が広がりますが、まずは右手に隣接する稲荷曲輪に向かいます。

発掘現場のロープにはちょっとした解説も置かれていました。
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浸水の跡がみえますが、まぁ読めるので助かります。

西曲輪や主郭とを区切る空堀を眺めつつ進むと、
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ちょっとした高まりになっている稲荷曲輪へ。
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上がると狭めの曲輪。
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ここには当時から館の鎮守が置かれていました。

もう一度味噌曲輪を眺めます。
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古地図には蔵屋敷と記載されており、食料や物資の貯蔵施設があったとみられています。
今は野原ですね。

もう一度最初の馬出を通って、西側に隣接する道路へ向かいます。
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この角度だと馬出の感じがよく分かるかな。

お屋形様の散歩道

西側の車道を進むと、お屋形様の散歩道に到着
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本当に散歩していたとは思えませんが、でもお屋形様に親しみを持てるなら良いでしょう。

春先の散歩道は、お花畑になっていました。
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お屋形様になった気分になりますね。ならない?

散歩道から味噌曲輪を眺めますが、印象はあんまり変わらないかな。
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もっと東へ進んで無名曲輪御隠居曲輪を眺めます。

無名曲輪は本当に名称などが伝わっていない曲輪。
御隠居曲輪は信虎夫人(大井の方)の隠居所と伝えられます。
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このあたり半分以上農地の様相。曲輪の跡はよく分かりませんでした。
何となく区切りはあるような、ないような。
小さな石段はいつの時代のものでしょう。

大手

ぐるっと回って東側の大手門周辺にやってきました。

今は完全に裏門ですが、こちらがかつての大手門 正門でした。
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向かいにはそれを物語る遺構が残ります。

大手石塁
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階段もあることから、大手門を守るための櫓などの建物の基礎と考えられています。
こちらは発掘された遺構に加えて古地図も参考に復元されました。

上からもう一枚。
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こう見ると大手門を守る位置関係、ここが城跡ということがよく分かります。

この石塁は武田氏の時代ではなく、その後の豊臣時代に作られたもの。
武田の時代の甲斐にはこのような石積みの技術は存在しませんでした。

そして、武田氏の時代には、この下に三日月堀が掘られていたことが分かっています。
石塁と被っているところこそ発掘できていませんが、武田氏滅亡後に人為的に埋め戻されたと考えられる跡も見つかっています。

大手門周辺は武田氏館跡の城跡ゾーンの中では一番整備が進んでいます。
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詳しい解説板も置かれていて見ていて楽しい。

石塁以外にもいくつか復元整備されています。
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今は明るい芝生広場ですね。

目を引く平面展示は厩跡
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柱穴の特殊な配置から厩跡と、場所や時期から武田氏滅亡後の建物と推測されています。

顔を上げると、次に目を引くのは土塁
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この曲輪を囲む土塁と堀は、惣堀・土塁と呼ばれています。

東側には虎口が2か所。そのうち北側の虎口を眺めます。
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遠くて分かりにくいですが、虎口には石の階段が設けられています。

復元された土塁は上に上ることができるようにもなっていますね。

出ると土橋
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ちょっと小ぎれいすぎ?

惣堀には綺麗なソメイヨシノ
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ソメイヨシノが無くてもきれいに整備されていて良いですね。

南側にもう一本土橋。
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この南側土橋を渡ったところにも虎口があり、こちらでは門の礎石も見つかっていて、当時の姿が想像しやすい。

と、大手門周辺ゾーンを一周したら、かつての大手門から武田神社に戻りましょう。
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見逃していた部分の方が多いくらいでしたが(笑)、これでようやく一周です。

感想

満足度 3.5/5

百名城スタンプとぱっと見の見学だと武田神社の境内だけで終えてしまいそうですが、周りに良い遺構がたくさんありました。
西曲輪の虎口や大手周辺ゾーンの復元整備地区は見ていてとても楽しかった。

北側はまだまだ整備途中といった雰囲気でしたが、このあたりも整備されることがあれば一層楽しく見られそうです。

武田神社だけで終わったらもったいないですね。ホント。

アクセス

武田氏館

 

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百名城 武田氏館(24) 2/3 -梅翁曲輪・西曲輪の虎口を回る

引き続き武田氏館の訪問記。ここから館跡の遺構が色濃く残るゾーンへ。

1回目の訪問時はこのあたりを見忘れていたので、何で百名城なんだろうと失礼なことを思っていましたが、見てみると虎口に土塁に遺構が大変立派。
ちゃんと調べてから見て回らないとですね。

武田神社の訪問記はこちらから。

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お城:武田氏館(24) 山梨県甲府市
HP:信玄公のまち 古府を歩く|躑躅ヶ崎の館
訪問日:2017年7月、2021年3月
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訪問記

現地の図をお借りして現在地とこれから進む方向を改めて整理します。
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前回は武田神社の境内となっている主郭を見学し、西曲輪につながる虎口に出ました。

が、西曲輪を散策すると梅翁曲輪が見えないので、まずは左下の梅翁曲輪を散策。
その後、もう一度西曲輪に戻り、味噌曲輪方面へと時計回りに散策しました。

という訳で、さっそく梅翁曲輪の散策の記憶へ。

梅翁曲輪

と言いつつ、スタート地点は1回目の終わりの西曲輪南側の虎口です。
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この虎口を抜けると、

現代の平和な武田神社の水堀が広がりますが、
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正面にはなにやら遺構の看板が。

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虎口正面には馬出(西曲輪南馬出)が設けられていました。

今は土塁の跡形もないですし、コの字の地割りもよく分からないですが。。
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生垣が土塁っぽい何かを表している気もしますが、ちょっとずれているんですよね。
このあたり、すでに家が立ち並んでいるので仕方ないかな。

少し西へ進んで住宅街の小さな路地を入ると梅翁曲輪のふちをたどることができます。

梅翁曲輪は武田氏館跡の南西に広がる曲輪。武田氏滅亡後に拡張された区画に当たります。
住宅街を少し進むと、緑あふれる歩道が現れます。
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緑溢れすぎて何も見えませんが、看板があるのでこのあたり梅翁曲輪に当たるはず。

少し進むと一気に開けて堀と土塁が一望できます。
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これは松木とよばれています。江戸中期からの呼称のようですが。
今でも地域の灌漑用水のため池としての役割のある大事な堀です。

堀の向こう側、梅翁曲輪の内部にも住宅が見えるように、遺構はこれだけですが、堀と土塁は今も整備されているようで、かなり見やすくなっています。
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こう見ると高い土塁に深くて広い堀です。

そして道の反対側には相変わらず重臣の屋敷跡が点在しています。
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武将ファンにはたまらないでしょうね。
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かつては武田通りの左手にまで広がっていた梅翁曲輪ですが、今の遺構はあれくらい。
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さらっと見終わったら、もう一度武田神社の境内を通って、今度こそ西曲輪へ。

西曲輪

もう一度主郭、武田神社から西曲輪への虎口を眺めます。
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土塁の高さがこの館跡の重要性を物語っている気がします。

西曲輪武田信玄の長男義信今川義元の娘との結婚にあわせて1551年に築かれました。
ただ、義信が謀反の罪に問われて自害したのちの用途は分かっていません。

虎口を抜けると空堀
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と土橋
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堀の広さがこの館跡の重要性を物語っている気がします(2回目)。

この土橋を境に主郭側は神社、西曲輪側は館跡と現代でも大きな境目になっています。
上の写真ではよくある神社の境内ですが、振り返って虎口から見た西曲輪はこんな感じ。
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こちらはさながら公園。

観光客も比較的少なく、武田神社の人気が嘘のような様子が広がります。
ベンチでのんびりされている方もいらっしゃったような。

南虎口
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高い土塁には大きな石垣も残ります。これはいつの時代のものでしょうかね。
土塁の高さや石の大きさからしても、やはり防御面は重視していたのでしょうね。

翻って西曲輪を北方向へ。
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内部にも土塁が残っています。
このあたりにお屋敷が立ち並んでいたのでしょうが、なかなか想像はしづらい。

北に進むにつれて少しずつ高くなる西曲輪を進むとまた一際高い土塁f:id:tmtmz:20210331185152j:image

西曲輪北枡形虎口に到着です。西曲輪と北に隣接する味噌曲輪をつなぐ虎口です。
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立派な枡形虎口が明確に残っています。
石垣も立派ですが、これは武田氏滅亡後に築かれたと考えられています。

近づいてもう一枚。
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石垣は当時のものではありませんが、こちらの状態も素晴らしいですね。

さきほど少しずつ登ると、と言いましたが、北虎口から西曲輪は見下ろせる立地です。
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素人でもリスクを感じるので、当時は北虎口がもっと低かったのか、入られないようにもっと厳重に守っていたのかな。

虎口を抜けた味噌曲輪側から振り返ります。
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土塁の残り具合も素晴らしい。明確に枡形虎口ですね。
こんな立派な遺構を見忘れていたとはもったいなかった。

虎口を抜けると土橋を介して味噌曲輪へf:id:tmtmz:20210331184717j:image
こちらもはっきり。このあたりの遺構とてもテンションが上がります。

土橋脇の空堀
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これくらい深くしないと守れないですよね、というくらいの堀。かつてはもっと深かったんでしょうし。
でも、写真じゃ深さはよく分からないですね。。。

土橋を抜けると、味噌曲輪に到着。
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なにやら絶賛発掘中ですね。

ここからはまた次回。

1回目はこちら

tmtmz.hatenablog.com

山梨県の百名城でこのあたりはいかがでしょうか。

tmtmz.hatenablog.com

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百名城 武田氏館(24) 1/3 -武田神社で百名城スタンプを。

甲州は武田家の本拠地、武田氏館の訪問記です。
どちらかというと躑躅ヶ崎館の名の方が有名かな。

今は主郭跡地に作られた武田神社の印象が強いでしょうか。
でも脇を進むと立派な居館跡が残っていますよ。

まずは初回、王道武田神社を回ります。

お城:武田氏館(24) 山梨県甲府市
HP:信玄公のまち 古府を歩く|躑躅ヶ崎の館
訪問日:2017年7月、2021年3月

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概要

1519年、武田信虎がそれまでの本拠地であった石和から居館を移したことに伴い、建設されました。
その後、信玄・勝頼に至る3代62年の本拠地として使用されました。

勝頼の代、長篠の戦いから続く動乱期に新府城訪問記)を新たな居館として移転しますが、間もなく武田氏は滅亡しました。

その後は、徳川家康らが甲斐統治の拠点として使用しますが、1590年、甲府城訪問記)に、役目を譲りました。

1919年、跡地に武田神社が創建され、新たに正門が築かれるなど改変されますが、1940年に国の史跡に指定され、現在に至ります。

要害山から流れる扇状地の頂部に築かれ、四方を堀と土塁に囲まれた主郭と付属の曲輪の跡が今も良く残ります。

訪問記

武田氏館は甲府駅からまっすぐ伸びる武田通りの突き当りにあります。

バスなら武田神社のバス停まで甲府駅から10分くらい、車でも神社至近に駐車場があるのでアクセス便利です。

この時の武田通りは桜満開でした。
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正門わきの駐車場に車を置いて散策開始です。

早速穴山信君屋敷跡の看板。
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武田氏の館跡なので当然ですが、敷地周りには武田二十四将の屋敷跡が点在しています。

脇には武田氏館跡歴史館も。
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面白そうですが、時間の都合でまた今度に。

翻って武田神社正門
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こちらも桜満開かつ抜けるような青空で来てよかった。

見た目は完全に神社ですが、前述の通り、かつての武田氏館の主郭に建立されました。
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まさにここが今の正門なんですが、当時の大手門は全く別の場所。
ここは石垣を崩して作られました。

だから櫓台かのような高い石垣が左右にある訳ですね。
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厳かな雰囲気が醸し出されているので今の姿はそれはそれでよいものかと。

神社の全体図。
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建物が書かれているあたりが神社の部分。
それ以外の緑色の部分はかつての館跡が残っています。
堀の外の曲輪は書かれていないので、そこも含めるとかなりの広さです。

という当時の屋敷の配置も含めた絵図も設置されているのでご興味ある方はぜひ。
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こういうの見ると先に進めなくなっちゃうんでダメなんですよね笑

境内内部へ

堀を渡って境内へ。
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水堀は今も立派です。

もう一つかつての姿の絵図がありました。
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こっちはだいぶ館跡に寄せてあるので、当時の姿がイメージしやすい。
というか、これくらいしか縄張りが分かる図はなかったような。

登る手前にひっそりと史跡を表す石碑も置かれています。
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神社の石碑の半分以下のサイズなので、影は薄いかな。

階段下から眺める石垣
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主郭の石垣だけあって高さも十分です。

境内もいたって普通の立派な神社。
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さすがにここに当時の面影はないので、今の姿を楽しみます。

手水鉢はもちろん武田菱
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でもそれより気になるのは上に掲げられた謎の数学問題。なぜここに?

拝殿も立派。
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まずはお参りです。
この拝殿の奧に本殿もあります。

それにしても参拝客が非常に多かった。地元に愛される神社ということがよく分かります。

スタンプ

拝殿右手を進むと宝物殿
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こちらにスタンプが置かれています。

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モデルは全景ですね。ちょっとスタンプの解像度わるめ?

スタンプを押したときは宝物殿にしかスタンプがなかったと思うのですが、2021年の再訪時には、拝殿脇の神符授与所にも置かれるようになっていました。
宝物殿はお休みもあるので、助かる配慮です。

はい、2度目の訪問では宝物殿はお休みでした。

もう少し境内を散策。
信玄公ご使用の井戸がありました。
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こちらは当時から残る井戸。
主郭の中心部付近にありますし、名前だけでなく本当にご使用されていたのかもしれません。

拝殿向かって左手へ。

武田水琴窟
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良い音はしていますが、何か縁はあるのでしょうか。

近くにもう一つ井戸。
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こちらは姫の井戸
主郭のうち生活の中心になる場所に置かれた井戸で、信玄公の御息女の産湯に使用したことによりこの名がついたという話もあります。

この書き方だとコロナウイルス蔓延前は水を使用できたんでしょうね。

もう一つ、境内で目を引く大きな建物が甲陽武能殿
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この舞台での能楽など、見てみたいものです。

と、ここまで武田神社を見てきましたが、この甲陽武能殿脇の道を進むと、
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立派な土塁を通り抜けて、突然自然豊かな場所が広がります。

何も知らずに見ると公園のようですが、このあたりから武田氏館跡のゾーンに入ってきます。
こちらは西曲輪。
城好きとしてはここからを見に行かないと。

というところからまた次回へ。

山梨県の百名城でこのあたりはいかがでしょうか。

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大井川鉄道井川線⑤ 長島ダム駅 -ミステリートンネルを通ってアプト式の急勾配を見に行く

大井川鉄道井川線の旅、最後はだいぶ戻って長島ダム付近を散策。

大井川鉄道公式の沿線ガイドマップでも紹介されている井川線トンネルミステリーウォーキングをしに行きます。
長島ダム建設に伴って付け替えられた旧線を利用したハイキングコースで、対岸の現役線も良く見えます。

http://oigawa-railway.co.jp/pdf/ensen_guide.pdf

奥大井湖上駅接岨峡温泉駅のハイキングコースはアドベンチャーウォークなのに、こちらはミステリーと、ちょっとかわいそうな気もしましたが、かわいい仕掛けがあって確かにミステリーウォークでした。

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長島ダム見学

井川駅から1時間ほど、長島ダム駅まで帰ってきました。
駅数ではほぼ真ん中、距離では半分過ぎて起点の千頭駅よりに帰ってきたところです。

目前に長島ダムを見据える、全くミステリーとは思えないこの駅からミステリーウォーキングスタートです。
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下る列車もアプト式機関車を付けるので見物客がたくさんいましたが、降りたのは私だけ。
終電1本前ですし、攻めたことする人はいないのかな。時間は十分あるのですが。

アプト式の急勾配を外から見て楽しむのも乙じゃないですかね。

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長島ダム駅は割ときれいな駅舎がついています。
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もうちょっと早い時間ならダム見学のお客さんがいるのかも。

年季が入っていますが、ちゃんとウォーキングマップもありますよ。
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普通は駅周辺の見どころマップと謳うところ、ウォーキングマップとは、ではありますが。

前方には長島ダム。そして今から進むしぶき橋が見えています。
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結構な標高差で。下りでよかった。

列車はお先にアプトいちしろ駅へ。
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できればもっと勾配が分かるところで見たかったですが、さすがに追いつけないなぁ。

さて、改めて下から長島ダムを眺めます。
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近くで見ると迫力が違う気がします。

ダムがたくさんある大井川流域ですが、長島ダム唯一水力発電を行っていません
洪水調節や大井川の正常な流量維持と取水がその目的です。

また、比較的最近(2000年完成)建設されたダムらしく、地域に開かれたダムを目指していて、予約をすればダム内部の見学もできるとのこと。

その一環でダム直下のしぶき橋を渡って歩くことができるんですね。

という訳で橋を渡ります。
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見ての通りしぶきがかかるのでしぶき橋。

長島ダムの放流のしぶきを
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まともに受けつつ歩きます。
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いやーびしゃびしゃ。地面と同じくらい体も濡れました。

夏なら良い経験ですね。冬には寒いかな。

ミステリートンネルを抜けて現役線を眺める

橋を渡った先にはミステリーウォークの見どころミステリートンネルがあります。
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なかなかポップな看板があるので全く迷わずに進めると思います。

このミステリートンネルも井川線廃線跡
長島ダム建設に伴い切り替えとなった川根市代駅(現:アプトいちしろ駅)~川根長島駅(現:接岨峡温泉駅)の区間を利用しています。

この区間の大部分は長島ダムの湖底に沈んでいますが、現在の長島ダム駅付近から川根市代駅までの区間は沈んでおらず、このミステリーウォークの遊歩道として整備されています。

前回の井川駅廃線小路(訪問記)に続いて、この旅2度目の廃線探訪スタート。

早速トンネルが見えてきました。暗い。
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当たり前ですが、トンネルには照明はありませんので真っ暗です。

長島ダムふれあい館アプトいちしろ駅貸し出し懐中電灯があるそうですが、ノー懐中電灯で突っ込んでしまいました。
でも、もはや戻れないので、スマホの照明を頼りに暗闇を進みます。

なんかいる?

これは小さい子には怖いかも。
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チ○ちゃん。流行に敏感です。
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最初のトンネルは短め。5分もかからずに走破できました。
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そのまま鉄道トンネルだったことを思うと、当時の車両の小ささがうかがい知れます。

そして、正面がアプト式鉄道の勾配がよくわかるポイント
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足元のキャンプ場や川と比べて山中の線路がおかしな向きを向いているのが分かりますか?
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この傾斜をものともせずに車両が走っているところを見たかった。

キャンプ場を過ぎると、2つ目のトンネル
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ドッキリありの看板が文化祭感を醸し出していて微笑ましい。

こちらも真っ暗。375mもあって、こっちは懐中電灯が欲しくなる長さでした。
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途中のドッキリもこっちの方が手が込んでいました。
ドッキリなのでネタバレはしませんよ。

しばらく歩くと終点へ。
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真正面の現役トンネルからの流れや足元の線路が廃線跡という感じを醸し出します。

今歩いている場所は線路敷き。
右手の草むらには旧川根市代駅の駅名板も転がっていました。ここが駅跡地なんですね。
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一方で右手奥には出番を待つ現役のアプト式列車。移り変わりを感じます。

この後は道なりに進むとすぐに現役のアプトいちしろ駅へ到着。

アプトいちしろ駅からのルートにも看板が出ていますが、こっちは分かりにくいです。
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ホームから線路を渡って駅舎へ。
線路沿いを千頭駅方面に少し戻ったところにこの看板。
その後突き当りを左手前に戻ったところがさっきのトンネルです。

アプトいちしろ駅 -アプト式鉄道を間近で見学

さて、次の列車まで30分。何をして過ごしましょうか。

駅といってもこれが駅舎全景。
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線路の向こうは川。時間をつぶす場所がありません。。。

駅員さん以外誰もいない駅で、駅員さんにまで心配されましたが、仕方ないのでアプト式列車を眺めて待つとしましょうか。
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踏切の少し向こうにはラックレールの始点。

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アプトいちしろ駅にはたくさんのアプト式機関車が留置されています。

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眺めながら行きに買ったアプト餅を頂きます。これは温かいうちに食べたほうが柔らかかったかな。

のんびり駅を眺めていると、留置されていた一台が動き出して、
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駅員さんだと思っていた運転士さんが操作をして、
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目の前を過ぎ去っていきました。
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我々が乗る列車のお迎えですね。よろしくお願いします。
それにしても、ここからでも傾きはすごい。

本当に誰も居なくなったアプトいちしろ駅

なぜか踏切の隣に置かれた一台を近くから眺めるとしましょう。
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真正面から見る機会はなかなかないのでは?

とくに詳しいわけではありませんが、やっぱり見たくなるのは歯車
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しゃがむと見えるではありませんか。
あの歯車で我々を安全に運んでくださっているんですね。感謝。

そうこうしている内に先ほどの列車が返ってきて、今度こそ終電。
旅も終了です。

近くでこれだけの秘境感を味わえるなんてすばらしいところでした。

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tmtmz.hatenablog.comこの旅は千頭駅からスタートしました。
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