にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

丸子城(静岡県静岡市)- 武田流と今川流の築城術が垣間見える竪堀立派な山城

静岡の山城、丸子(まりこ)城の訪問記です。
このブログを始めるまでは全く興味がなかった山城にどんどん突き進んでいっています。
沼にハマっている気がしますが、大丈夫かな笑

こちらも甲斐武田流築城術が楽しめるお城でした。ところどころより古い今川氏の頃の遺構もあります。
小高い山の上に非常に立派な堀や土塁が残っていて、見どころたくさんのお城でした。

お城:丸子城 静岡県静岡市駿河区
HP:丸子城跡|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を
訪問日:2020年9月
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概要

築城年代は定かではありませんが、今川氏が駿河を支配したころから駿府の西の入り口の抑えとしての役割を果たしてきたと考えられています。
1568年の武田氏の駿河侵攻ののちは、武田氏家臣の山県昌景が入城し、今川方の侵攻に備えました。
この頃に武田流の改修を受けたと考えられています。
1582年、徳川家康支配下に移り、家臣が入城しますが、1590年の関東移封に伴い、廃城になったと考えられています。

今川氏の北城と武田氏の南城を連結した構造をしていて、市街地から遠いこともあってか、当時の遺構がほぼそのまま現存する、全国でも貴重な中世山城遺跡となっています。

訪問記

丸子城の登り口はいくつかありますが、この日は大手側から登城。
今でいうと駿府匠宿側の登り口です。

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細い道ですが、ちゃんと看板があるので歩きなら見落とすことはないでしょう。
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左手の道は歩道ですので、車はどこかにおいてから向かいましょう。

ちなみに反対側の誓願寺側の登り口はこんな感じ。

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小さい看板を見落として民家に突っ込んでしまいました。
この排水溝の蓋がルートとは。

大手側に戻ります。
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ただ、きれいな雰囲気は最初だけ。すぐに山に突っ込んでいきます。
とはいえ、散策路は整備されていて歩きやすいです。

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がつがつ登っていきます。
ずっと一人分の階段が続いていました。この狭い道でイノシシは怖いけど、クマよりましかな。

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直ぐに見晴らしの良い高さにたどり着く急斜面。良い運動になります。

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10分ほど登ると丸子稲荷神社奥宮に到着
実はこの左手は崖なので正面に回りこむのはとても大変なんです。。。

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奥宮には丸子城の説明板と縄張り図。後ほど本丸で出てくるものよりリアルなタッチです。私にはちょっと難解。。。
でも後から思うと、「長大竪堀」の記載など、本曲輪周辺が正確に書かれていてこっちの方が参考になるかも。
今はちょうど北東の端から来ていて、西へと曲輪を回っていき、途中で折れて南の本曲輪に向かうわけですね。

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奥宮の周りの平場は外曲輪。駐屯地だった場所です。

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先へ進むと今川氏時代の本曲輪に続く入り口に土橋
その右手には立派な三日月堀があります。
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最初の立派な遺構で深さに驚きますが、まだまだ序の口でした。

土橋を越えて大手曲輪へ。
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ここは開けていますが緩斜面で、木とササも生えていて想像しにくいかな。

さらに進みます。
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脇にある深い竪堀を見ながら進むと北曲輪。
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振り返ると低くなっていますが、虎口で仕切られていました。

改めて北曲輪今川氏時代の本曲輪です。
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こちらは非常に開けています。もともと本曲輪ですからね。
ベンチは、ちょっと虫が多いからいいかな。

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北側は土塁で守られています。
今でもこれだけ残っているということは当時はどれだけ高い土塁だったのでしょう。
さすがに守りも堅いですね。

先に進むと二の曲輪
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縄張り図によると三の曲輪もあるはずですが、境目は分かりませんでした…

その先にはもう一つ深い堀切。
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これは本当にしっかりした堀切です。
これだけしっかりと守ってあるということは、当然次は。。。

と思ったら升形虎口。やはり守りが堅い
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この虎口もよく残っています。

そして枡形虎口を抜けてようやく本曲輪、武田氏時代の本丸へ。本曲輪はとても広い。
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そしてデフォルメされた縄張り図。
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こっちの方がぱっと見で理解しやすかった。
本曲輪にこんな縄張り図があるのはありがたいですね。
虎口が三か所と西側の空堀が気になるところ。

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ちなみに、丸子城は散策路としても紹介されているので、ハイカーには本曲輪はちょうど良い休憩場所ですね。一人も見かけませんでしたが。

改めて本曲輪を見て回ります。
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低くなっているものの土塁に囲まれています。

そして、2か所めの虎口。
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こちらは東の平虎口
その先には袖曲輪と書かれた曲輪がありましたが、境目はよく分かりませんでした。
そもそも写真では平虎口がアップすぎてよく分からない説もありますね笑

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こちらは西側の喰違い虎口
広いうえに虎口がたくさん残っていて見どころが多いですね。

そして一番の見どころへ。
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先ほどの縄張り図にも書かれていたように、丸子城は南北に続く曲輪群の西側をずっと空堀が守っています
そんな空堀を横切る土橋を渡って大鈩曲輪方面へ下りていきます。

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土橋から見た本曲輪の西側の大きな空堀
よほどこちらの斜面からの攻撃に神経を使っていたんですね。

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堀から先ほどまでいた本曲輪があんなところに。
気づくと相当下りてきていました。

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そして、巨大な竪堀がたくさん見えてきました。「長大竪堀」と書かれていたあたりです。
このあたりの竪堀はとても深くて草木も少なく見えやすい。
そして今も残る立派な竪堀だらけで感覚がマヒしてきそうです。

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付近にはほかにも立派な竪堀がたくさん。

さらに進んで見どころの大鈩曲輪の三日月堀
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左手の大鈩曲輪からの落差がすごい。
堀自体は浅くなっているのでしょうが、それでも数百年しても立派に形状を保っています。
よく山の中にこれだけのものを作ったものです。

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大鈩曲輪からの帰りに見かけた竪堀は麓まで続くそう。

このあと、登り始めた駿府匠宿側の登り口まで帰りましたが、その途中にも西側の空堀は続いていました。

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緑と緑の間が空堀。写真でも暗く見える、急峻な堀が残っていました。
本当に守りが厳重です。これは登れない。

感想

満足度 4/5

最初は曲輪や虎口、土塁を楽しんでいましたが、途中からはひたすら立派な空堀に圧倒されました。
山の中なのでなかなか入りにくいですが、見どころの多い城跡でした。
一見の価値ありです。
本曲輪にあったデフォルメ版の縄張り図が構造の理解には役立ちましたが、実は見どころはそこには書ききれていないので、下調べが大切ですね。

基本情報

丸子城
静岡県静岡市駿河区丸子

  • アクセス
    電車:JR静岡駅よりバスで約25分 吐月峰駿府匠宿入口バス停下車 登山口まで徒歩10分
    車:東名高速静岡ICより約25分
      駐車場なし 近くの有料駐車場に停めましょう。
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~1時間
  • 付近のスポット
    百名城関係だと駿府城、同じような山城だと花倉城など。

    tmtmz.hatenablog.comtmtmz.hatenablog.com歴史遺産で宇津ノ谷峠の明治のトンネルも近いですね。

    tmtmz.hatenablog.com

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小山城(静岡県吉田町)-城好きの見所は展望台足元の遺構たち

段々と寒くなってきて、紅葉がきれいな季節になってきました。
どこかに紅葉も見に行きたいですが、今年は行けるかな。身近な公園で楽しもうかな。

さて、ブログの話題は福井城巡りが一段落したので、身近な県内スポット訪問に戻ります。
最初は静岡県は中部の吉田町にある小山城
諏訪原城高天神城などとともに武田氏の駿河侵攻の際の城跡です。
三重の三日月堀、丸馬出など、見どころも多いところでした。
模擬天守はいろいろ言われていますが、展望台と割り切るならありなのかなと。

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お城:小山城 静岡県榛原郡吉田町
HP:展望台小山城/ようこそ吉田町へ
訪問日:2020年10月

概要

築城年は定かではありませんが、今川氏が築いた砦が土台になったとされます。
武田信玄駿河侵攻ののち、駿河侵攻の拠点として砦を改築、小山城と名付けました。
勝頼の代に築かれた諏訪原城訪問記)とともに高天神城訪問記)攻城の足掛かりとしましたが、その後、徳川軍からの激しい攻撃にさらされました。
小山城自体は攻め落とされなかったものの、高天神城落城などの戦況の悪化により1582年に放棄され、落城しました。

1987年に能満寺山公園として整備され、公園の展望台として模擬天守を築きました。
今では町のいたるところに天守の絵が描かれていて、天守を被ったゆるキャラもいて、町のシンボルになっています。

訪問記

能満寺山公園南側の駐車場から登城スタートです。
大手門とは裏から入ることになります。
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前述のとおり、敷地全体が能満寺山公園として整備されています。
城跡もきれいに整備されていますが、地図はデフォルメされたものばかりで初見だと構造がよく分かりません。。
結局、縄張りの構造は模擬天守内のミニチュアで初めて理解しました。予習するか先に模擬天守に入ってしまうのがおススメです。

登城路も案内がきちんとしていてわかりやすいです。
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まずは公園の名前の由来になっている能満寺さんの境内へ。

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能満寺さんは1262年に開かれた由緒正しいお寺です。
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境内もきちんと整備されていました。

そして能満寺さんの名物は門の脇に鎮座する大ソテツ。立派ですね。

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日本三大ソテツの一つで、国指定特別天然記念物に指定されています。
日本三大ソテツなんてあったんだ。。
高さ6m、幹の周囲が2m、枝分かれして東西8m、南北11mに広がる大きなソテツで、995年に安倍晴明が中国から持ち帰って植えたと伝えられます。

遠州七不思議の13ある話の一つにもこちらのソテツは登場します。
徳川家康が立派なソテツに魅了されて、駿府城に移植したら、夜な夜な能満寺に帰りたいと泣いたので、かわいそうに思った家康がソテツを戻した、のだそう。
七不思議が13ある時点でどうなんだろうとは思いますが、どこまで信じるかはあなた次第、ですね。

境内を抜けると展望台への階段。
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もはや完全に展望台扱いですが、城跡に向かっています。念のため。

最初の階段を上るともっとしんどい階段が出てきます。
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ちなみに、写真右端にちょっと写っているスロープを使っても登ることができます。
若者なら階段を使わないと、と思って突き進んだら途中で後悔したので、スロープがおススメです。(傾斜がきつくて高所恐怖症が発動するとは。。。)
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最初からこれを見たら素直にスロープを使ったのに。

登りきると到着です。
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赤い橋に芝生にと山の上の公園という雰囲気ですが、堀でイメージはつきます。右が本郭、左が二の郭です。
堀はちょっときれいすぎる気はしますが、埋まっていたそうなので、この復元は良いですね。
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振り返ると堀ごしの模擬天守。こんなところにこんなものは当時はなかったでしょうが、今の小山城ならベストショットかも。

まずは本郭からまわります。
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本郭は山の端に作られて、周囲を崖に囲まれた造りになっていますが、今は芝生広場という装い。

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真ん中でカップルが楽しいひとときを過ごしていたので早々に退散して二の郭へ。
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色々ごてごてしていますが、真ん中に見えている丸馬出へ向かいます。

本郭との間には、今は目を引く赤い橋が架かっています。
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もちろん当時のものではなく、下の土橋が当時は使われていました。
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丸馬出から二の郭の対岸を眺めます。当時の城兵になった気分ですね。
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三日月堀にフォーカス。こちらも復元整備されたもの。立派です。

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引きの画。本郭から二の郭への位置関係がよく分かります。

三の郭へ続く虎口
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土塁は低くなってますが、土橋と両側の堀はちゃんと残っています。

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三の郭からの堀。かなり浅くはなっていますが、イメージはできますね。

そして三の郭には小山城最大の見どころ、三重の三日月堀があります。
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写真だと分かりにくいですが、深い堀が3本走っているのが分かるでしょうか。
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もいっちょ。幅、深さ、長さどれをとっても立派な堀です。
これだけ立派な堀が三重で走っていたら、攻め込むのは大変ですね。だから落城しなかったのかな。

三重堀の脇を進むと大手口方面への道が続きます。
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おそらくこの辺に復元大手門があったはずですが、跡形もありませんでした。

散策を終えて、模擬天守へ。
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内部は歴史資料館になっていて、当時の縄張りの模型などの展示があって、とても理解が進みました。
さっさと入っておけば分かりやすかったのに笑

そして最上階からの景色を楽しみます。展望台の本領発揮ですね。

見た目は気になりますが、この景色を見るための台と割り切ると良いのかも。
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本曲輪と二の曲輪を眺めます。館内の模型と合わせて構造がよくわかって良いです。

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こちらは三重堀方面。さすがに林の中で見えません。
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駿河湾方面。海までの距離を思うと、ここが要所だった訳が分かる気がします。

諏訪原城高天神城方面は見てもよく分かりませんでしたが、往時に想いを馳せられる良いところでした。

感想

満足度 3/5

思うところはありますが、曲輪の構造はよく残っていたり、整備されていたりと見どころは十分です。

三重の三日月堀が1番のメインだと思いますが、あんまり注目される作りになっていないんですよね。もったいない気がします。

模擬天守は、展望台と割り切るならわざわざ似せなくてもよかったのに笑

基本情報

小山城
静岡県榛原郡吉田町片岡2519-1

  • アクセス
    電車:JR静岡駅、島田駅または藤枝駅よりバス 片岡北吉田特別支援学校バス停下車 徒歩5分
     静岡駅からは約40分 30分に1本
     島田駅からは約30分 2時間に1本
     藤枝駅からは約25分 おおむね1時間に1本(時折2時間間隔)
    車:東名高速吉田ICより約10分
      無料駐車場あり
  • 開館時間
    9:00~16:30(最終入場16:00) 
    定休日:月曜 祝日の場合は翌日 12月28日から1月5日
    入城料:大人200円、小中学生100円
  • 所要時間
    ~1時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと、諏訪原城高天神城ですね。

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竹田の油揚げ谷口屋・恐竜博物館 -福井城巡り⑨終

今日の晩ご飯はたこ焼きの具材を使ったお好み焼き。

たこ焼き粉を買い忘れたので、家にあったお好み焼き粉でお好み焼きにしてみました。

関西の粉もんのマリアージュですね。味はどうなることやら。

さて、この旅の最後も食べ物の話題、油揚げ恐竜博物館です。
どちらもとても有名どころ。はずさない定番の良さがありました。

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竹田の油揚げ 谷口屋

ケンミンショーなどでも取り上げられた大きな油揚げのお店谷口屋さんに行ってきました。

冒頭の写真の通り、福井の外の人間からすると油揚げというより厚揚げの見た目ですが、福井ではこれを油揚げと呼ぶそう。
特に福井市では油揚げの消費量が全国でもダントツです。
浄土真宗の信仰が厚くて、精進料理や報恩講料理で出されていたことでなじみ深い食材になったのだとか。

今回の谷口屋さんも、平泉寺と並んでかつて白山信仰の拠点だった豊原寺があった坂井市丸岡町竹田にお店を持たれています。
永平寺も近くにあって昔は精進料理に油揚げを揚げに行っていたそう。
その大きさからテレビで見かけることも多く、その度に食べたくなっていたので、念願の訪問でした。
ここまで大きくなったのは精進料理というより谷口屋さん独自の改良の結果のようですが笑

さて、前置きが長くなりましたが、そんな谷口屋さんで頼んだのはもちろん油揚げ定食です。
油揚げのお店では当然ですが、正直まさかですよね。油揚げメインの定食。

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本当に油揚げがメインで残りも豆腐に油揚げのお浸し、油揚げの味噌汁と油揚げオンパレード。
巨大な油揚げもそのままカリッと揚げたてで出てきました。
大きなお茶碗と同じ大きさ。大きい。

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厚さもすごい。自分の中の油揚げの定義を覆してくれます。

厚揚げ専用のタレと塩、大根おろしやネギの薬味を使っていただきます。
切ると外はカリッとしていますが、中からはじゅわっと美味しいお出汁?が出てきます。

とても美味しい。

油揚げでご飯を食べるのに若干不安も感じていましたが、全く問題なく十分にメインを晴れるおいしさでした。
脂っこさを感じることもなく、ちょうどよい満腹感で食べ終えることができました。

実は本店が混んでいたので分店に向かったのですが、分店は11月30日で閉店してしまうそう。コロナの影響か、とても空いていましたからね。。。
本店は混んでいたとはいえ厳しい環境ですし、応援したいところです。物産展で見かけたら買います。

r.gnavi.co.jp

恐竜博物館

油揚げでヘルシー?にお腹を満たしたら、勝山市にある恐竜博物館へ。
恐竜の町福井を象徴する博物館です。
恐竜博物館といっても小さい子供向けのテーマパークだけではなく、大人も興味深い展示が数多くある、老若男女楽しめる名所です。
さすがに前回成人男性一人で行ったときはちょっと周りの目を気にしましたが、今回は二人なので問題なし。
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ちなみに、コロナの影響で訪問時も2020年11月現在も予約制になっています。
訪問時は空いていましたが、今は満員になる日もあるようで、早めに予約した方が良いかもしれません。
そもそも予約制に気づかずに訪問してしまうお父さんお母さんいるんじゃないかな。怖い。

通常展示以外に、発掘現場を見学、野外解説、発掘体験ができる野外恐竜博物館もあります。こちらも楽しそうですよね。

滞在時間は、通常の展示見学に1~2時間でしょう。野外は2時間とHPに書かれています。
野外も両方見るなら1日見ておいた方がよさそうですね。

www.dinosaur.pref.fukui.jp

訪問記

駐車場までの道中にも恐竜の卵のオブジェがあったり、駐車場には恐竜がいたりと、外からワクワク感を高めてくれます。
福井駅でもそうでしたが、恐竜はフォルムからして遠くからも存在感があるのが良いですよね。
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でもこれを動物園で見たらキリンだと思うかもなぁ笑

館内は、時代ごとの恐竜の骨格標本やレプリカ、発掘されたままの状態の標本など展示が盛りだくさん。ここまで集めるのは大変だったでしょう。
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どれもその迫力に圧倒されます。
それぞれの恐竜ごとの特徴を近くに解説してくれていて、それで理解が進むのもうれしいですね。
残念ながら素人なので感想は「ジュラシックワールドにいたね」とかになるんですが笑

個人的には、カブトガニの這い跡の化石が一番印象に残っています。(恐竜じゃなくてすいません。)
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最期にさまよっている様とその時の姿がそのまま残ったところに、感慨を感じるんですよね。あの時どう思っていたんだろう、とか。

もちろん大型恐竜も迫力が違うので印象に残っていますが、ストーリーを感じるとまた一味変わりますね。
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でもこれが追ってきたら、とか想像するとさすがにビビるな。。

そんなこんなで恐竜でお腹いっぱい。大満足で帰途につきました。

館内では化石のクリーニング作業をされている研究員の方もたくさんいて、好きなことを仕事にされている様に憧れを感じました。いいなぁ。

この旅は越前大野城からでした。

tmtmz.hatenablog.com

他の城巡り旅行記です。

tmtmz.hatenablog.com

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鳥越城 -福井城巡り⑨

3日目は続百名城の鳥越城へ。
福井城巡りと言いつつ石川県のお城へ。タイトル間違えた…

百姓の持ちたる国 加賀一向一揆の最後の拠点です。
予習なしでしたが、一向一揆歴史館のDVDでお勉強してから向かうことで、現地をとてもよく理解できました。

お城:鳥越城(136) 石川県白山市
HP: 鳥越城跡 白山市観光情報「うらら白山人」観光スポット
訪問日:2020年7月

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概要

築城時期は明確ではありませんが、天正年間(1573~92)に、加賀一向一揆山麓門徒宗 山内衆の鈴木出羽守がの抵抗拠点の一つとして築いたとされます。
1573年8月に織田信長が浅井・朝倉両氏を滅ぼし、一向一揆と対峙するという情勢で築城されました。

織田勢に対して上杉謙信と組んで抵抗した一向一揆でしたが、1580年についに落城。鈴木氏も滅亡しました。
しかしその後も一揆勢は抵抗をつづけ、1581年には鳥越城を奪還したとされます。
ただ、その抵抗も1582年3月に佐久間盛政により鎮圧され、300余人が磔に処され、加賀一向一揆は壊滅しました。

現在は、発掘調査が行われ、石垣や門が復元されています。

訪問記

まずはスタンプのある一向一揆歴史館へ。
道の駅も隣接していましたが、平日朝だったこともあってか、あまり人はいませんでした。

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中に入ると受付でスタンプ。

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モデルは本丸門ですね。まさにシンボル。
枡形門を同じような構図で撮って満足していましたが、枡形内から撮れば同じ写真が撮れたのかな。

受付でスタンプを出してもらった流れで職員さんおすすめの解説映像を視聴しました。
「20分ぐらいですよ」と言われて、長いなと思ってしまいましたが、いざ見てみると充実した20分。短いものでした。
一向一揆の歴史が簡潔にまとめられていて、城跡訪問への良い予習になります。
300余人が磔で血の海に染まったとは戦国の世は厳しいものですね。。。

城跡登り口への地図も貰って、城跡へ。
石碑が建っている登り口までは車で5分くらいかな。
その先の道は車がすれ違えないくらい細いですが、山頂まで舗装されているのはありがたい。

後二の丸の下の駐車場に車を置いて、散策開始です。
なんか愛車がアブに猛烈に攻撃されていますが、気にしない。
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登り口と違ってここには石碑はなく看板だけ。ちょっと残念。

鳥越城は、城山の山頂に築かれた連郭式山城で、本丸、中の丸、二の丸などの7つの郭からなり、空堀や土塁も残っています。
後二の丸と三ノ丸の間の空堀から散策を開始。

最初はあやめが池。
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草でよく見えませんが、湧き水が貯められていたそう。本丸の井戸と並んで当時の命の水だったのでしょう。

傍らには磔の像。
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当時の無念に想いをはせて、拝んでから先へ進みます。

本丸方面へ。後二の丸や本丸の郭を見上げつつ、緩やかな坂を上ります。
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本丸西側の郭。梅雨明けごろにも関わらず、草も刈られていて散策しやすい。

先に進むとすぐに枡形門と石垣。
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質素な門に石垣に、戦国時代の雰囲気を感じます。
現地ではこれがスタンプのモデルになった鳥越城のシンボルかなと思っていましたが。。。
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この奧に、本丸につながる枡形があり、そこにも門が構えてありました。

本丸門 こちらは門が質素ながらも上にも登れる構造になっています。
こちらがスタンプのモデルですね。
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高い土塁に柵の列が並んでいて、ここで戦った当時の姿が目に浮かびます。
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本丸内部は柵に囲まれた建物跡が展示されています。
火災による焼土の層や炭化した食糧が発掘されたとか。
この狭い郭にこもって戦うと考えると、怖かっただろうな。

本丸奥から本丸門を眺めます。
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本丸門の脇には望楼台の跡もありました。
織田軍の動きを見ていたのでしょう。

そんな本丸からの眺めはこんな感じ。
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当たり前ですが、とても眺めが良いです。

本丸から中の丸方面へ移動します。
中の丸南側の登り口にも門。中の丸門です。
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中の丸門の両脇には高い土塁が築かれていて、下からの見通しを遮り、守りを固めています。
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中の丸門から登り口を見た眺めはこちら。

これは当時の景色に近いのかな。
中の丸の隣は二の丸
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建物や櫓台の跡があります。
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二の丸は周囲を土塁に囲まれていました。
当時よりだいぶ低くなったのでしょうが、今でも土塁が残っています。
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別の場所にも隅櫓の跡。谷の奥までよく見えますし、櫓を置いた意図がわかります。

帰りに柵越しの本丸門。
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近世城郭も良いですが、こう言った実用的な城跡の雰囲気もとても良いです。
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本丸門をもう一枚。

駐車場に戻りがてら最後に後三の丸へ。
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こちらは平場だけといった感じ。
看板は後二の丸にしか見えませんが、後三の丸だったはず。

感想

満足度 4/5

歴史館を先に見たおかげで、その背景を知ってから回ることができて、現地をより一層興味深くみることができました。
案内も多くて整備もされていて見どころ多い城跡でした。
石垣、空堀、土塁もそうですが、掘っ立て柱の柵、質素な門が特に雰囲気を出しています。

完全に山頂なので、スズメバチやクマなどに気をつけて安全に周りたいところです。
時間があれば二曲城跡も見たかったですが、それはまた次回。

基本情報

鳥越城
石川県白山市三坂町

この旅は越前大野城からでした。

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山代温泉街歩き -福井城巡り⑧

この旅のお宿は山代温泉へ。
今年は旅行の数が少ない分1回のお宿にお金をかけてみました。Go toもありましたし。

宿泊したのはたちばな四季亭さん
普段泊まらない良い旅館で仲居さんの人柄も良く、とても楽しい経験になりました。
おもてなしってこういうことを言うんですね。きっと。ちょっと恐縮しましたが

温泉街も歴史ある分、見どころがあっていいですね。散策し甲斐がありました。
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1.たちばな四季亭 2. 古総湯 3. 総湯 4. 薬王院温泉寺 5. 魯山人寓居跡

たちばな四季亭

たちばな四季亭さんは山代温泉のど真ん中、シンボルの総湯が見える位置にあります。
館内は最近リニューアルされたばかりできれいですし、もちろん温泉もリフレッシュできて、奮発した甲斐のある旅館でした。

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外観はこんな感じ。和モダンというやつでしょうか。
仲居さんやフロントの皆様も感染対策をしつつもフレンドリーで、コロナで大変な中でもとても暖かいおもてなしをしていただけました。

泊まったのは憧れの露天風呂付客室。GOTOさまさまです。
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写真には写っていませんが、和室の扉の持ち手が九谷焼になっていたりと芸が細かいお部屋でした。

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お風呂はとても気持ちよく、言うことありません。
露天風呂付客室にはまりそうです。そんなお金足りないけど。

お風呂に入ったら眼鏡をはずしたので見えませんでしたが、坪庭までついている立派なヒノキ露天風呂でいい香りがしました。
温泉が入ったヒノキ風呂の底ってとても滑るんですね。知りませんでした。

お部屋からは山代温泉の中心部も一望できました。

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眼下に広がるのは総湯古総湯などの湯の曲輪(ゆのがわ)と呼ばれる街並みです。
江戸時代からの歴史ある温泉街で、屋根や舗装の色、柳の木など、上から見るだけでも気になる綺麗さ。
もちろん散策しました。

お食事もとても美味。
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お造りだけでも人工いくらを応用したジュレのようなものや、飾り昆布の四季亭の切り抜きがのっていたりと芸が細かい。

もっとたくさん美味しいお食事はありましたが、食べるのに夢中で写真を撮り忘れました。
たしか生まれて初めて塩釜焼を割ったような。

総じて大切にしてくださっていることがよく伝わる良いお宿でした。
再訪したい宿です。

湯の曲輪街歩き

ここからは山代温泉の街並み散策編。
約1300年の歴史が宿る街並みは見どころもたくさんです。

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中央にある古総湯の周りが中心で、そこから商店街が伸びるような街並みになっています。
もちろん、最初に向かったのはシンボルとなっている古総湯
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かつては外湯の文化であったため、共同浴場の周りに温泉宿が立ち並ぶ形で街が出来ていました。
中心となった共同浴場が総湯と呼ばれ、総湯を中心とした街並みが湯の曲輪と呼ばれています。
現代も総湯は存在しますが、明治時代の総湯を再現した建物が古総湯です。
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再建ではありますが、雰囲気がありますね。そのまま映画に使えそう。

外観だけでなく、内装も明治時代のままに復元されていて、浴室には当時流行りのステンドグラスや九谷焼のタイルを使うなど、豪華な作りとなっているそうです。
お部屋に立派な温泉がなければきっと立ち寄っていたはず。

古総湯の向かいには総湯。2009年に建て直された現代の共同浴場です。
元は古総湯の場所、湯の曲輪の中心にありましたが、建て替えに伴い移転。
その際に湯の曲輪にあった老舗旅館の門を利用する形になりました。
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朝から地元の方がたくさん利用されていて、外湯の文化が今も息づいている様を感じることができました。
古総湯は観光メイン、総湯は地元メインみたいな棲み分けがあるのでしょうか。
日常的に温泉に入りに行くような生活もしてみたいものです。

湯の曲輪の反対側にははづちを楽堂
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時間が遅くて入れませんでしたが、お土産やカフェ、ギャラリーなどが集まっていて楽しそうなところです。
特徴的な赤い壁はべんがら格子山代温泉の昔ながらの風景だそう。

はづちを楽堂からは温泉通り商店街を真っすぐお散歩してみました。
こちらは、まぁよくある商店街という感じですね。
地酒やお土産を買いたかったのですが、時間が遅くて閉まっているお店も多くてちょっと後悔。
そもそもシャッターが下りていそうなお店があったのは気になりましたが。。

端まで歩いてからもう一度湯の曲輪に帰ってきました。歩き疲れました。。
湯の曲輪の反対側に伸びる道路には薬王院温泉寺
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山代温泉の守護のために建てられたお寺です。
門からすでに良い雰囲気を感じますね。
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お宿のお部屋から境内を見渡すことができました。結構広くて自然も多くて落ち着けそうな境内です。

最後は魯山人寓居跡 いろは草庵へ。
北大路魯山人が半年を過ごした草庵です。別に住んでいたとか別宅とかではないみたいですね。
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閉まっていました。
ここが見たかったから温泉寺とかすっ飛ばして帰って来たんですけど。。。
せっかくなので、外の景色だけ目に焼き付けてきました。
べんがらの壁ですし、雰囲気からして中も良いところなのでしょう。きっと。

歴史ある温泉街は見どころがあってよいですね。
気分よく2日目終了。3日目は鳥越城跡に向かいます。

この旅は越前大野城からでした。

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丸岡城(36)-福井城巡り⑦

一乗谷の次は、北陸唯一の現存天守丸岡城へ。
内堀も埋められて今は天守が残るだけですが、古い望楼型天守に石の屋根瓦にあまりにも急な階段にと見どころはそろっています。

お城:丸岡城(36) 福井県坂井市
HP: 丸岡城 公式サイト – 日本100名城・北陸地方唯一の現存天守へようこそ
訪問日:2018年2月、2020年7月

概要

1576年、一向一揆への備えとして織田信長の命を受けた柴田勝家が甥の勝豊に築かせたとされます。
その後、城主の変遷を経て明治維新を迎え、廃城。
売却され天守以外の建築物は全て解体されましたが、天守のみ解体を免れ、霞ヶ城公園として整備されました。
1948年には福井地震に遭い倒壊しますが、可能な限り元の建材を用いて7年後に修復再建されました。

往時は、天守の周りに五角形の内堀を持ち、その外側に侍屋敷、さらに外堀や城下町を形成していましたが、今は内堀も含めて天守以外の遺構は残っていません。
一説には天守は現存する天守の中でも最古ともされていました。(今は否定されています。)
笏谷石を用いた石の屋根瓦で葺かれているところも珍しいポイントです。

訪問記

一乗谷から車で1時間ぐらいかけて訪問。
直行すれば30分で着きますが、永平寺に立ち寄ったら遅くなりました。
道路脇にクマは出るわ永平寺はコロナで拝観時間が短縮されて見られないわと色々ありましたが、気を取り直して現存天守を見学に向かいます。

丸岡城は昔の内堀の内側、というか本丸のすぐ隣に駐車場があります。
おかげで車を停めて5分後には天守に到着する抜群の立地です。
もうちょっとじわじわ盛り上げていただいても良いのですが笑

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平山城天守は小高い丘の上にあるので、そこまでの道は軽い登り坂。
道中は短文の手紙がたくさん飾ってあります。

これは近くにある一筆啓上 日本一短い手紙の館に由来するもの。
徳川家康の功臣、本多重次が陣中から妻にあてた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」は要件を簡潔明瞭に伝えて手紙のお手本といわれています。
ここで登場するお仙が初代丸岡藩主の本多成重であることから、丸岡では一筆啓上を推しています。
家族にあてた手紙など、短文に気持ちを込めたものが多く貼ってあり、あたたかい気持ちになりながら進めます。

本丸に到着して受付で入場料を払うとともにスタンプをゲット。

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構図は定番の天守です。

そしてすぐに天守がお出迎え。一筆啓上に倣って簡潔さを推しているかのような
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天守は望楼型2重3階。
こじんまりしたものですが、最古ともいわれた古風な姿は良いものです。

かつての国宝保存法では国宝でしたが、福井地震で倒壊した直後に文化財保護法が制定され、その時の国宝=重要文化財として改めて指定されたまま、今に至ります。
現在も重要文化財の指定ということもあり、丸岡城近辺では「丸岡城を国宝に」というスローガンがたくさん掲げられていました。

こちらは1回目の訪問の時の雪化粧。
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白飛びがひどいですが、冬支度に雪化粧の姿も良いものです。

天守の脇にはいくつか展示があります。

こちらは笏谷石の鯱
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河原と同じようにいわれがあるのかと思いきや、もともと木に銅板張りだったものを戦時中の修復した際、金属不足でやむなく石製にしたものでした。
しかも福井地震で落下して割れてしまっています。ちょっと悲しい歴史ですね。

反対側には人柱お静の鎮魂碑も。こちらも悲しいお話がありました。。

天守内部に入る前に笏谷石の屋根瓦を見てみましたが、見えませんでした笑
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ちなみに石瓦にしているのは寒冷地だからだそう。

天守に向かう階段から天守台石垣をアップで。
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石垣は野面積み。最古ではなかったとしても古い天守です古い形式の石垣になりますよね。
やはりこの武骨な雰囲気は好きです。
一見危ぶなそうでも実は頑丈というところも良い。

そして天守内部へ。
天守の中で有名なのは、この恐ろしく急な階段でしょう。
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天守の階段は総じて急ですが、それにしても丸岡城の階段は一番急だと思います。
補助にロープがついているのも、ここしか見たことありませんし。
ロープがなかった昔はこれを普通に上っていたのでしょうか。
当然和服でしょうし、ちょっと信じられません。

現代っ子なのでロープを頼りにひいこら言いながら最上階へ。
外には出られませんが、窓からの景色を楽しめます。
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まずは西方向、海の方を眺めます。

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続いて北方向。
回りを見渡せることを重視して築城してるでしょうから、当然ではありますが、そんなに山も天守も登っていないわりに見晴らしはとても良いです。
たしかにここに城があれば、平野を抑えられるでしょう。

と、そんなことをぼーっと考えて、丸岡城終了です。

感想

満足度 3/5

現存天守の存在感は違いますね。
本当は堀とか縄張りとかも見たいところですが、天守があるだけで大きな見どころになります。
それにしても天守も小さいので、あっさり終わってしまう感は否めませんが。。
天守にあったジオラマの隠れ忍者探しに興じても30分で終わってしまいました。
内堀を復活させる計画があったりするらしいので、そのあたりにも期待です。

基本情報

丸岡城
福井県坂井丸岡町霞1-59

  • アクセス
    電車:JR福井駅からバスで約40分または芦原温泉駅からバスで約20分 丸岡城バス停下車すぐ。
     芦原温泉駅の方がバスの時間は短いですが、本数は福井駅の方が多いです。
    車:北陸道丸岡ICから約10分
    無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
     霞ヶ城管理事務所(発見所窓口)
      8:30~17:00(最終入場16:30) 
      年中無休
      入城料:大人450円、小中学生150円
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    0.5時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城だと福井城、越前大野城、一乗谷朝倉氏遺跡でしょうか
    この旅も越前大野城からでした。

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一乗谷朝倉氏遺跡(37)朝倉館跡 -福井城巡り⑥

前回に引き続き、一乗谷朝倉氏遺跡を巡ります。
今回は復元町並から川向こうの朝倉館跡へ。
復原町並はこちら。

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まずは復元された唐門からです。

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訪問記

朝倉館跡

一乗谷川を渡って、朝倉館跡へ向かいます。
さすがに館跡は広大です。当主の館ですし、そりゃそうか。

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唐門を遠くから眺めると館跡が土塁に囲まれて守りも固められていることがよく分かります。
一番大事な人が住んでいたところですしね。そりゃそうか。

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隅には櫓も組まれていたそう。櫓台っぽい高い土塁が残っていますね。
土塁の外には水堀も作られています。攻め込む気は起きないですね。

そしてかつての正門へ。
今は朝倉氏遺跡のシンボルになっている唐門

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雰囲気良いですね。絵になります。
土塁の写真ではよく見えませんでしたが、実は水堀も結構立派なものです。

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過去の経緯もあって当時の建物は残っていないだけに、古い建物があるとそれっぽく見えます。
ただ、この唐門は当時のものの遺構ではなく、後に建てられた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために建てられたものだそうです。
現在のものは江戸時代に建てられたものです。

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ちなみに冬に行った時はこんな感じ。

雪が凄すぎ奥に入る気は起きませんでしたが、唐門周りは綺麗に除雪していただいてました。大事にされていますね。
それにしても雪が減ったという最近でもこの雪の深さ、当時はもっと大変だったんでしょうね。

唐門をくぐって中へ入ります。前回は入れなかった念願の館の中です。
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土塁の内側には10数棟の建物が立ち並んでいました。
今は草原となっていますが、いくつかの建物跡は平面復元されていて想像できるようにされています。
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これは入ってすぐの七間厩(だったかな。)

山側には湯殿跡庭園が見えています。
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あちらも気になりますが、まずは館跡から。
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正面右手、山際に館内で最大の建物、常御殿の跡地が広がっています。
写真向かって奧には台所や湯殿などの日常生活のための施設が広がっていました。
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常御殿の南隣には中庭花壇があり、来賓用の設備がまとまっていました。
この花壇の跡地、日本最古の花壇の遺構だそう。

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そして花壇の隣には朝倉館跡庭園
御殿から中庭の花壇越しに庭園を眺める、想像するだけで優雅な生活ですね。
この朝倉館跡庭園も含めて、一乗谷の4つの庭園は国の特別名勝に指定されています。

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この庭園は完全に埋没していたものが、1968年に発掘されました。
建物から山裾の池と岩を眺める景色、今の寺院などに残る庭園に似たものを感じます。
この頃からの潮流が続いているのでしょうか。

湯殿跡庭園

さて、この後の見学は山の上へと続きます。
登った後に振り返ると朝倉館跡の全景。

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上から見ると館跡の広大さ、花壇の規模感などがよく分かります。

そして登った先にはもう一つの特別名勝 湯殿跡庭園
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水の少ない枯れた池ですが、戦国時代は水が湛えられる構造になっていました。
荒々しい石の組み方から4つの庭園の中では最古のものと考えられています。

湯殿跡から大きな空堀を越えてさらに南へ向かいます。
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埋まっているでしょうにこの深さ。防御にぬかりありません。

着いたのは中の御殿跡
朝倉義景の実母光徳院の屋敷跡と伝えられています。
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敷地内には数棟の建物や庭園の跡などが確認されています。

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南の道路に門を、南と東に土塁、東と北に空堀がめぐらされていました。
今も、土塁や空堀はよく形を残しています。

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こちらは南の門跡。
来客用には朝倉館側ではなくこちらが正門だったんでしょう。

中の御殿跡を抜けると南には道路跡が広がります。

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現代の基準からすると細いところに時代を感じます。

諏訪館跡庭園

道路を横切って、特別名勝 諏訪館跡庭園
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朝倉義景の側室 小少将の館と伝えられる敷地です。
ここだけ見るとなんでもない平場ですが、、、その奥にとても立派な庭園跡が広がります。
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一乗谷で最も大きな庭園跡で、上下2段構造、滝石組に巨石が使われているなどとても豪華です。
こちらも、現代でも立派な庭園として十分に通用すると思いますし、縁側に座ってのんびりと水の音を感じながら眺めてみたいものです。

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遠くからでも巨石とモミジを中心とした庭園はとてもきれいです。

と、朝倉氏館跡を一通り巡るとちょうど復原町並の南側入り口の近くに来ますので、もう一度川を渡ってスタート地点へ。
一乗谷朝倉氏遺跡の見学を終了、次の丸岡城へ向かいます。

感想

満足度 4/5

日本で初めて遺構を実寸大で立体復元した復原町並や、広大な平面復原地区、朝倉館跡に庭園など見どころがとにかく盛りだくさん。
歴史的経緯から現存建築はありませんが、とても良い状態の遺構が多く、街並みを具体的に想像できてとても良いところでした。さすがは日本のポンペイ
本当は山の上の一乗谷城一乗谷の入り口にあった城戸も見てみたいところでしたが、広すぎてとても回り切れませんでした。また来ないと。

基本情報

一乗谷朝倉氏遺跡
福井県福井市城戸ノ内町

  • アクセス
    電車:JR一乗谷駅から徒歩30分
       JR福井駅からバスで約30分 武家屋敷前 下車すぐ
    車:北陸道 福井ICから約10分 東海北陸道白鳥西ICから約60分
      無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    復原町並 入口
     9:00~17:00(入館は16:30まで)
       休館日:年中無休
       入場料:220円
  • 遺跡
    散策自由
  • 所要時間
    1-2時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城関連だと丸岡城、福井城でしょうか。

    tmtmz.hatenablog.com

この旅は越前大野城からでした。

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