にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

設楽原決戦場 信長戦地本陣跡 (愛知県新城市) - 高速PA直結の本陣跡

設楽原決戦場散策その2は信長本陣跡へ。
長篠の戦いを通じて何度か陣を移動した信長の、設楽原決戦における陣地です。

信長だから別記事、という思い入れではなくて、ここだけは場所が全然違って新東名高速の長篠設楽原PA下り線に直結だから別立てにしてみました。

PA直結でも下道からもアクセス可能。遠くの方も近くの方もアクセス便利な立地です。
まぁ言うまでもなくあとから高速が近くに来ただけですけど。

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長篠設楽原PA

設楽原決戦場散策に続けて訪問。

信長本陣自体は、新東名での休憩で何回も看板を目にして気になっていましたが、なかなか寄り道する時間が取れず。
下道からも訪問できることを知ってこの機にやってきました。

カーナビに入れたら高速に連れていかれるのではと少し不安でしたが、近くまで行けば看板も完備で迷うことなく到着できました。

というわけで、さも高速の休憩かのようなアングルから最初の一枚
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長篠設楽原PAは外観から戦国推し。
長篠の戦いをモチーフにしたご当地メニューもあるようですよ。食べたことないけど。

実際に車を停めたのはPAの裏。当たり前ですが高速とは別の場所です。
そこからの眺めも綺麗でした。
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設楽原決戦場は左端の山向こう。離れたところに信長本陣があることが分かります。

家康の本陣は決戦場から見える最前線にあり、秀吉の本陣はここから決戦場と反対の北側にあったとか。立場の違いが表れていて興味深い。

信長本陣

もう一度高速側に戻って、信長本陣へ。

PA脇にはしっかりとした案内板。こういう看板があるのは珍しいんじゃないかな
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高速バスツアーの休憩で寄れたりしたら良いですよね。またそんな日が来てほしいものです。

脇には馬防柵の再現
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設楽原歴史資料館で習った織田・徳川どちらの形式とも似つかない、というか柵裏への入口がないですが、雰囲気だけ味わうならこれでも充分。サイズ感も分かりますし。

ザ・公園の向こうの山が本陣跡です。
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ちょっと登って
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到着。
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中央に高まりを持つ、山上の削平地にはなっていますが、今はちょっと開けた神社。
かなりキレイで、どこまでが当時の形状かはちょっと分かりにくいかな。

今の主、茶臼山稲荷神社に参拝して、少し散策。
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何も知らないとただの地域の神社、ですが、
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看板が歴史を教えてくれます。
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この看板の「見える見えない」はもう少し降りたところから見た話なんでしょうか笑
看板付近は周り全部木で、少なくとも設楽原決戦場方面は何も見えませんでした。

近くの歌碑には、信長が詠んだという歌が刻まれていました。
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「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」

信長の歌が残されていること自体が稀なのだそう。
大きな決戦の思い入れか、何を表した句なのでしょうか。
うれしく、聞こえたのは戦の優勢を感じていたのかな。素人には分かりませんが。

北西側には長篠設楽原PAを眺めることもできます。
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これくらいのちょっとした距離、高低差なので、下り線PAに用がある方はちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
大きなところでも、遺構がたくさんという訳でもありませんが、少しだけかつてに思いを馳せることができますよ。

アクセス

信長戦地本陣跡

  • アクセス
    電車・バス:JR飯田線 茶臼山駅から徒歩35分
    車:新東名高速道路 長篠設楽原PAから徒歩
              新城ICから車で10分
      無料駐車場あり
  • 利用時間
    散策自由
  • 所要時間
    ~30分
  • 付近のスポット
    関連史跡でこのあたりはいかがでしょうか。

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設楽原決戦場 (愛知県新城市) -武田軍対織田徳川連合軍 激戦の地

長篠城の後は、設楽原で古戦場巡り
大きな戦いの地でさすがに広い。周りがいがありました。

今は石碑のみの場所ばかりですが、今の景色からも当時を想像しながら足がだるくなるまで散策しましょう。

1. 設楽原歴史資料館 2. 信玄塚 3. 岡部竹雲斎・岩手左馬之助胤英の墓
4. 首洗池 5. 勝楽寺 6. 家康本陣 7. 家康物見塚 8. 竹広激戦地 9. 山縣昌景墓
10. 小幡信貞墓 11. 甘利信康墓 12. 柳田前激戦地 13. 復元馬防柵 14. 内藤昌豊

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設楽原歴史資料館

散策のスタート地点は設楽原歴史資料館
こちらの駐車場に車を置かせていただいて散策へ。
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看板ピッカピカです。すごい管理で。

ちなみに資料館目の前の第一駐車場は資料館の閉館とともに閉まりますのでご注意を。
第二駐車場はその後も停められます。遅くまで歩かれる方はそちらをご利用ください。

と頭は史跡めぐりばかりですが、もちろんその前に資料館も見学します。
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資料館の外も馬防柵っぽい柵があって早速雰囲気あります。
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長篠城訪問記)で学んだ鳥居強右衛門もまた登場です。
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資料館内は、長篠・設楽原の戦いと、火縄銃の展示がメインでした。

馬防柵にも違いがあるようで、真横に並べる徳川式斜めに並べる織田式
このあと見に行く予定なので違いを頭に入れておきます。
古い話なのにこういったことが分かっていることも面白いですよね。

その他、日本最古級の火縄銃や三段撃ちの真相など、気になる展示がたくさんでした。
古戦場の現地には全体像を理解できる説明は少ないので、ここでいろいろ情報収集してから周る方がおすすめです。

屋上からは陣地の様子も眺められますし。
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説明があっても木で見えませんが。

周辺散策へ

信玄塚・首洗池・勝楽寺

ここから史跡巡りへ向かいます。

先述の通り、全体を俯瞰できるものはないので、三河東郷駅前の看板で概要を確認です。

実際にはGoogleマップを参考に彷徨いました。
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今いるのは、設楽原決戦場の中央を流れる連吾川東岸の武田軍陣地側
看板では白で表記された側の上下でも中央あたりです。

まずはこちらを南下していきます。

最初は信玄塚 (大塚・小塚)
戦いを死者を祀った塚です。

こちらは大塚
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武田軍の塚です。

こちらが小塚
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織田徳川軍です。

これら2つの塚は近くに並んでいて、信玄塚と呼びます。
信玄の逝去も踏まえて武田家の終わりを告げる意味を込めて信長が名付けたのだとか。

ここから南へ向かいます。

田畑の脇にあった墓碑は岡部竹雲斎、岩手左馬之助の墓
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武田軍の左翼戦線で徳川勢との戦いの果てに最期を迎えたそう。
設楽原全域でこのような墓が点在しています。

近くでは火縄銃の弾も見つかっています。
当時の銃弾は設楽原全体でもあまり見つかっていません。
田んぼに沈んだと考えられていますが、一説には銃弾が貴重で回収されたとも。

墓から後ろに見えるのが首洗い池
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おどろおどろしい名前の通り、戦死者の首を洗った池と言われています。

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ポップないろはかるたですが、書いていることがむごい。。。

さらに南へ進んで、三河東郷駅の向こう側。南端の勝楽寺前激戦地

名前の通り勝楽寺前に広がる激戦地
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史跡にはいろはかるたが置かれていて、これを探すとお目当ての史跡にたどり着ける仕様になっています。

まずは勝楽寺に参拝
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今も続く勝楽寺は大きなお寺でした。
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きっと地元の方がたくさん参拝されるのでしょう。

もっと南に進んで勝楽寺前激戦地
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今に伝えるのはいろはかるたのみ。哀愁漂う文章です。
田んぼにはなっていますが、大体こんな平原で決戦が行われたのでしょうね。

家康本陣・家康物見塚

ここからは北上して、織田徳川軍の陣のある西岸へ

道中、連吾川にかかる橋からは決戦場を俯瞰できました。初めて広く見られたかも。
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白い看板があるあたりが竹広激戦地という激戦地の一つ。

それにしても戦いやすそうな平原です。
ここで1万5千の死者が出る大きな戦いがあったんですよね。。。

連吾川西岸の中学校には模擬馬防柵がありました。
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地元の歴史を大切にする姿勢、好きですね。

この中学校の脇に、家康本陣跡につながる八釼神社
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ただ、看板といろはかるたはあっても、本陣跡への道はよく分からず。
獣道のような道は、登る勇気が出ませんでした。
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この本陣のある山の連吾川側斜面には家康物見塚があります。
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この塚の石碑の裏に、
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家康物見塚の看板。

付近からは先ほどの竹広激戦地が一望できます。また向こう斜面の山縣昌景陣地も。
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眺望はよくて、戦況もよく把握できそうですが、ちょっと最前線過ぎる気も。
信長本陣がずっと遠くにあることを思っても、当時の家康の扱いが分かるような。

山縣昌景・小幡信貞・甘利信康墓

連吾川を渡って武田軍の陣地へ。まずは竹広激戦地を通ります。
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長閑な景色からは想像もつきませんが、先ほどの山縣隊と家康隊の激闘の地です。

そのまま進んで山縣塚
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連吾川沿いの道を少し北上したところに登り口のこの看板があります。

山縣昌景本陣の看板と
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お墓
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当たり前ですが、正面鉄塔脇には家康物見塚がよく見えます。
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戦いの前、撤退を進言したとされる昌景は、この地で何を考えていたのでしょう。

この戦いで大きな被害を出した武田軍の武将の墓は他にも点在しています。

少し北にいったところ小幡塚
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勇猛さと赤備えで知られた小幡隊。その小幡信貞の墓とされますが、詳細は不明です。

資料館の辺りまで北上して甘利信康の墓
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いろはかるた通り、たったまま切腹したという話が残されています。信じられない。。。

復元馬防柵

その甘利隊も戦ったのが柳田前激戦地
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ここにかかる橋には、騎馬隊を
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馬防柵越しに迎え撃つ鉄砲隊が描かれていました。
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柳田前激戦地を抜けると復元馬防柵
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資料館からはほぼ一本道で、ここだけをつまみ食いするのもよさそうです。

馬防柵を見て、まず何やり思ったのはその大きさ。
ある意味当たり前ですが、大きい柵で驚きました。
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この木材を岐阜から運んだなんて。f:id:tmtmz:20220110205912j:image

資料館で学んだ2種類の馬防柵が設けてあります。いや、現地の看板にも説明はありましたが。

こちらは真っすぐ並ぶ徳川タイプ
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こちらは斜めに配置された織田タイプ
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端っこには名和式鉄砲構えの堀付属バージョンも復原されていました。
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堀もあったのでしょうか。そこまで短時間でできたらすごいですが、やったのかな。

そしてこの付近にも武田軍家臣の墓がありました。土屋昌次の墓。
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本当に柵に取り付いていたらかなり怖いですが、決死の覚悟ならする、のかな。

遠くから見ても存在感のある馬防柵を前にした騎馬隊の絶望的な気持ちはいかほどだったのでしょうか。
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本当はもっとずっと並んでいたはずですし、柵の向こうから火縄銃で攻撃される絶望感は恐ろしいものだったでしょう。

武田勝頼公指揮の地

このあたり最後は、資料館近くの保育所裏にある、武田勝頼公の指揮の地へ。
Googleマップを見ても行き方が分かりにくいですが、保育所脇に道がありました。

勝頼公指揮の地の石碑とともに、
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武田四天王の一人、内藤昌豊の墓も。
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馬場信房とともに、勝頼を逃がすためにとどまって討たれたとも言われます。

まだまだ気になるところはありますが、このあたりでタイムリミット。
これでも資料館込みで2時間歩き続けていまして。。

新城市にはほかにもたくさんの歴史スポットがありますし、残りはまた別の機会のお楽しみにとっておきます。

関連史跡でこのあたりはいかがでしょうか

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百名城 長篠城(46・愛知県新城市)磔看板の主は地元のヒーロー

三河の百名城、長篠城へ。

歴史の有名な舞台は今、入り口から大きな磔看板が出迎えてくれるインパクト大の場所になっています。
偉大な地元のヒーローに詳しくなるのも良いのではないでしょうか。

2022年4月更新

お城:長篠城 愛知県新城市
HP:国指定史跡長篠城跡の案内:新城市
訪問日:2017年1月、2017年8月、2022年1月

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概要

1508年、土豪の菅沼元成が今川氏親の武将として築きました。
今川義元の死後、菅沼氏は家康に属しますが、信玄の侵攻により武田氏に属します。

1573年、家康が城を奪還、奥平貞昌を城主に任命しました。この際、大改築されます。

1575年、奥平貞昌が城主の際、武田勝頼軍が長篠城を攻めます。
奥平軍500に対して、武田軍15000。
落城寸前まで追い詰めますが、織田・徳川連合軍の援軍が到着、死守しました。

1576年、新城城を築城し、長篠城は廃城となりました。

訪問記

何度目かの訪問ですが、縄張りへの興味が強まってからは初めて。
城内をJR飯田線が通る現状でも遺構はたくさん残っています。

地元新城市も史跡めぐりの巨大看板を作って盛り上げていますし。
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別の目的地があってこの看板を巡る時間はありませんが、またそのうち来ようかな。

何回見ても強烈な印象を持つ鳥居強右衛門の磔看板を目印に長篠城に到着。

スタンプのある長篠城址史跡保存館も車を置いてすぐです。
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長篠城の攻防、鳥居強右衛門の活躍、その後の設楽原決戦などが、年季が入ってはいますが分かりやすく展示されています。

もちろんスタンプも。
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スタンプ台は窓口にも建物外にも置いてあります。
モデルは土塁上の石碑だと思いますが、背景はどこでしょうか。。。?

保存館は城域内にあるので出たらすぐ城跡散策開始です。
その前に縄張り図を見ていきます。
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長篠城宇連川と豊川が交わる地にあります。

川の合流点付近に本丸が置かれます。
さらに本丸は、周囲三方を川に囲まれ、残りには堀が築かれています。
本丸から川を離れる北方に、順に帯郭、弾正郭、巴城郭、大手郭などが置かれます。

今の姿でいうと、保存館のある場所が帯郭で、本丸ははっきり、弾正郭も民家が置かれながらも様子は分かりますが、様子が分かるのはそのあたりだけです。

という訳で保存館から出ると正面は帯郭から本丸への土橋
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深い深い堀と本丸土塁が残ります。
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この堀の幅はなかなかに大きい。
断崖ではない唯一の方向にこの深い堀とは、堅固な要害です。

早速本丸
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手前側は土塁に囲まれていますが、川に面した奥は断崖絶壁で開けています。

こちらは先ほどの堀に面した土塁。
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登ってみましょう。
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年季の入った城址碑のある土塁上から本丸側。
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下から見るより高さを感じます。高所恐怖症を発症しそうな笑

堀越しに帯郭側。
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堀の広大さがよく分かります。あと、駐車場のアクセスの良さも。

ただこの土塁はおそらく線路で分断されてしまっています。
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本丸と宇連川の間を走るJR飯田線で、それ以上向こうに行けないのは残念。

本丸周囲には、そんな行けない場所の解説がたくさん。
という訳で、その解説を見ながら想像する時間です。まずは正面の山々。
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長篠城を包囲する武田軍の砦は正面の鳶ヶ巣山方面にありました。
そこを家康家臣の酒井忠次が奇襲し、砦に詰める武田軍指揮官のほとんどが打ち取られ、砦は全て落ち、設楽原決戦へとつながることとなります。

こちらからよく見えると、向こうからも前に注目してしまう気持ちが少し分かるような

線路の向こうには、もう一つの郭、野牛郭がありました。
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何となく平場が広がっていますが、線路で改変された部分はどうなっているのか。

もう少し南側には、宇連川と豊川の合流点もあります。
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まぁ断崖絶壁過ぎて見えないので、正面の新東名の橋の方が気になるかも。

西側、豊川方面を眺めます。
こちらには長篠城のヒーロー、鳥居強右衛門の磔の地があります。
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ここを散策される方には言わずもがなとは思いますが、簡単に鳥居強右衛門の逸話を。

鳥居強右衛門は、奥平家の家臣でした。

長篠城の攻城戦で武田軍の大軍に包囲された奥平軍は、岡崎城まで家康に援軍を要請することにします。
その使者として難しい役目に志願したのが強右衛門でした。

夜間、川を潜って包囲網を抜け出し、翌日午後には65km離れた岡崎城に到着します。
援軍は翌日に出ることになりましたが、強右衛門は援軍に先んじて長篠城に戻ります。
そこで援軍到着の狼煙をあげ、さらに入城を試みますが、武田軍に捕らえられます。

武田軍は援軍を知り、家臣として厚遇するので、援軍が来ないと伝えろと強要します。
強右衛門は表向き命令に従うよう見せかけて、城には援軍が来る旨を叫びました。
これにより強右衛門は磔に処されますが、城兵は奮起し守り抜くこととなりました。

その磔の場所が川の向こう側。やっぱり見える場所なんですね。。

ちなみに、長篠城入り口の磔の看板も、この強右衛門です。
城史史跡保存館外の百名城スタンプ隣にも、強右衛門
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近くのJRの駅名(鳥居駅)にも強右衛門。
逸話を思うとこれくらい地元の大ヒーローになるのも頷けます。

あと少し城散策に戻ります。

2本の川の合流点に立地する長篠城、本丸沿いにはもう一本川が流れます。
こちらは小さな川ですが、滝になっていてやはり断崖絶壁
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というか肉眼でやっとうっすら見えるような遠くに滝がありました。
三方が断崖絶壁という立地はかなり珍しい気が。

最後はシンボリックな碑を眺めて、
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本丸を一周。

一見本丸付近しか残っていない長篠城ですが、城史史跡保存館から滝を挟んだ向こうにある弾正郭は痕跡を感じることができます。
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こちらが(おそらく)土塁の痕跡。
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この先は民家でしたのでここまでですが、翻って帯郭側はこんな景色。
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城史資料館のある帯郭と、その手前の川の様子が何となく当時を残しているような。いないような。

この後は、設楽原決戦場へ向かいます。

感想

満足度 3/5

当時の様子を残すのは本丸近辺のみ、土塁と空堀や断崖から様子は分かるものの、ちょっと物足りない印象はあります。
それでも長篠城址史跡保存館の分かりやすい展示や、現地の看板から地元の思いは伝わりますし、何より有名な歴史の舞台というのは違います。

アクセス

長篠城

  • アクセス
    電車・バス:JR飯田線 長篠城駅から徒歩7分
    車:新東名高速道路 新城ICから車で5分
      無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    長篠城址史跡保存館
     開館時間:9:00〜17:00
     休館日:火曜 (祝日の場合翌平日)、12/29-1/3
     入館料:一般220円、小中学生100円
    開館時間外は1階のトイレの前にあります。
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    城跡だけなら30分 保存館も含めると1.5時間 周辺散策含めるとそれ以上
  • 付近のスポット
    百名城関連では古宮城や吉田城

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新城市にはほかにも魅力的な山城がたくさんあります。

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関連史跡として岡崎城もいかがでしょう。

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柿本城 (愛知県新城市) -再現された柵が目をひく井伊谷三人衆の1人 鈴木重時の居城

愛知県の東端、静岡県境にある柿本城へ。

こちらのお城へ出かけた理由は写真で見かけた再現された柵が面白そうだったから。

そんな軽い気持ちでしたが、城の周りそこら中に看板があり、整備も行き届いていて、もっとメジャーになってもいいんじゃないかな。

お城:柿本城 愛知県新城市
HP:柿本城跡 | キラッと奥三河観光ナビ
訪問日:2022年1月

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概要

1568年、井伊家家臣の鈴木重勝三河遠江国境を守るため築城を始めたとされます。
これは、鈴木重時菅沼忠久近藤康用井伊谷3人衆が、徳川家康遠江侵攻において道案内を務め、命を受けたことによります。

1572年、武田信玄遠江侵攻で、本丸のみ完成した段階で攻撃され、和議を結び、開城しました。

城内には主郭と腰曲輪が配置されるも土塁はなく、塀や柵で防御していたものと思われ、今も柵が再現されています。

訪問記

柿本城に隣接する道の駅 鳳来三河三石からスタート。
現在地は、静岡県から愛知県に入ったばかりのまさに遠江三河国境です。
付近には長篠城や設楽原古戦場をはじめ歴史上の重要スポット目白押し。これからもお世話になりそうです。
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道の駅は小さいですが、ちゃんと土地のものを扱われていて、人出もそれなり。
柿本城田舎そばも売られていて、柿本城を推していることが分かりました。

というか、道の駅にでかでかと看板も出ていますし。
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道の駅には顔出しパネルも。
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コアなファン向けな気がしますが、子供受けするのかな、これ笑

柿本城の解説も道の駅にありますし、
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道案内も完璧。この道の駅の一押しスポットが柿本城なんですね。きっと。
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柿本城へのルートは図右側の満光寺側と左の集落を抜けるもの。
圧倒的に満光寺ルートがおススメです。

満光寺

という訳で、まずは道の駅に隣接の満光寺へ。
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武田軍の柿本城攻めで和議の仲介をするなど、古くから存在感を示しました。

現地では家康に関連した逸話も紹介されていました。

1570年頃、武田軍に敗れて落ち延びてきた家康を宿泊させます。
家康はお礼とともに、明朝、一番鶏が鳴いたら起こしてほしいと依頼をしました。

その夜、珍しく真夜中に鶏が鳴き、住職は約束通り家康たちを起こします。
まもなく武田軍が寺を取り囲みますが、家康たちは出発した後でした。

この危機一髪の出来事の恩返しとして、天下統一した家康は満光寺の鶏に三石の扶持を与えました。

道の駅の鳳来三河三石の「三石」は、この出来事に由来した名前です。

山門
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1707年建立の市指定文化財です。

お堂
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落ち着いた雰囲気のお寺です。

看板が出された庭園も鶏も有名で見たいところですが、まずは柿本城へ。

柿本城

お寺の脇から柿本城へ向かいましょう。
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角ごとの看板で丁寧に案内されますので、初見でも心配いりません。多すぎますが笑

道のりは急坂ですが、足元は整備万全。歩きやすい。
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急坂を5分ほどで腰曲輪に到着
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柵や楯が再現されていて雰囲気あります。下から登ってきて狙い打たれる兵の気持ち?

ここで縄張り図から全体を確認です。
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本丸を中心に西に二の丸と三の丸、東に出丸、その他に腰曲輪があります。

登ってきたのは本丸と出丸の間、右下に伸びる線。

今見ているのは本丸右下の小さな腰曲輪たちです。

この後、本丸を通って三の丸、折り返して二の丸、また折り返して出丸、そして左手の黄色の線から城外へ向かいます。

今度は振り返って腰曲輪の柵内部から登ってきた方向を見ましょう。
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守っている兵の気持ち。今ここから眺めても結構ドキドキします。

先の写真では斜面が緩そうに見えますが、ある程度先は切岸になっています。
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本丸へ向かいます。
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本丸には柵に加えて冠木門も再現されています。
当時と同じかは分かりませんが、妄想が広がります。伝令しに行く気持ちで入ります。

本丸は南北70m、東西35m
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柵の間から腰曲輪、その先を眺めます。
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いやービビりますね。本丸にいられる身分じゃないですが笑

本丸には築城者の鈴木重勝の石碑が建てられています。
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道の駅での取り上げられ方を見ても地域の方に大切にされていることが分かります。

石碑のある本丸南側の眼下には街道。
今は木で見えませんがしっかりと監視できる高さでしょう。

柵と反対側、西側の三の丸を眺めます。
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三の丸と名付けられていますが、かなり狭め。腰曲輪くらいの広さでしょうか。

こちら側は堀になっているからか、作らなかっただけか柵はありません。
三の丸西側の堀。
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今もしっかりと残る切岸加工の跡。

三の丸から本丸を見上げるとかなりの高さ
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三の丸までの高低差も含めるとかなりかと思いますが、これでも戦わずに開城になったんですよね。

そのまま西側の二の丸へ
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城内2番目の広さで本丸にも匹敵するようにも感じます。
やはり土塁はありません。

二の丸からの降り口には土塁の看板がありますが、
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土塁はよくわかりませんでした。
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土塁っぽくもありますが、踏み跡っぽくも。。。

この先も続いていそうでしたが、本丸東側の出丸へ戻ります。f:id:tmtmz:20220110203904j:image
本丸より高い不思議な立地で、本丸を望むことができます。f:id:tmtmz:20220110203653j:image
写真では気に隠れて分かりにくいですが、肉眼だとはっきり。こちらが本丸じゃないのかな。

出丸東側はしっかりとした切岸。
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城域の最東端なので守りの意識があったのでしょうね。
こちらを散策路に沿って進むと新東名高速に出ることができます。

最後は、二の丸側の堀から下りて外へ。
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看板はありますが、なかなか急で。。

堀を下から見上げます。
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結構緩くて広く、堀というより谷な気がしなくもありません。

そしてこの先で問題が。

道がなくなった。。。
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1月でこれとは。温かい時期は到底無理ですね。

どうにか降りて振り返ります。
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私の目には道は見えません。。。

看板はあるんですが。
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こちらが最初の看板で示された集落を抜ける道でした。
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看板はありますが、完全に民家の間を通る道。
ここを初見で入って、そのあとあの道は心折れますよ。
圧倒的に満光寺ルートがおススメです。

感想

満足度3/5

ルートの部分で文句は書きましたが、本丸の柵や冠木門、看板ほか地域の方が柿本城を大切にされていることがよく分かりました。
とくに柵は妄想が広がって本当に良かった。
ちょっと遠いですが、山城好きなら登って妄想する良い時間がとれますよ。

アクセス

柿本城

百名城 駿府城 (静岡市葵区) 番外編 -桜と石垣、桜と櫓の春模様

春の風物詩、桜とお城の取り合わせ。今回は駿府城へ。
訪問したのは満開となる前の週でしたが、それでも十分に綺麗な桜を楽しめました。
やっぱり石垣と桜、お城と桜は良いです。

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駿府城 石垣と桜

気がついたら近所の桜は葉桜でしたが、記憶を少し戻しましょう。

3月上旬のしだれ梅(訪問記)と掛川桜(訪問記)に触発されて、桜開花のニュースとともに石垣と桜の景色を見に駿府城へ向かいました。

早速、堀の石垣と桜 
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奥に見えるは城代橋、堀は外堀(三の丸堀)です。
青空は拝めなくとも、満開になっていなくとも、桜と石垣は美しい。

城代橋から石垣にフォーカスしてもう一枚。
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春ですね。
この日はかなり暖かかったこともあり、景色と合わせて春を実感する一日になりました

三の丸へ入ります。

三の丸内部は舗装道路に学校と城跡感は薄いですが、歴史博物館が建設中。
これができたら人の流れも含めて大きく変わるのでしょう。楽しみです。

中堀越しの辰巳櫓と桜。
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桜は堀側ではなく道路の街路樹なので、無理やり広角で撮ってみました。が、やっぱり無理やり感が否めませんね笑

東御門へ。
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桜と、というのはありませんが、いつ見ても立派。

県庁側などたくさん入口のある駿府城公園。県庁側からさくっと入られる方が多い気もしますが、ぜひこちらに足を延ばしてほしい。

駿府城公園の桜

中の桜を見ていきましょう。

見事な一本桜
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足元の緑もなんだか明るいような。気のせいかな。

城内の散策路沿いに多くの桜が植えられており、一斉に花開き始めたところでした。

準備中の静岡まつり出店ブース近くの桜も準備万端でした。
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ニュースで見ただけですが、今年の静岡まつりは盛り上がってましたね。

広場ではお花見をされている方もたくさん。
少しだけベンチから桜を眺めて小休憩しました。
今までは寒くて公園でのんびりする気分になんてなれませんでしたが、綺麗な景色に程よい気候。良い季節になりました。

お花見シートが多い場所では写真が撮れなかったので、こちらの広場で1枚。
人がいない理由は、まだ早いからですね笑
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奥の坤櫓と満開の桜の景色も見て見たいところでしたが、また今度。

最後は県庁側二の丸橋から外へ。

このあたりの桜はすでに満開でした。
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堀越しに桜をアップで締めの1枚。
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美しい。

実は買い物ついでの散歩のつもりでしたが、思ったより桜が咲いていて足を延ばした甲斐ありました。

駿府城の訪問記はこちらから。
tmtmz.hatenablog.com

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百名城 掛川城 (静岡県掛川市) 番外編 -満開の掛川桜とともに

掛川城3度目の訪問記は、春の掛川

2014年に認定されたばかりの新品種は桜は桜でもソメイヨシノとも、河津桜とも違った特徴を持っていました。
逆川沿いに咲く濃いピンクの桜並木と掛川城は、掛川の春の風物詩でしょうね。

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逆川沿いの掛川

3月中旬。しだれ梅の龍尾神社 (訪問記)から、もう一つ早春を感じに掛川城へ。
こちらもソメイヨシノより一足早く春を感じることができるスポットです。

逆川沿いの看板から桜並木の全体像を最初に確認。
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掛川城南の天然の堀となる逆川沿いに、濃いピンクの桜が300本植えられています。

大手門駐車場に車を置いて、さっそく逆川へ。
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逆川に架かる橋からは天守掛川桜。絵になります。

この景色を目当てに多くの方が集まっていましたし、カメラを構えておられました。
ただ、駐車場も広く、掛川駅からすぐの立地で渋滞やら混乱はありませんでした。
スムーズに見に行けるのも良い。

掛川桜は2003年に掛川で発見、2012年に命名、2014年に新品種認定された新しい桜。
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カンヒザクラの血を引いて、ソメイヨシノより少し早い3月中旬に満開を迎えるため、龍尾神社のしだれ梅と同じ時期に見られるわけですね。

逆川沿いの約300本の桜並木。うつくしい
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花は下を向いているものが多く、素人でも明らかに変わった桜だと気づけました。
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まずは掛川城から遠い東方面。と言ってもこちらは離れるほどに幼木が増えました。
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何年かしたらこの辺も素晴らしい桜並木になるのかな
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もう一度掛川城方面へ
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二本の橋が掛川城天守と桜のコラボポイント。
三脚を構えた方も多いですが、待てば良い場所で写真を撮れる程度の人出なのも良い。

河津桜のように見える緑の葉と濃いピンクが混ざった木もありました。
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これはこれで美しい。全部同じ品種だと思うのですが、この辺の違いは何でしょうか。

掛川城の下側も掛川桜。天守は隠れてしまいましたが、太鼓櫓と一緒に。
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この辺、車道の下に遊歩道も作られていました。もちろん後で散策しましたよ。

まさに春の小川ですね。
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この川は結構な暴れ川だったらしいですが。

川沿いの遊歩道を通って戻ります。
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下から見上げる掛川桜もまた良い。

掛川城内へ

一通り桜並木を散策したら掛川城へ。
せっかくここまで来たので登らない理由はないですね。
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この辺りはソメイヨシノかな。4月頭にはこの辺からの天守を見てみたいところ。

登ったお目当ては、上からの桜並木。f:id:tmtmz:20220313172252j:image
太鼓櫓の左手に目を引く濃いピンクなので遠くからでも存在感があります。綺麗。

もちろん木造復元天守も堪能しました。

一番印象的だったのは、天守で流れる「私の掛川三城ものがたり」のVTRでしょうか。
くすっと笑わせていただきました。
www.youtube.com

無理やり傷心旅行と絡めているのですが、何か所か上手くかかっているんですよね。
「殿、もやもやして前に進めませぬ・・・」「私も・・・」とか。

何度目かの訪問でも意外な新発見をしたら、最後にもう1度掛川桜。
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自然と気持ちが明るくなる春は良いですね。

掛川城の訪問記はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

掛川城大手二の門が残る油山寺の訪問記も

tmtmz.hatenablog.com

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龍尾神社 (静岡県掛川市) -掛川城主の崇敬を集める神社のしだれ梅園

満開の時期に、少し遅れた季節の話題は同じピンクの、しだれ梅。
3月上旬に訪問した静岡県掛川市にある龍尾神社さんです。

300本のしだれ梅園はとても綺麗
お庭はアップダウン含めて良く作られていて、歩いて回るだけでも一面の赤とピンクと白の梅を堪能できました。圧巻の景色です。

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龍尾神社

今や桜が満開ですが、少し前の季節の話題でしだれ梅。

テレビでしだれ梅のニュースを見てすぐ向かったのは掛川市の龍尾神社。
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神社があるのは掛川市街地です。

ちょうどこの石碑の手前に大きな駐車場がありました。
ただ、訪問日は梅パワーか、午前中から満車。
5分ほど駐車場を待っていたら、山上、本殿脇の駐車場に誘導されるまさかの展開に。
掛川駅からも歩けるので電車にすればよかったかな。

記事上は礼儀正しく?鳥居外から始めていきます。

龍尾神社の創建は不明ですが、古くから著名な神社であったと考えられています。
当初は別の場所に位置しましたが、朝比奈泰熙の掛川城築城に際して北東の鬼門封じとして現在の龍尾山に遷座されました。

という訳で、本殿は山上。登ります。車で登った後にちゃんと足でも登ったんです。
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頂上は見えているので、そこまでの高さではありません。ちょっと頑張ろう、くらい。
数分頑張りました。

ちなみに、徳川家康掛川城攻めの際に本陣が置かれたのもここでした。
後ほど触れますが、ここから掛川城天守を見ることもできます。

山上の本殿
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麓のしだれ梅園から離れた山上ですが、こちらも人がたくさん。
さすがに参拝しますよね。もちろん参拝してからしだれ梅園へ向かいました。

しだれ梅園の前にちょっと気になってしまったのが、こちらのドラえもん
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境内鳥居脇に居たドラえもん
なんで神社にドラえもんがいるのかとても気になりますし、なんだか違和感も。
こんなにおじさん感あるひげでしたっけ。

しだれ梅園

参拝を済ませたところで麓のしだれ梅園へ。
入場料600円としっかりお金がかかりますが、その分の見ごたえはあったと思います。
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駐車場の込み具合と同じく結構な人出で。

早速咲き誇るしだれ梅。
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梅はもっと花が小さくて目立たない印象でしたが、しだれ梅は花の存在感がしっかり。

梅のいいところは花の色がたくさんあるところかなと思います。
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白梅もいいですね。

紅白をバックにしたしだれ梅を見るとおめでたい気持ちに。傘回しが似合いそうな。
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龍尾神社のしだれ梅園は大きく分けると2カ所に分かれます。
1つ目は入り口側。山の下側です。
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入り口側は狭い方の区画です。奧まで続く赤白ピンクがきれい。

見渡す限りの満開。3月上旬のいい時期に来ました。
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山を登って山上。奥の区画へ
こちらも変わらずたくさんの梅の木が満開。
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山の上なので、梅の間から掛川城が見えたりもします。
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龍尾神社は掛川城攻めの本陣からの景色はきっとこんなだったんでしょう。

こちらの区画は結構広く、小川なんかも作られていて、また違った雰囲気もあります。
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この辺は日陰でまだ少し早かった。。

日向へ目を向けましょう。
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30分ほどで一番奥に到着。

この辺りは1番高い場所。
1本1本が幅を取って植えてあり、青空に映える見事な1本の梅も楽しめます。
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濃いピンクが青空に映えます。
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一番高い場所から見下ろした梅園
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いやー綺麗でした。

足元の黄色との対比も良い
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最後、帰りがけにもう一度入り口側区画を見下ろします。
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ひとめ何本あるんでしょう。色とりどりで本当に綺麗です。

来年の見頃にもまた行こう。

アクセス

龍尾神社

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